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Le ton fait la chanson,le ton ne fait pas la chanson.

<創る>がテーマのアイディア帳。つくるココロを育てます pour votre creation d'avenir

『 CoCo 』

2008-01-21 | ●Conte 物語の部屋

      フライング気味に道路に出しておくべき看板は、コードが巻かれた状態で地下へ続く階段の前に置かれている。

 階段を降りきったところにある店の入り口らしきところから、かすかに光がもれていた。

 「 店、やってる? 」   そういいながら、2人連なって階段をそ~~っと降りる。 別に悪いことしてるわけじゃないから、ふつうに降りればいいんだけど。

 オフィス街の休日というのは、平日と比べてびっくりするくらい人がいなくなる。 ましてや夜。 出先から、なんだかんだでここまで戻ってきて、気づいたら20時半。 何か口にするために、事前に調べておいたアフリカ料理店にいってみることにしたわけだが・・・・・

  

    階段を降りきって、ドアの前に立ち、そーっと(どうしても、こういう動きになる。)ガラス戸の隙間からレストランの店内を見てみた。

  「 誰かいるよ。」

  私は振り返り、伝える。 「 開けてみようか。。?」

  ドアをゆっくり引いた。  「 コンバンハ・・・・ 」

  恐る恐る開けた私の目の前に、控え目なかんじでこちらを見る店員らしき女の人がレジのところに立っていた。 「 いらっしゃいませ・・・・?」

   向かい合いながら、お互いの次の言葉を探るように、一瞬の間が空いた。

 

  「え~っと・・・・・・・ やってますか? 」

  「今日は、定休日なんですが・・・・・・」   へ?

  定休日だというその店には、お店の人もこうやって目の前にいるし、奥の方の見えない部屋のほうからは、人の気配がする。  

  「先ほどお電話いただいた方ですか?」

  「いえ、私はしてませんが・・・・・」 なんのこっちゃわからないまま、私は再び後ろを振り返り、「なんか、今日、定休日みたいよ。」と相方に説明する。 困った様子を振りまく私達に、お店の人が、

  「ちょっと、軽く、何か食べるくらいだったら・・・・・折角来ていただいたので。 9時過ぎまで、という感じにはなってしまいますが・・・・」

  9時過ぎって、あと30分ちょっとじゃん。

  どうする、私達。 この店の周りには、あんまり店なかったし。

  「どう・・・・」 相方に訪ねようとすると、相方は、「入らせてもらおうよ。」という空気の塊を私の背中に押し付けてきたのを感じたので、

     「・・・・じゃぁ、ちょこっとだけ、、いいですか?」 図々しくも控え目に言ってみた。

  

     一応、控え目に、店内の端の席に座る。 

  定休日といいつつ、店内中央には、一人の男性が静かにごはんを食べているし、ここからは見えない別の部屋からは、何人かの話し声が聞こえている。 入り口で私達を迎え入れた女の人は、フロアーを担当らしいが、たまに、その“なぞの部屋”に行っては談笑していた。  今日は、とりあえず料理人が一人、キッチンにいるらしく、時間のかからない料理だったら・・ということで、それらしいものをメニューの中から探すことにした。

  

  このアフリカ料理店は、アフリカの情報発信の場も担っているらしく、それで、定休日などでも、それに関連した集まりがあって人がの中にいたりするらしいことが最後の頃に分かった。 

  結局、私達は、メニューの中から、

  パンダ豆のコロッケ、アボカドサラダ、チェブジェン、ガリ(デザート) と、アフリカ地ビールを注文。

  パンダ豆のコロッケは、豆腐のようなフワフワした食感のコロッケで、これって、どんな豆なんだろうと、お店の人に尋ねると、もってきてくれた豆の現物は、白地に黒い点のある豆で、大豆系のものであることが判明。大豆系だと、つぶすと、豆腐のような食感になるかも、と納得。 パンダ豆は、日本名で黒目豆と言われているものだということが、後からスーパーでそれを発見したときに判明した。

  基本的に、全てがはじめての食べ物だったので、これは何で出来ているかとか、お店の人が料理をもってくる度に尋ねていた。 チェブジェンは、魚や野菜をご飯と一緒に炊いたもので、アフリカ版パエリアというようなものだった。 どれも、なかなかのおいしさで、ワイワイ言いながら食べているうちに、定休日なのに、特別に入れてくれたことなどすっかり頭から抜けていた。

  コロッケにつけるソースや、お好みで加える調味料を、器に入れて持ってきてくれたのだが、その器が何で出来ているかというのが、私達2人の間で議論になり、お店の人に尋ねると、「椰子の実ですよ。」と、キッチンから、2つ、その椰子の実の器をもってきて、私達にひとつづつプレゼントしてくれた。  こんな、無理に店に入れてもらった私達に、さらに“おみやげ付”とは。  ナチュラルテイストの好きな相方は、その器をもらえたことをとても喜んでいた。

  こげ茶色の木の家具に囲まれた店内は、20Wの昼光色の明かりがついている。

  相方は、離れたところにあった、一枚木の背もたれ付の椅子に座り、まるで自分ちのようにくつろいだりしていた。  Mama アフリカ。

  

  せっかく Cocoの器ももらったし、またあとでパンダ豆のコロッケでもつくらなくちゃね。

   


『たいらんない』

2007-10-24 | ●Conte 物語の部屋

   初めて行ってみたタイ料理店。

  タイ人の男女(たぶん夫婦?)が経営していて、女の人がフロアー担当。男の人が料理担当。(姿ははっきり見なかったのですが、スライドカーテンの向こうの調理場で動いて見えるのが男の人っぽかった。) 店の中も、タイの空気であふれている。 ここはホントに日本?

