ピアニスラー

ゴールド・フィンガー、ハイパー・ピアニスト矢沢朋子のブログ

オスカル永眠

2019年04月18日 | ペット

2019.4.18 AM7:24, 矢沢オスカル「虹の橋」を渡りました  

 

里親で引き取ったので、正確な年齢は分かりませんが、歯の状態や背骨などの状態、動体視力の感じからして8〜10歳くらいなのではないか、という獣医さんの見立てが2009年。丸10年の付き合いでした。確かに20歳に近いか、純血種だからミックスよりは寿命が短くて15歳〜17歳だった感じはします。

 

ここ半年ほどは左後ろ脚が痛むようで引きずるように歩いてたのが、2ヶ月前からは方向転換も大変そうではありました。それでも椅子の上には飛び乗れてたんです。

 

腎臓が悪かったり膵炎で危なかったり、何かと病弱ではあったけれど(だから捨てられたんでしょうね)生命力というか、人生に対する明るい展望というか気楽さを多分に持ち合わせている気質で、それで病気も乗り越えて天寿を全うしたと思います。

 

「矢沢さんに飼われてなかったらこんなに長生き出来てないですよ、この子」と、獣医さんにもホメオパスさんにも言われましたが、前のワンコ、バニラの看病のすぐ後だったので、看病慣れしてたのと、ホメオパシーを本格的に使い出すきっかけ(私自身はホメオパスじゃないし資格も持ってない)にもなり、私にしても学んだり気づいたりすることも多く、運命の出会いだったと思ってます。オスカルと会わなかったらホメオパシーを勉強しなかったと思う。結局は自分もそのおかげで随分と救われたんです。

 

2年前くらいから、オスカルは膵炎の他に癌もあるな・・と薄々とは思ってました。5キロ近かったのにどんどん痩せて、3キロ切るくらいになってたんです。猫で5キロから3キロになるなんて激痩せだから。

 

それでも病院で癌の検査をしたり治療は受けさせませんでした。猫に:「苦しい治療(抗癌剤とか手術)だけど、頑張れば長生き出来るからね」と納得してもらう理由も見つからなかったし、痩せてはいても本人は楽しそうに暮らしてたから。何も過酷な治療でQOLを下げることはないと思ったんです。

 

自分もそのように生きたいのでオーガニック食品を食べたりしてるわけですが、いざ病気(癌とか)になったらパニックになってしまって、辛く苦しい「短命治療」に走ってしまうかもしれません。分かりません。人間は煩悩が多くて不幸な動物だと思います。「いま、ここ」が本当は1番大切だとは思うけど、将来を見据えて色々と画策してしまいますからね。挙句、後悔に苛まれたり。スティーヴ・ジョブスほどの人でも自分の死は受け入れ難かったんですよね。。

 

オスカルは私の初めて飼った猫でした

元・地元に捨てられていたのを保護されて、ウチに来て、沖縄まで連れて来られたんです。ブリーダー繁殖猫にしても、同じ出身地だったので、寂しい

 

本当に美猫で、オスカルを見た人は息を呑むか感心するかで、私も自分のファーコートがどれもみすぼらしく思えたものです。毛皮を止めるきっかけにもなりました。

 

半年ほど前から脚が痛くなってからは毛づくろいが出来ず、いつもツヤツヤで綺麗というわけにはいかなくなってました。かと言って風呂にもそうしょっちゅう入れる訳にもいかないしね。

 

ガリガリで骨と毛皮だけなのは撫でると分かったけど、機嫌も良く、食べても食べてもお腹が空くようでパリスのもアガタのご飯まで食べてしまってたんです。パリスもアガタもオスカルが具合が悪いのは承知で食べさせてあげてましたね。それでパリスまで痩せちゃって。。

 

トイレも間に合わないことも何回かあり、オムツも履かせてました。オムツをしててもトイレでするんですよ。まあオムツはオシッコ吸収だけなので、ウンチは床に落ちてたりすることもありましたけどね。

 

