虹の架け橋

2004年の44歳から綴ってきたブログ。塾長として、男として、父親として、そして爺として、感じたことを記した記録。

家内からのメッセージ

2020-05-21 | 家族
5月1日、屋根の上の太陽光発電パネルの撤去工事が始まった日だった。
ドラッグストアの店内で、突然視界が回り始め、
思わずショッピングカートに捕まって頭を伏せた。
初めての経験というくらいの回り方だった。
(これがメニエールかな。もしかして変な病気だったらどうしよう・・・。)

家を触る為、『普請負け』と俗に言う言葉が自分のどこかに引っ掛かり、
常に気にかけていた。
『普請負け』で今自分がここで倒れるわけにはいかない、
そう心で思っていた。
少しじっとしていると動けるようになり、会計を済ませて帰った。

一週間後、夢を見た。
土場(埋立地のような場所)に、いくつもの仏像が無造作に横たわっていたり、
埋まっていたり、かなり大きい物もあった。その光景を見た私は、
(こんなに沢山の仏像があることを知らずに、重機を使ったら、
固い石で出来ているから重機が傷んでしまう。
罰が当たるような気もするし、仏像があることも教えてあげないと。)
というようなことを夢の中で思っていた。

次の朝、自宅に行くと、もうその日の工事工程は始まっていた。
裏庭の木の撤去作業が重機で行われていたのだ。
裏庭が駐車スペースになることは分かっていたが、
そのことと庭の木を抜いてしまうことが私の中ではイコールで結ばれていなくて、
その日裏庭を触られると知らなかった私は、土の夢を見たばかりだったので、
とてもドキッとした。今更どうしようもできない…。

それからも何となく、味わっためまいと夢のことがひっかかっていた。
何の意味があるんだろう…。

家のリフォーム工事に入る前に、ちゃんと神主さんにお祓いをしていただいた。
お仏壇も性抜きしていただいてから母が願っていたお洗濯に出していた。
神様も粗相のないようにしてきていた。
それでもなんとなく、裏庭のことが気がかりで、
もう無くなってしまった木が植えられていた場所を
「この辺。この辺り…。」
と記憶をたどって順に我流でお神酒と塩をまいて祈った。


週が明け11日、月曜日。
朝、打ち合わせにみえていた社長さんとの会話の中で
「大丈夫ですかね・・・庭石や木を触ることが心配で。」
と話すと、きっぱりと
「大丈夫です!私もちゃんと調べましたから。」
と言って下さった。

その
「大丈夫です!」
が本当に大丈夫だと何故か思わせてくれる『大丈夫』で、
胸のつかえが晴れた気持ちになった。

その日の午後、親しくさせていただいている先生と電話で話した。
記憶に新しいごく最近に家を新築されていたこと、
家を建てる場所に木があると聞いていたこと、
ご主人が神主さんであること。
信頼しているその先生に、家を建てられる時どのようにされたか等
聞いてみたくて連絡を取った。

家の状況を説明し、庭石や木を触ることへの
自分の不安だったことを吐露した。
親身になって、すぐに神主さんであるご主人に話して下さり、
再び夜電話でお話した。
大丈夫だと言っているけれど、気にされるなら、こうするといいと、
お参りの仕方と唱える言葉を教えて下さった。
「明日の朝6時とか早くても構わないから、
そちらに行ってお参りさせてもらってもいいと言っています。」
とまで言っていいただけた。

でも、なんとなく、お祓いしていただいた神主さんとその神様に失礼な気がしたのと、
主人が「ちゃんと失礼のないようにやってきているから大丈夫。」
と言うような気がして、教えていただいたように自分でお参りする選択をした。

「K先生にちょっと聞いてみたら、お参りの仕方を教えて下さったから。明日の朝行ってくるから。」
主人に電話で伝えると、朝は大変だから今日のうちにお参りしてくるといいとのこと。

そうするつもりでお神酒を買いに車を走らせたが、
どうにもそのことが自分に飲み込めず、道中で
(朝がいいと6時を提案されていたからやっぱり翌朝早く起きて行こう!)
と決めた。

帰宅した主人に事の顛末を話すと、その方法や言葉を知り、
「俺も一緒に行ってお参りするわ。」
と言ってくれ、一緒に行くことになった。
翌朝7時半に家を出てお参りに行こうと話し合い、床に就いた。
その日の夜はなんだか眠りが浅かった。


=====

庭石と木にお参りに行く朝…

散歩中に宮崎駿の映画の世界みたいなのを味わっていた。


チャプンと川に何か生き物を感じ、又いつもの鳥かなあと思ったら、
なんか龍じゃないけど、『太くて長いもの』な感じがした。
一瞬顔を見た気がしたので、うなぎやなまずではないと思い、それでも長い…。

ずっと見ていると、私の歩くのと同じ方向に、
その何かが泳いでいく川の波みたいのが動いていくので、
それを見ながら歩いていて、
(これは珍しいからビデオに撮らないと。)
と思ってiPhoneで撮りながら歩いた。
歩きながら、
(いるわけないけどこれが龍だとしたら…。)
なんて、龍についてよく記事を書いておられる
主人の知り合いの先生のことが頭に浮かんでいた。
あるところまできたら止まり、そこで水面が渦を巻き出した。

川に石を投げたとき輪っかみたいのがだんだん広がっていくような、
あれが同じ場所でずっと続いていて、
真ん中から何がでてくるのか、ドキドキしていた。
姿が見たいと思って粘っていたが、
主人とお参りに行く約束のタイムリミットで諦めて、
散歩の続きを歩いて帰った。
ふと顔を上げ、
(あ、神社だ。)
神社のすぐ傍であることを意識した。
あの時、あの光景を見ながら、ただなんとく
『これはいいもの、縁起のいいものだ…』という感じがしていた。


あまり、帰宅後も深く気にもせず、身支度を整えて自宅に行き主人とお参りをした。
庭石や木に対しひっかかっていたものが解けた気がした。
教えていただけたこと、ご縁に感謝だった。
ちょうどその日、裏の紅葉と表の庭石が移され、
本当にギリギリのいいタイミングだった。
昼間、
(そういえば…。)
とふと思い出して、散歩の時に撮影したものを見ようとした。
すると、一瞬映ってあと真っ暗になっていた。真っ暗な画面に息を止めるほどびっくりし、
その時初めて朝の出来事を不思議なことと意識した。

夜帰宅した主人に、こんなことがあった程度に話をした。

その日の深夜、家や庭や木を触る時は慎重にした方がいいこと
、心配な時は何か助けになるかもしれないと、
子供達に残すつもりでブログを書いた。


=====

【もしも迷い、悩んだときに思い出して・・・】

築66年になる我が家の
リノベーションが始まりました。

数年前まで新築を考えていましたが
紆余曲折を経て
49歳の若さで亡くなった義父の
遺していった我が家
これまで歩んできた歴史
家に対する主人の夢
全てを尊重して
リノベーションの選択をしました。

