ピアニスラー

ゴールド・フィンガー、ハイパー・ピアニスト矢沢朋子のブログ

新元号「令和」1日目

2019年05月01日 | 日常

平成に生まれて平成と共に去ったオスカルとノエル。アガタとパリスライトとヤザワで令和を生きます。

 

猫組は落ち込んでいます。ライトは薄情にも元気いっぱい。ヤザワは・・オスカルが居たことが夢のように感じています。最初からそんな猫は居なかったような気もするし、何か夢を見ていたような気もしてます。

最後のお別れ

呆気ない。猫ってこんなに呆気ないものなのという気分。初めて飼った猫なのに。何というか祖父母が亡くなった時のような感覚。それに比べると犬が死ぬというのは、まるで自分の子どもが死んだような感覚。いや、人間の親には失礼だけど。犬と猫はそれほど違う。オスカルと同じ時期に来て3年前に亡くなったノエルですら、ダメージは半端ない。バニラの時は後を追いそうな勢いで衰弱したし。。

 

オスカルは猫コロニーを作って私を世話係にしてたせいかもしれない。でもコロニーの中でもアガタはヤザワを「ママ」だと思ってるし、パリスもオスカルにはライバル心もあってヤザワの方が好きなんです。要するに、オスカルだけがヤザワより猫たちを愛してたという。

亡くなる1週間ほど前もヤザワの足元で寝てて、感謝されてるというのは伝わるんですけどね。愛されてはいなかった。アガタとパリスのように私の顔の近くでは寝なかったし。

 

素っ気ない男だったよな〜。私の膝に乗って来る時もあったけど。

 魔性の男

パリスは落ち込んで

後悔してるのがひしひしと伝わります。つまらない対抗心でオスカルにつれなくしてしまったこと。でも最期の半年くらいは体調を気遣って、ゴハンを取られても怒らず、1ヶ月間はずっと添い寝もしてたんです。パリスはノエルの時もずっと付き添ってくれたんだよね。

 

アガタもオスカルがよく寝てた場所の近くで寝て、しばらくすると私の布団に入ってくるという、オスカル生前のパターンを守ってます。アガタにはオスカルが見えるようです。アガタは東京の家ではバニラも見えてたようだし。オスカルのお皿を出さなかったら、アガタとパリスがショックそうだったので、しばらく1週間ほどはオスカルのお皿も元の場所に置いて、フードも入れておくと、2人とも落ち着いて自分の場所で食べたという。

 

1週間ほどして「さくら猫」活動を開始しました。

 今回は3匹

1匹は去年の8月に保護して2ヶ月ほどウチに滞在した黒猫コロニーのチビ・ソックスです。多頭飼育現場だった黒猫コロニーのお爺さんは去年の年末に、ご本人が保護されたようで、家は空き家になり猫だけが残されました。お爺さんの近隣の有志の猫好きさん2名と猫ボランティア仲間1名でゴハンは継続、ヤザワとボランティア仲間で手術は続行です。元チビはすぐに捕獲出来ました。捕獲・・というより、撫でながら洗濯ネットに入れちゃうという。それでも大人になっているので、逃げられないようにだいぶ緊張しましたけどね。引っ掻かれることもなく(ヤザワは)無傷で捕獲出来ました。術後は美味しいゴハンあげるから許してね〜

シャム猫ちゃんも

シャムちゃんはあとまだ手術エリアに2匹いるんです。沖縄に来た当初、「何でシャムがノラ猫に」と驚いたものです。目もブルーで美形。子猫の頃に捕獲出来たら飼いたいと思ってます。シャムは気が強いので、大人になってからは家猫としては難しいと思うんですね。庭がある家とか外猫としての付き合いなら、こんなキレイな猫がウロウロしてたら本当に嬉しいですよ

 

そして11月に手術中に亡くなってしまったママ猫の子猫、チャボが、全くその後成長してなくて同じ大きさでガリガリで風邪も引いてるということで

保護しました  

もう半年以上のはずなのに、大きさは2〜3ヶ月の子猫のまま、性質も子猫のまま

ゴハンをあげている多頭飼育崩壊のお婆さんは:「ママが亡くなったショックで大きくならない」と言ってますが、ボランティア仲間では「寄生虫ではないか」ということで、手術の日に一緒に病院に連れて行って先生に相談したら、「おそらく母猫が病気でお乳が飲めず、成長期に栄養不良で大きくなれなかったのと、肝臓が悪いんでしょう。治療したいなら高額な検査になるよ」と言われたので、ヤザワによるホメオパシー投与にしました。

