ピアニスラー

ゴールド・フィンガー、ハイパー・ピアニスト矢沢朋子のブログ

Bunkamura三昧

2006年11月25日 | 文化・芸術
渋谷のBunkamuraで大阪から東京へ出張中のリエコちゃんと11:45に待ち合わせ。

12:55からの『クリムト』を鑑賞する前にドゥ・マゴで腹ごしらえデス

関西人のリエコちゃんは「東急デパート」は初めて。

「そういえば『伊勢丹』は知ってるー?」「それは知ってる!あるし!」「そうかー。じゃ、西武は?」とか聞いてるうちに笑えるネタが

「最近丸井が出来たんだけど(京都だったか神戸だったか忘れた・・)、最初アノ『O l O l』というのが分からなくて「ん?ハングル語?』とか思ったのー」って

わはは!なるほど!!そういえば!

とか楽しく腹ごしらえをして、『クリムト』鑑賞です。

先々月あたりに確かクリムトの姪だったかな?が1点有名な絵を手放してサザビーズで史上最高値とかでアメリカ人に競り落とされてたよね?

ところがクリムトが息を引き取った時に付き添っていたのは、愛弟子のエゴン・シーレだけだったらしい。

ああー・・芸術家の人生は厳しいなー・・

クリムトがパリで成功するとウィーンでも認めたり、画風を変えると手のひらを返したように批判する地元の評論家たち。芸術家のスポンサーである気位の高い貴族やエリートたち。神経症の母親と妹を抱えたクリムトの救いは:スポンサーである上流階級の夫人から絵のモデル、お手伝いのメイドたちと深~い交流を持って、梅毒ながらもあちこちにコドモを作ったということだろうか。絵画の他にもいっぱい作ったのねっ

映画の構成自体はクリムトのかなりファンでないと分からないような作りながら、当時のジャポニズムのインテリア、今見ても素敵なドレスや髪型、お化粧、洗練された「男女愛」でアダルト・ムード満点

「赤のシルクのガウン見に行く?最強の勝負服よねっ」と終演後はリエコちゃんと盛り上がったけれど、そのまま話題の『スーパーエッシャー展』に。

久しぶりに「牛歩」しました。

すんごい混雑!

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/86/883749b3ca790f3dd5fe4657a26f1932.jpg

それでも見れて良かった

半世紀以上も前に、CGのプログラミングのようなことを「版画」という手仕事でしていたエッシャーという人は宇宙人なんではないか

と2人で大カンドー

会場には美大生ぽい人たちも沢山いたんだけど、みんな「信じらんない・・・」といった風情。コンピュータを使えば出来そうなことを、そんなものもない時代にCGの空間構成をしてるんだから。当時の最先端の数式を用いた(今だって数学専門でないと習わないけど)画面構成。

「マヤ文明の遺跡」は宇宙人の仕業だ。当時の古代人にそんなことが出来る訳がない。という説を払拭するような世界が広がっていました・・・

ああー・・音楽はこの時点で美術よりかーなーりー遅れをとったなー・・という気分。

そして更にカンドーしたのは:1969年にローリング・ストーンズのミック・ジャガーがアルバムのジャケとしてエッシャーの作品の使用を申し込んで断られたのに

なんとなんと1970年に日本の『少年ジャンプ』が3週に渡って表紙をエッシャーの作品で飾っているという

当時の『少年ジャンプ』は「明日のジョー」の大ヒットで100万部売れていたのと、編集長が相当のセンスだったね。

マンガは日本が世界に誇る文化の1つなのに、長い間「娯楽」という地位に屈してたわけだ。当時の編集長は「エッシャーなら分かってくれるかも」と思って頼んでみたんだろうね。

そしてエッシャーは日本のマンガ文化を評価して自分の作品の使用許諾したわけだ。

なんかいい話しじゃな~い?

エッシャーが好きと言ってたエンジニアのタカヤマさんを思い出したので、お土産のポストカードを買って来月の下準備に。ちなみにカレンダーもすごく可愛かったけど、ランチして映画見て展覧会見てカタログ買ったら手持ちが・・・銀行行って戻ってくる時間もなくなって(涙)。来週あたりまた買いに行くかな。BunkamuraのNadiffでも売ってるみたいだし。

その直後に会ったタカヤマさんがポストカードを手渡されて「絶対見に行った方がいいってメチャ混みだけどさ」と作業の横でヤザワにしばらく騒がれたのは言うに及ばずでした

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Comments (2)
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