本当に天井も床もガタガタ
その天井や壁を剥がされた宅内を見て
本当に感動しました。

見ていた天井や壁は古びていたけれど
その奥から梁や天井
本当に美しいと思える木々が
現れました。

大屋根の太い木には
亡父の名前や
棟梁、大工さんの名前も
筆で書かれていました。

歴史を肌と心で感じました。

………

駐車スペースにするため
裏庭の木を無くさねばならないこと

その中から一本だけ残すために
表の庭に移植すること

玄関周りの造り上
今ある庭石を
動かさなければならないこと

庭石や木を触ることに
大きな抵抗と不安を感じました。

何かお障りがあってはいけない…

仮にあったとして
私が被れるならいいのだけど
主人や子供達は絶対に護りたいという
強い気持ちがあるからです。

親しくさせていただいている
先生のご主人が神主さんで
助言をいただきました。

お米、お神酒、塩、水

心で唱えること

今までありがとうございました。
これから場所を移しますが
これは我が家の発展のためです。
これからも我が家と我が家に
関わる人のことを守って下さい。

私がすっきりするために
手を合わせに行こうと思っていたら
主人も一緒に行くと言ってくれて
朝二人で庭石と木に
手を合わせてきました。

心が晴れました。

これから先の人生で
我が子たちに何か迷うこと
悩むことがあったとき
参考になればと
備忘として。


色々な人が
支え助けていただけて
感謝の気持ちが溢れます。


=====
翌日、家族ラインで宮崎駿映画のような不思議な体験をしたと
ちょっとコミカルに家族に伝えた。
アニメにできそう、と。

すると、末娘がネットで検索して
『龍神』について書かれたものを送って来た。
びっくりした。
自分があの時、龍神についてよく書かれている
主人の知人のことを思い浮かべていたからだ。
そんなやり取りをしながら、机上での仕事があったので、
長男の机に向かっていた。
それまで、目の前にあっても目にも手にも触れていなかったのだが、
場狭だからちょっと片付けようとした。
手に取って目に入ってきたのは、

『純くんへ
長い間ありがとう。
時々純くんの中に上野塾長を見つけます。
塾長のような「男」になるのでしょうか。
楽しみにしています。
このはがき、広重の中で一番好きな絵です。
空に向かって泳ぐコイ、コイはやがて
龍となって天に登るそうです。
夢をかなえる大きな龍になって下さい。』

という息子への葉書だった。
その葉書を読んだ時の驚きたるや。
「龍・・・。」
さっきは娘が龍といい、今度はこの葉書にも龍。
その葉書を裏返して、再び衝撃。

広重の絵。
あの日私が、一瞬見た気がしたあの生き物の顔はそれと同じだったのだ。
フナやコイなら知っている。
でも長かった。うなぎやナマズじゃなく長かった。
顔はそうコイだ。コイはやがて龍になるの・・・?




=====

あの生き物が止まった場所の傍が神社。
相談した先生のご主人は神主さんだから何か関係があるのかもしれない。
なんとなく、ご主人が祈って下さった時間と
私があの不思議な光景を見ていた時間が同じなのではという気がしていた。
自分が不思議な体験をしたこと。
神社につながりがあるのかも知れないと思い、ご主人の神社を尋ねてみた。

話は聞いて下さるが、普段あまり深く詮索をする方でないのに、
不思議体験が気になると珍しく尋ねられた。
途中まではメールに打っていたが、なんとなく気味悪がられるかな、
と途中で手を止めていた。
これは言ってもいいのかもしれないと思い、一連のことを伝えた。
驚くような返信が来た。


=====

不思議な話を共有させていただいたら、逆に不思議な話を聞きました。

あの朝、主人は、白衣装で行き先を言わずに出掛けました。
(私も行き先は聞きませんでした。)

そして今初めて、行き先が、市内の川原であったことを聞き、驚きました。
川原の場所は、太陽と伊自良の土地との関係性で決めたそうです。

川原に降り、家で書いていった文を読み上げ、その場で紙を燃やし、
「繋がるなら、川をつたって伊自良に行き、お守り下さい」
というようなことをお願いしたそうです。

そのお参りと上野さんが見られたものとが
関係あるかないかは分からないそうです。

ただ、きっと上野さんが川で見られたのは龍で、
葉書は、自身の正体を伝えたのではないかと。

すごいなぁと
何度も言っていました。

それで、もし龍であるなら、その見られた場所(川)に御神酒をまいて
お礼を伝えるといいかなあと話してました。

=====

私が見たものは龍だと、確信した。

龍。龍…。何度か頭で浮かべるうち、
『家の周りを龍が回っている』と上野の母が言っていたことを思い出した。
詳しく知りたいと思い義妹に尋ねた。
「お父さんが辰年だった。」
と開口一番で出て、鳥肌がたった。それかも、と。
後から記憶をたどり、連絡をくれた。
「場所は忘れてしまったけど、
この家の屋敷のどこかにお父さんが守ってくれていると聞いたことがある。
お父さんが亡くなった時、お母さんが夜になると軒先に座り、
庭を眺めている日が数日続き、その時の後姿が忘れられない。
あれはお父さんと話していたんじゃないかと思う。」

母が家の周りを回っていると言っていた龍と、
義妹が屋敷のどこかに守ってくれていると聞いたお父さんは同一だと思った。
ここで守っている。
そして、主人がこうして家や庭を壊してしまわず
生かして再生しようとしていることを
喜んでいるということを父が伝えようとしている。そんな気がした。

