ピアニスラー

ゴールド・フィンガー、ハイパー・ピアニスト矢沢朋子のブログ

賛否両論:レ・パラダン

2006年11月12日 | 文化・芸術
Bunkamuraオーチャード・ホールで全4回公演を終えた『レ・パラダン~Les Paradins 遍歴騎士~』。

お疲れさまでしたー♪
3日目の公演に行ったというシバちゃんと電話で盛り上がるし

ひとくちで何度でも美味しい公演でした

でも前評判通り、賛否両論だった模様。

シバちゃんが行った3日目の公演では、始まって10分もしないうちに席を立って帰ってしまった人がいたんだって!

ソレってどっか別のライバル音楽事務所かプロモーターとかのヤラセのサクラなんじゃなーい

とか思うほどヤザワもシバちゃんもアツく語るし。

でもやっぱり純粋なバロック音楽のファンやオペラ・ファンの「原理主義」な方たちにとっては受け入れがたく理解不能な過激な演出だったのかも。

演奏が正統的で素晴らしいだけに、「邪道だ」と思う人もいたんだろうね。

ヨーロッパのオペラハウスがある国では、もう古典的な正統派の演出は観客が見慣れているので新しい演出を楽しみにしているし、こういったハイパーな演出の出現を喝采を持って受け入れる土壌が日本とは違うということもあるとは思う。

それになんといっても日本人は「マジメ」で「純粋主義」な傾向があるからね。「肉食人種」のコユい表現も日本人の美意識にはトゥー・マッチだったのかも。まーソレもあと何年かすると変わってくるとは思うけど。なんたってこんなに日本にはオペラ・ファンとバロック・ファンがいるんだもん。きっとそのうち「洋食」では物足りなくなると思うな。

ヤザワはやはり映像とダンサーの演出と、歌手の芸達者ぶりに度肝を抜かれました

オペラといえば、ベルカント発声法で超絶技巧を披露するため、「演技」のために体力を消耗するような演出はなかなか躊躇していたところがあると思う。

それが、この「レ・パラダン」ではまるでミュージカルのように歌手が舞台を走り、踊り、歌っていたの。最初はコーラスの歌手は「ダンサーの群舞」だと思ってたんだから。全然デブじゃないし。

「ん?コーラスは舞台袖か??」と思ってたら、歌ってるんじゃない

すごいなー・・まるでミュージカルだぞー・・しかもマイクなしで・・どーゆー体力なんだ

とまずボー然としたね。オペラ歌手も大変な時代になったなー・・でもみんな楽しそうで生き生きとしてるし。やれば出来るという前例をこの「レ・パラダン」で作ってしまったので、後に続くオペラ歌手は大変だぞー・・

ヤザワ的には:このように歌手の新たな芸域を広げる演出をしたんだから、ベルカントでもマイクを使って軽く増幅した方がいいんじゃないかという気がした。それは「声量」を増幅するということではなく、「表現」を増幅するという意味で。音響のクレジットがプログラムに入っていたから、PA(パーキング・エリアじゃないよー。増幅だよー)してたのかもしれないけど。だとしたらもうちょっとしても全然いいと思ったなー

踊ったり走ったりする足音に負けないように声量をキープすると、どうしてもダイナミクスがフォルテとかに限られて、綺麗な声で素晴らしくても「表現」がフォルテとかメゾフォルテくらいの幅になってしまうと思うの。ただでさえオケとの共演なんだし。「大声量」に価値を置くオペラ。生身の人間の声がこんなに響く、ということがまず驚異的で感動的なことではあるんだけれど、そのへんの「聖域」にもそろそろメスが入ってもいいんじゃないかという気がしてきた。

ハイパーな演出の中に取り残されたような改革の余地あり部門に思えたなー
でもきっとそこは本当にオペラにとって「聖域」なんだろうなと。

映像とダンサー(歌手も)の演出は本当に楽しめました。

古典バレエのバレリーナの動きとなったオリジナルの「蝶」や「鳥」に自在にダンサーを化けさせた映像とシンクロさせた振り付けで、四次元的な空間を表出させることに成功していたと思う。映像のダンサーと実際に踊っているダンサーを見させる配分の演出が本当に絶妙だった。まるで影か分身が異次元を行き来しているような感じ。

古典バレエの振り付けの元となった生物にダンサーの映像が変化する時のバックは、さわやかな空に雲が浮いている映像。これはルネサンス(人間復興)をリンクさせたものなんだなあと。訓練を積んだ人間が、蝶のように舞い、鳥のように跳躍して「白鳥」などに扮するバレエ。それのバックにヨーロッパの宮殿の天井画のモチーフを持ってくるセンスが素晴らしいと思ったの。天井画はフツー「天使」だからね。演出の人がいかにダンサーや歌手をリスペクトしているかということが分かる。

このダンサーと映像のダンサーが入れ替わるような演出を、古典バレエの「ジゼル」のウィリー(妖精)たちが夜に森で踊るシーンに使ったら本当に幻想的なんじゃないかと思ったの。ジゼルは亡霊になったり妖精が出て来たりと、幻想的なストーリーなんだから、ウィリーの群舞の足音とか聞きたくないなーって。群舞の人数減らして、幽玄的な感じの演出を見てみたいなーってなんだか思いついて。

昔の物語なんで、今の技術を使ったら素晴らしいものが再構成されるんじゃないかと、この「レ・パラダン」を観て思ったわけだ。それほどこの演出は古典芸術の可能性を提示したと思う。別にヤザワはバレエの演出家でもないから、そんなことは呟いても誰も実現させてくれない独り言にすぎないんだけど。演出シロートのヤザワがこんなこと思うくらいだから、フランスでいかに熱狂されたかというのはすごく分かる。

これからの芸術の方向性と未来を1つ、提示してくれたんじゃないかと。

全裸のシーンも、もちろん「空」と「晴れた宮殿の庭」がバック。宮殿に置かれている裸婦像や裸夫(?)像とリンクさせた、人間讃歌を表現したもので、観ていてちっともいやらしくないし、楽しかった
「嫉妬なんて気にしないで大きな声で歌って笑おう!」という最後のメッセージも良かったなー!

フランスから日本に来てくれて、素晴らしい公演を見せてくれた「レ・パラダン」のプロダクションに感謝感激でした

Comments (2)
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