虹の架け橋

2004年の44歳から綴ってきたブログ。塾長として、男として、父親として、そして爺として、感じたことを記した記録。

GWの男たち①

2010-05-05 | 塾長日記
今年のGWに出会った男たちの紹介を連載します。
本日は志道館学園、美川塾長の奥様のお父様との出会い。

まずは出会うまでの『プロローグ』
5月3日、午前10時に自宅を出る。
東海環状道に乗ってまずは山梨へ向かう。
すると「せと赤津」で車の横転事故に遭遇。
30分待っても全く動く気配なし。
出口手前で待っていた私は、出口に向かう。



ICHIROトラックには、文明のナビが付いている。
ナビなど信じた私が馬鹿だった。
富士宮に目的地を設定したナビは実に忠実に
私を最寄の高速のICへ案内しようと懸命に
新ルートを検索する。
それを信じた私は・・・。
なんとまた「せと赤津」の入り口に来てしまった。
私はナビの声とは逆の方向にルートをとることにした。
なんとかナビの樹海を脱した私は東名三好ICにたどり着いた。
ICに入ったICHIROトラックは暫く快調に走行。

するとまたナビの呟きが・・・。
豊田ジャンクション手前で渋滞と・・・。
ナビは「真っ赤か」の表示をする。



プロローグが長いが、
ひとり旅は気が楽だが独り言が多くなる。
ひとりで、ぶつぶつ呟く自分が惨めになる。
やっとのことで富士川SAに午後4時半到着。
ここまでの所要時間、6時間半。



美川さんに連絡を入れ、美川さんと富士川SAのETC出口で会うことができた。
「やっと話ができる・・・」って言う心境。
そこから静岡との県境の山梨へ移動する。
美川さん「かなりの田舎だから」って言うが
私自身田舎に住んでいるので、何も違和感などない。
予約してあるビジネスホテルのチェックインは後回しにして
とりあえず美川さんの奥様の実家へ。



正面にはこのように茶畑が広がる。空気が澄んでいる。
玄関で奥様のご家族に迎えられた私は早速居間に通していただいた。
すると机の上にはビール、旬のタケノコの煮付け、タケノコの刺身・・・。
夕方から美川さんの奥様のお父様と美川さんと私とで酒宴が始まった。
芋焼酎もいただき三人とも酔っ払い状態。
美川さんが「予約のホテルどうします?」って。
私「動きたくない。玄関先でもどこでもいいのでここに泊めてよ」って。
酔っ払ってくると実に勝手なことを言う私。
お父さんも「よし、それでいい。泊まっていけよ」って。

美川さんがホテルのキャンセルしてくれ、
キャンセル料も全くかからないようにしてくれた。
タバコを吸いに外に出た私と美川さんを見たお父さんは
缶ビール3本持って外にみえた。
気持ちの良い屋外で辺りが暗くなっても酒宴は続いた。

なんとこのお父さんの仕事・・・。
名刺の肩書きに
東京大学 地震研究所/技術部総合観測室/富士川変動観測所
地殻変動のデータを収集し統計をとるのが仕事だそうだ。
昼も夜もない、地震予知も含めていつも神経を尖らせている。
今日はそんなお父さんの仕事話などを聞くと
よく岐阜に来られると仰った。

私の妹の旦那が岐阜市黒野で電気工事を行っているのだが、
以前その義弟が「東京大学の先生の地震計の設置の仕事をしている」って言っていた。
話を良く聞いて行くと、このお父さんの仕事を私の義弟が
請け負っていたことが判明してきた。



世間は狭い。
こんなところで繋がっていたなんて・・・。
温かいお父様でした。本当にありがとうございました。

<ご家族のみなさま>
突然の宿泊を伴う訪問、ご迷惑をお掛けしました。
夜のお布団、暖かったです。
朝のおみそしる、焼シャケ美味しかったです。
朝風呂まで用意していただき、本当にありがとうございました。
渋滞の疲れなど吹っ飛んでしまった5月3日でした。
コメント (8)
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