 

ノミが取れたところでパリスのシッター

嬉しくて目を細めてます

パリスにスリスリ、ゴロゴロして、パリスも癒されて行くのが分かります。心温まる風景。しばらくしたらリリースしてしまう予定だけど、しばし栄養をつけて回復してもらいたいもの。

 

保護した時にノミ取り薬のフロントラインを点薬してるんですが、連れて帰って来てお風呂に入れたらまだいっぱい付いていて、弱々しいながらも跳ねているので、パリス、アガタ、ライト全員にフロントラインを点薬し、自分も首に付けたいくらいだ!と思いながら3日ほど毎日ノミ取りクシでブラシして様子を見てたら4日目でようやく全滅したのでした。やれやれ〜。そこで2回目のお風呂にも入れました。(ヤザワの)手は引っ掻き傷だらけですよ

 

それでも美味しいゴハンをあげてるうちに爪も切らせてもらいました。レメディ入りノニジュースも飲ませて。

 

やれやれ〜。でオヤツ

ゴマのクリームブリュレを作ってみました。台湾で買って来たゴマのパウダーにココナッツミルク、豆乳、メープルシロップに寒天と葛粉。激ウマ

 

とか

 

タマゴサンドが食べたくて

作ってみました

材料は蒸したかぼちゃが「黄身」で、塩で水抜きした豆腐が「白身」。あとはフツーにマヨネーズ、塩、胡椒とマスタード。

マヨネーズはもちろん

 

これは全くタマゴサンドでした。全然、分からない。要するにタマゴサンドとはマヨネーズとマスタードの味なんですね。最後にニュートリショナルイーストも入れてB12もバッチリ。味もますます「動物系」的なコクが。しかも卵より身体にはずっとイイしね

 

私はマヨラーじゃ全然ないんですが、タマゴサンドとツナサンドは好きだったんです。これでタマゴサンドは出来たので、あとはツナサンドをどうにかして作ってみたいもの。連休中に挑戦です。

 

それとDJコントローラーをマスターして、長年手付かずだったミュライユの「忘却の領土」を譜読みしたい。けど、腕が痛い 英語の勉強にするかな〜。最近の治療、筋膜リリース注射の後が痛くて

 

29日は宮沢和史さんの復活コンサートに伺いました

 終演後

ご一緒したRBCの菊池さんはザ・ブーム時代もコンサートに行かれてたそうで、「全然変わらない・・」と仰ってました。前半がザ・ブーム時代の曲で、後半が最近の曲。右は宮沢講座受講学生(ヤザワもですよ)なので、世代的に知らない曲も多いんですが、感動してました。声が10代で作った曲は10代の声で、20代だとちょっと大人っぽい声で、歌い分けてるんです。すごい鍛錬だっただろうな〜と、驚愕しました。

 

3年前に首のヘルニアで沖縄の音市場でマイクを置いて、もう引退したつもりだったのが、精神的にも回復して、また同じ舞台に立てたのは皆さんのおかげです、デビュー30周年を迎えることが出来ました、とご本人も感極まったトークをされてました。各紙にインタビューも掲載されて、そこで「無理はしないけど理想に近づいてはいる」という言葉にヤザワも触発されました。

 

アタシも!このまま!誰にも惜しまれずに(←ここが宮沢さんと決定的に違う)「あ〜そんなヤツ(ヤザワ)がいたらしいね」とか言われて終わってなるものか

と決意を新たにしましたよ。新元号に祝い酒しながら

また明日から鋭意・禁酒中で頑張ります

 

YOSHIKIも宮沢さんも無理はしないながらも頑張ってるんだし (相当・頑張ってるはずではあるけど)

 

そういえば何日か前に横浜アリーナでサラ・ブライトマンのコンサートを観た菊池さんは「YOSHIKIが1曲ゲストで(伴奏)ピアノ弾いたんですよ〜」と目を輝かせていたので、思わず「(服は)着てたんですか?」と訊いたら:「・・・着てました。白いタキシード・・」とテンションを下げさせてしまった

ドラムならねえ上は脱いじゃうからさ やっぱりもっと回復して(着ないで)叩いてもらわないと

 

ヤザワも 脱がないけどピタピタ系くらいで頑張りたいと思います

無理はしませんけど

 

GW大連休なんてすぐ過ぎちゃいそう〜

 

 

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