瓦の撤去作業の間、二日間ブルーシートが掛けられていた家の周りの庭木が、
てっぺんだけ焦げたような、不思議な変色をした。
それは普通でない感じだった。
一瞬、庭を触ったからお障りがあったのではと過ぎりそうになったが
すぐに打ち消された。
これは、
「ここにいるぞ。」
と父が伝えたかったんじゃないか、と。

不思議な体験はなんだか納得できて、笑われそうだけど、
そうだと確信して、信じている自分がいる。


=====

昭和29年に今の地に上野邸は建てられました。
父が27歳の時です。
上野家系は神様として御嶽山を信仰していたようです。
これは今もお祀りしています。
その御嶽山の巾着袋に働いて稼いだお金をためて、
そのお金で家を建てたそうです。

次男だった父が本家から新家として出るにあたり、
その方向が北東の鬼門出になるので、家を建てる際、
大黒柱の下に金の御弊が入っていると伯父から聞いているそうです。

若くして、当時の新家としては立派な家も建て、
周囲の人が「けなるがった」(羨ましがった)と隣人の方に聞きました。
そこで所帯を構え、時が経ち、主人が産まれるのと前後して
長男(主人の兄)が病気で亡くなり……

(中略)

その後、縫製業が軌道に乗り、
外注で縫子さんに仕事を出したりして夫婦で忙しく働いていたようです。
義妹から、みんなが反対したのを聞かず、
父は今のお庭を造って亡くなっていったと聞きました。
どうしてもお庭が造りたかったのでしょう。

それから病に伏し、主人高校2年生、妹5年生の時に亡くなっています。
妻や子を残し、それは無念だったに違いありません。

数年前に家を建て直す話が出た時、というかそれ以前から、
私は家を建て直すことに何故か気が乗らず、家欲もありませんでした。
でも、主人は人生における夢とずっと言っていたので、
なんだかんだ言っても傍らで添うつもりではありました。
いざ、動き出そうとした時、主人の恩人の奥様に
「この3年は触らない方がいい。」
と止められ、2020年まで待つように言われました。
その待つ期間は、本当に色々なことが上手くいかず、
悩み、停滞、清算の時でした。
2020年が近づき、行動を起こす準備段階で、
ずっとお願いするつもりだった大工さんと会い、
見積もりを取るために、解体業者の方を連れてみえました。
その際に、道が狭いために4トン車が入って来られないから壊せない、
壊すにしても重機を入れたり、
資材を置くために隣の畑を借りなくてはいけないといわれ……。

(中略)

振り出しにもどり、夢が打ち砕かれ消沈している時、
「新築が無理と言われるならこの家をいかしてリフォームにしたらどうか」
と二人で話始めました。
そこから3社に提案と相見積をお願いしようとなりました。
一件は前出の大工さん。
もう一件のリフォーム会社。
そしてお願いすることになった会社。

大工さんは予算も日にちも相当かかると言われ、
リフォーム会社からもかなり予算がかかるから
新築の場合の提案もさせて欲しいと言われ、
そしてもう一件の方は
「木は50年こえてから安定してくるものだから、
これから良くなる時にみんな壊してしまう。」
というような話もされ、委ねたいという気持ちになりました。

前出の大工さんには、ずっと
「家をつくる時は頼む!」
と言っていたので、主人も気にして、
気持ちを伝え、断りの連絡を入れていました。
そう言うところがあの人の尊敬するところです。
もう一件のリフォーム会社からは、こちらからではなく、
相手方から、健康と会社が上手く回らなくなったから
申し訳ないと直筆でお詫びの手紙が届きました。
それにも丁寧に返事の手紙を書いていました。

新築にする話をしていたころ、庭も全部壊して屋敷にするとか、
半分冗談も含めて、義弟と夢を語ったりもしていましたが、
最終的にはこの庭は残したい、
おやじの遺していったこの家をどうにかしていい形で
生かしたいという気持ちが高まり、そのように進んでいきました。

あんまり家を触りたくない、今のままでいい。
気乗りしなかった私が、この家を生かした形ならいいな、と思えたこと、
本当に時期が来て話が進んでいったこと、
やっぱりそう『なるようになっている』んだなあと沁みています。

家も庭も残り、きっと父も母も喜んでいると思います。




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