寝室のカーテンを開けてまだ冬の暖かい(沖縄だから)日光で、みんなと布団でゴロゴロするのは至福のひと時。1匹減ってしまうけど

 

昨日の朝ゴハンまではモリモリ食べて、昼過ぎから具合が悪そうに座ってるなと思ってたら横になって、そのまま危篤状態の長距離マラソン状態になったのでした。

 

「ついにお別れの日がきてしまったか・・」と暗い気持ちにはなりましたが、何匹か看取った経験から:「これは一晩はかかるな」と直感し、ハッハッハッハッと苦しそうに全身を波打たせて横になっているオスカルに「ちょっと買い物に行ってくるよ」と声をかけて、パリスとライトに「オスカルの側にいてあげてよ」と頼んで2時間ほど出かけました。

 

帰ってくるとクッションにオスカルの姿はなく、「あれ?復活したか」と驚いて探すと、部屋の気温の低い所で横になって、やはり喘いでいるので:「やっぱり今晩か」と思い、除湿をかけて部屋の温度を低くして、みんなで付きそうことにしました。

ずっと苦しそうにハーハー状態でしたが、途中、また例によって「中休み」的に呼吸が落ち着く時間があり、その時にオスカルは何回か立ち上がって自分で向きを変えたり、中腰でオムツにオシッコもしたのでした。水も飲もうとして歩いたので、口元に持っていったら、匂いを嗅いで考え込んだような顔をして、「やっぱりやめよう。気分悪くなる」という顔をしたのでした。

 

それからまた横になって、今度はスヤスヤと気持ち良さそうに寝出したので、アルミシートの上にシートを敷いた上よりはクッションの上にシートを敷いた上の方がいいんじゃないかと思って移動させると、「ん。いいな」と尻尾を振って合図をしたのでした。

 

パリスとライトのクッションも近づけて、みんなで仮眠のように何時間か眠り、オスカルの苦しげな息づかいでまた目が覚めて、そこからはフィニッシュ、最後の頑張りが始まったのでした。

 

「アウ〜 アウゥ・・」と苦しそうに目を見開いて2時間強。

「大丈夫だよ〜。上手くいってるよ〜。大丈夫」と言いながら首の後ろを撫で、自分が疲れると前足に触れていました。

 

ちょうどこの記事を読んでたんです。

なぜ台湾では人が穏やかに死ねるのか

 

猫なので「全然、大丈夫じゃないぞ〜苦しいぞ〜」という気持ちが伝わってはきました

荒かった息が落ち着いてきて、感覚が長くなってきて、手足を伸ばし出し、先に心臓が止まってしまったようで、息を何回かしようとして・・出来ない!という本人にしてみると驚きの表情をして、最期となりました。

 

危篤状態になった時点で病院に連れて行けば、モルヒネで安楽死させたと思うんです。

ただ、「これで死ぬ」とは本人たちは絶対に思ってないはずなんです。みんな「なんで」って顔をするんですよ。これまでモルヒネで安楽死させたのはバニラだけです。本当に可哀想な死に方をさせてしまった。無駄な延命治療をさせて

 

オスカルは最後に食べて飲んでからウンチもして(力がないので食べるとすぐに出る)、そのまま16時間以上何も口にしなかったのでノエルよりは苦しまなかったんだと思いました。犬だと「お水飲む?」と勧められると、気分が悪くても断ると悪いと思って飼い主に気を遣って飲んじゃうんですよ。それで余計、断末魔になってしまうんじゃないかと今回、思いました。猫は「嫌なものは嫌」で飲まないから。それが良かったんだと思う。

 

 オスカルのフォトチャンネル

 

今日は1日、みんなと過ごして明日は荼毘に付します。パリスはずーっと昨日から付き添ってくれてるんです。アガタはちょっと離れたところで見てました。今も近くじゃないけどオスカルが見えるところにいるんです。

 

これでノエルとオスカルがいなくなってしまって東京組はヤザワとアガタの2人になってしまいました。。

 

オスカル、ありがとう。ノエルによろしくね

 

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする