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ゴールド・フィンガー、ハイパー・ピアニスト矢沢朋子のブログ

『マザー・ツリー』読破:文芸という壁

2023年08月08日 | 文化・芸術

ついに読破  Kindleのライブラリの片隅で読みかけ15%のまま3ヶ月からの完読

 

出戻り台風6号の影響はさほど・・ではありましたが、1っ発目が凄くてその片付けも終わらないうちに来たから1週間ほどのんびりと暮らしました。ひとえにウチは停電にならなかったおかげ。止まってる信号機もありました。

スーパーは生鮮食品の売り切れやらで、1週間でこれかと怖くなりましたね。沖縄の自給率は30%ほどなんですよ。農産物のメインがサトウキビなのでね。大豆とか乾燥豆をストックして納豆でも作ろうかという気になった。納豆菌ならそこら中にいるし、包む葉っぱもススキやら月桃やら豊富だし。豆腐も作ればいいし。

 

なんてことを考えるほどヒマだったので、本を読んでゆっくりしてました。充電さえしておけばKindleは停電になっても暗くても読めるから便利だということに気がついたまあスマホでもタブレットでも読めるけど。

 

15%まで読んで放っておいた『マザー・ツリー』を修行のように読みました

60%あたりから急に文体が変わって「は?同じヒト」と思うほど(私にとっては)読みやすくなり:「もしかして前半は筆者の若い時の話だから、文体も若い時に合わせて拙くするというワザを使ってたのか」と思ったり。思い出話っぽくならないように現在形ぽさを追求してたんだろうか

内容は:環境問題全般に関わることで、専門的でもあり、時世のLGB(Tは省く)のことも含まれ、人種問題(カナダの先住民殲滅の歴史)と盛り沢山で完読して良かった。久しぶりに脳に良い本を読んだかなと。

 

『マザー・ツリー』の出だしが読みにくくて止まっていたのは、筆者の女性性、女の感性、女の観点ということを打ち出した文だったので、そういった文に慣れてなくて読みづらいと感じたのだと読後の今は思う。

 

考えてみると世の中は圧倒的に男の書いた文を読む機会が多いので、「分かりやすく明確に短く」書かれている文章が良しとされている。「短くまとめようとすると、本来の性質とは違ったことになってしまう」内容に関しては、これまで読んだ記憶がないんですよ。

男脳が理解できる文体や文章しか出版されてこなかったのかもしれない。どこも男が決める男社会だから。女が「面白い」と思っても、男が理解できなければ「俺はコレはダメだと思うね」とかエラソーに言って。

男仕様の文を読まされることで、男の考え方を押し付けられたり、矯正させられていたのかもしれない、とふと思ったのでした。

 

話が脱線しないようにシンプルにまとめるのは男女の区別なく大衆文学としては正道とは思うけど、このような専門的な内容を大衆が読むとは思えないので、シンプルに短くする必要はないと思った次第。ヤザワのように脱落する時点で、読み進んでもよく分からないと思う。今回、じっくりと読み返したり考えたりしながら読む時間があったから理解できた内容。

 

論文で発表した研究と実験の詳細なやり方も書かれているので、炭素何号だとか、それは放射性だとか、そういう説明箇所もかなりある。そういう合間を縫って、自分の家族の話とか、学会で発表した時の男性研究者の意地悪いエピソード等が交互に記されていて、全体としては日記風のような物語にあえて仕上げている。論文自体は全て発表しているので物語を書いたわけだ。自叙伝というか。だから話があちらこちらに飛んで、しかも専門的な内容でもあるので、情報量が多くて大変だったわけだけど、筆者は科学者なので日々の暮らしはこんなものでこれが日常。

 

そういう自分も自分の暮らしとやってる仕事を1つの文章でまとめたら、まるで分裂症の日常生活のように思われるかもしれない

 

