「雨天決行。荒天中止。客席での傘のご使用はご遠慮下さい。雨具は各自でご用意下さい。会場に駐車場はございません。臨時駐車場としてイオンモール沖縄ライカム駐車場(無料)をご利用下さい。臨時駐車場と会場間をシャトルバス(有料)が運行いたします」
なんともマッチョな。というかハードコアなイヴェント。観客は男性オンリー 男性客だけで文化イヴェントが埋まるような土地柄だっけ
と・いささか腰が引けたものの、雨具は畑用のレインコート。沖縄に越して以来、出番のなかった裏ボアのニーハイ・ブーツにレザー短パン、ホカロンも持参でイオンモールに駐車して片道600のシャトルバスで往復した初日。
イオンの思う壺:帰りは腹ペコでイオンで食事して、入り口にあったForever21なるファストファッションで、セールだった手袋とキャップ、オープン・トウ・ブーティまで買って帰ってきてしまいました。楽しかった〜
初日28日と次の日29日の2日は:麿赤兒率いる大駱駝艦の『クレイジーキャメル』。暗黒舞踏〜〜
行ってみれば、駐車場もなんだかあるし、100金ぽいレインコートはくれるし、公演も30分近く押して、みんなシャトルバスとかで到着するまで待っててくれるし。なんだー次はイオンに行かなくていいじゃんーと思ったのでした。
普段は映画館以外ではクラシックのコンサートホールやオペラハウスしかほぼ行かないので、野外コンサートとか、スタジアムでのコンサートとか、空気の悪いライブハウスとかクラブとか耐えられない体質に育っています。コンサートや観劇は快適な室温で音響の良いホールで聞き、幕間にワインかシャンパンか紅茶かコーヒーを飲むものだと刷り込み済み。
ポップスのコンサートは昔、マドンナのスタジアム公演に行って、あまりの小ささ(→マドンナ)と音響の悪さと肌寒さと飲食物の下劣さ(コーラとか)にショックを受けて以来、行ってません。チケットはクラシックのコンサートより高かったと思う。びっくらしたなー こんな劣悪な環境でも、こんな大金払って、しかも立ちっぱなしで聞いてるんだからなー。TVも入ってるみたいだし、後日、放送で見ればいいや。と人垣に埋もれるように座って聞いてました。立ってたってどうせ小さくてよく見えないし。もうポップスのコンサートは二度と行かない。CDでいい。とその時に思ったのでした。クラシックだとCDより実演のほうがイイのが当たり前なのでね。
そんな・ひ弱な・お嬢様育ちのヤザワが:雨具持参で防寒スタイルでまで観たかった暗黒舞踏
沖縄で観れるとは思わなんだ
舞踏は一時、山海塾の追っかけのように、彼らの新作があれば観ていたもの。パリに住んでた時はシャトレ座で観てたし、NYに住んでた時はブルックリンのBAMで観ました。東京でも当然、観てましたよ
1月28日に観た麿赤兒さんの『クレイジーキャメル』は「アングラのヒト〜」って感じプンプン:笑。よくぞ沖縄公演が実現した 毎年来て、聴衆の冷たい反応(ボーゼン状態:笑)が温かい反応になるまで舞踏を紹介し続けて欲しいと切に思う。
海外で大人気なのもよく分かる、極めてジャポネスクなアングラではあったけど、『暗黒舞踏』というジャンルが既にクール・ジャパンすぎてカッコよすぎ。これだけ分かりやすくても外さないんですよ。久しぶりにヤザワ好みの文化に触れて感動しました
あーもー山海塾とかも、また観たーい観ないと感性が腐っちゃう〜 と久々にムラムラとしましたね。
31日は野村万作、萬斎による狂言で、この日はさらにホカロンまで入り口でいただきました。
駐車場は:中城の駐車場が満車で、近くの「成田山」の「中城村民専用駐車場」に誘導され、そこからボランティアらしき無料のマイクロバスが会場まで往復してくれたのでした。
結局:沖縄のヒトは「行けばなんとかなるさ〜」で、遠く離れたイオンになんかわざわざ停めないんでしょうね。チラシなんか読まないか、読んでも知りたくないことは頭から消えるんですよ。見習わなくては
内容的には:野村萬斎の解説がとても良かったです。鼻が真っ赤で、インフルエンザなんじゃないかと心配しました。筋肉注射で症状を抑えてるんじゃないといいなーと
廃墟の城跡をバックにした狂言も舞踏も、それは素晴らしい舞台セットで、能楽堂で観るよりホールで観るより素晴らしかったです。
「クレイジーキャメル」はバックの城の壁までも使った照明で、さすがに洗練されていました。上演する場所の環境に合わせて、演出も練り直すんでしょうね。狂言のほうは:舞台に白木作りのセットでいつもと変わりなく、バックに「松」の代わりに城壁だったのが風情があって良かった。そもそも発祥はこんな感じだったんじゃないかと思いましたね。
野村萬斎も50代になったかーと感慨深いものがあります。キムタクが50歳になっても同じように思うでしょうね
世界で活躍する舞踏を観た後だったので、余計に・世界に発信する必要のない「保護された芸能」の揉まれてなさ加減、品のいい中庸さというか・・芸術とは一線を画す伝統芸能の緩さというか・・そんなようなことを感じました。沖縄で琉球組踊を観ると、さらにさらに・そう思います。それが悪い訳じゃない。その土地、固有のものだから。当然・保護も必要。
ただ・これが玉三郎の歌舞伎だと「芸術だ」と思うんです。猿之助でも芸能だなーと思った記憶がある。山海塾は当然・世界的なアーティスト集団。もうダンサーを超えている。何が違うのかと言われると、海外公演を「ジャパン・ウィーク」という括りで行わずに成立出来るか。ということだと思う。玉三郎は、ブルックリンのBAMのシーズン・プログラムに入ってても不思議じゃない。能と狂言ならジャパン・ソサエティかアジアン・ソサエティ主催がいいと思うし。文楽もビミョ〜だなー・・BAMに進出なるかやっぱヘンか
話は戻って・・
萬斎氏の解説は本当に分かりやすく、面白く、この解説なしでは成立し得ないと思いました。
現代はあまりに低俗で品のない映画やTV番組に慣らされているので、狂言ですら。こんなに気取った堕落の道を歩んでしまった。と思いましたね。落語や漫才(イジリ系でない芸のあるもの)に通じる庶民的な持ち味が、格式張って逆につまらなくなってしまっている。萬斎氏もそのへんは危機感を持っておられるのだろうなぁと推察してみたわけです。
一世を風靡した、かつての時の人:和泉元彌氏のように、協会から追放されて・狂言の自主公演を各地で開催しているほうが、本来の狂言というキャラクターに近いような気がします。内容的にも、能楽堂で気取ってやるより、地方公演で拍手喝采を浴びるような土着的なものなのではないだろうか。「そういえばどうしてるのかな?」と検索してみれば、ウィキに「狂言師(自称)」などと書かれてますが、協会主催の公演に出演していないだけで、公演をしているのなら紛れもなく狂言師でしょう。そういう権威主義が狂言を堕落させたと思いますネー
人間国宝の万作氏は「味のある見事な芸」を披露していましたが、見事な芸より、面白可笑しくあるべきものなのではないかそれが狂言の持ち味なのではないかと、国宝を観ても何かこう・・すっきりとしませんでした。なんか方向が違うんだよなー
先月の台湾での休日で、東京の友人が:「茶道というのは形式張って(普及させたことで)堕落した。利休の頃の茶道というのは、もっと面白いものだったと思う」と言っていたのを、ふと思い出しました。台湾の茶芸が楽しいし美味しいので、「日本の茶道って不味いし気取ってるし何なのかしらね」と・ふと話題をふってみたんですよ
やっぱり・せめて・2ヶ月に1回くらいは
こういうことをウンチクと考えさせられる公演を観たいもの
来月、山海塾、観に行っちゃおうかなー
思い出して検索してみたら、何と・あったんだよ神の思し召し