朝起きて→ みんなのトイレの掃除をして→ ゴハンをあげて自分も食べて→ ワイパーで軽く床掃除をする→漬けといた梅を干す→ 洗濯機を回してその間にメールチェックと返信→ Logicでサーリアホの編集をする→ 洗濯物を干す→梅干しを裏返す→編集作業→お昼を食べる→編集をする→ 梅干しを取り入れる→HipHopダンスのレッスンに行く→帰りに食料品の買い出しをする→シャワーを浴びる→散歩→夕飯の支度と夕食→ピアノの練習→猫と遊ぶ→ネットを見る(買い物とSNS)→ストレッチ→本を読む→就寝

 

という感じで、「編集」と「ピアノの練習」に専門的な言葉や内容が並ぶことになるわけだ。梅干しから現代音楽の編集と練習とヒップホップダンスと完全菜食の調理。これで絵を描けば、とりあえず絵についてうんちく言ってみたり。

朝ご飯。オニオン・ブレッドとオーガニックのVeganマッシュルームのスープ(は買った)

玉ねぎとニンニクを炒めてコーンフラワーと米粉の生地の上に乗せてオリーブとドライトマトも

まいうー

オンナらしく脱線

 

『マザー・ツリー』の筆者は2人の娘のママで、趣味はナシ。森林地方で生まれ育って学生の頃から実験と論文と同僚とパブでビールとハンバーガー食べて寝る。の繰り返しで、そこに結婚して育児が加わった。クラシック音楽のコンサートやらオペラはこの先も一生観ることも行くこともないだろうし美術館にも行かないだろうし画集も見ないだろうな。かろうじて娘の習ってるバレエの発表会でクラシック音楽を聴くかもしれない。片方はヒップホップ習ってたようだし。本も文学などは無縁そうで、読むのは論文とか専門書。

 

生活自体は研究(と言ってもかなり肉体労働的。森林生態が専門だから)と家庭生活。この家庭生活の部分が始め、耐え難く退屈で放り出してしまったわけだけど、「なぜ森林生態の専門家になったのか」ということを説明しない訳にはいかなかった訳だ。祖父の木こりの仕事とか、田舎の学生生活についてとか。大学の学部も専門も、なぜそれを専攻したのか、という話をしないとだしね。論文じゃなくて物語だから。

 

女子特有の「自分の身の上話」と男の「俺自慢」ほど退屈なものはない。自分のライフスタイルと関係ない暮らしや悩みを聞かされるというのは台風が過ぎ去るのをじっと待ってるような感じに近いよね。

 

そういえば自分は長らくあまり文学とか小説をさほど読んでない傾向にあったと思う。ここ10年はすっかり陰謀論にハマってたし、完全菜食の栄養とかレシピを読んだり調べたり、世間知らずだという自覚はあるのでドキュメンタリーを主に読んでいた。そして実際、目から鱗が落ちるように面白かった

情操が乾き気味かもしれない、と思ってコレも読みました。

 

内容は、ヤザワ的に・ものすごくつまらなかったけど、文章と構成が、ものすごく上手で驚いた

「文芸」とはこういうことなのかーと改めて敬服。展開がスピーディーでつまらなさを感じない。多人数が語る形式も新しいと思った。

 

小説講座の先生が:「事実を事実として書くのは文芸ではない。それはただの事実で、誰にでも書けることだから。新聞記事とかが文芸じゃ困るけど」と言ってたことがよく分かる。

 

よく音楽学の友人や知人が、自分の研究の文章や論文を出版社は出版してくれない、と嘆いてた理由が分かった。それは文に芸がなかったからだったのか

 

それで 『マザー・ツリー』は物語にして、しかも時世の話題も入って、環境問題はもうトレンドだしね ということで専門的にしては売れてるのか てか売れないと判断されたら出版はされないしね。

 

筆者にとっては1作目で、映画化もされるそう。文芸スゲー

2作目はもうないだろうけど、確かに論文を映画化は出来ないし、そうなるとどこまでも「事実だけを綴ったカネにならない文章」ということになるわけか。

森林生態のドキュメンタリーに近いけど物語。

書くのは大変だったことでしょう。Good Job

 

 

 

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