  注文した “エビのココナッツクリーム炒め”には、見たことのない細切り昆布のようなものが入っているし、(タイ人女の人曰く、それは、『こぶみかん』だそうで。 生のこぶみかんの葉を細切りにしたものだろうと思う。) もう一品の方の、“豚肉のなんとか炒め(和えだったかな?)”には、カリカリプチプチした食感の何か(タイ人女の人曰く、それは『コメ』。)が入っているしと、本場らしい料理が味わえ新発見の連続。

  店の片隅には、小さな食品コーナーがあるのですが、そこで見つけたのが、

    『 こぶみかんの葉 と うりずん 』。(画像上参照)

    ●こぶみかんの葉:タイカレーを作るときに使っていた。1年ほど前から切らしていたのですが、売っているところが見あたらず、あきらめかけていた。

  ●うりずん(バイマックルー):種は売っているのをみたことあったので、育てようかと思ったほど、食べてみたかった野菜。

  そんなわけなので、迷わず購入。 うりずんは、生でレモンとナンプラーなんかを入れてあえてサラダ風にしたり、生で味噌をつけて食べたり、など、その店の人は説明してくれたのですが、『ニホンジン ハ ナマ デ タベルノカ シラナイケド。』と一言加えていました。 ちょうど、今日、タイから空輸されてきたものらしく、『イツモ コレ アルワケジャナイヨ。 ラッキーネ。』と言われました。 うん。 ラッキーです。 私の、うりずん と、こぶみかんの葉にかける情熱が通じた・・・・というほどの話でもないですが。 ともかく、 見たことのない料理には出会えるし、ほしかったものがゲットできたし、でHotな夜でございました。

 

   おまけで、そのタイ料理店の店内のスケッチ。

  :思い出しながら一気に書いたので、適当な絵ですみません。 壁にはムエタイカレンダーをはじめとして、色々なポスターがカラフルに貼り付けられています。 神様用お供えの飾りも負けじとカラフル。ワンフロアーの店内は、4人がけのテーブルが4テーブル。 最大16名しか対応できませんが、その夜いたお客さん8名分で、料理を作るのがいっぱいいっぱいなかんじが楽しいところです。(私が注文した料理なんか、『コレ、ムズカシイ リョウリ ダカラ チョットオソクナルヨ。』と言われたし。笑) 料理が遅くても、“のーぷろぶれむ”な気分になります。 もう、ほとんど、タイです。

 

 ※ タイトルの『 たいらんない 』=Thailand night です。 少なくとも、“耐えらんない”ではありません。

 

 


『J'adore la forme marron』

2007-09-21 | ●Conte 物語の部屋

      絵画系講座の生徒さんの一人が、ここ最近応募した2回のコンテストでどちらも入選したということで、お礼にと、マロングラッセをいただきました。(コンテストに応募する前に、最後の手直しの指導を私がしてるので、それで2度連続入選したのがうれしかったようです。ま、仕事ですから。^^) 

  まぁ、話はお礼のことというより、そのマロングラッセの箱のマロンのデザインに釘付け になったという話で。 この形(画像参照)、なんでかわからないんですけど、好きなんですねぇ。 

  さらに話は、マロングラッセに戻り、、、 日本では、マロングラッセを好んで買ったりしないのですが(日本のは、お酒と砂糖のかんじが多すぎるので)リヨンに住んでた時、郊外にある、マロングラッセがウリらしいお店に、散歩がてら行ってみることにしました。 地下鉄の終点から、そこへ行くにはバスしかないのですが、地図を持っていたので、トコトコ歩いていくことにしました。(その途中、車に乗った夫婦から、“XX教会ってどこですか?”と道を尋ねられる。) ずーーーっっと歩いていくと、小さな街があって、そこに一軒のケーキやさんがありました。 見た目はふつーのケーキやさんなのですが、そこで買ったそのマロングラッセは、、、おいしかったですね~。 なんていうんでしょ。 栗の味がちゃんとするんです。(よく思い出してください。既製品のってお酒と砂糖の味しかしないでしょ?) さらに美しさもある、というか。

  とはいえ、“マロングラッセ好き”というほどではない私は(あれば、食べますよ。もちろん)、マロングラッセを食べ歩いたわけではないので、それ以外の店のことは知りませんが、とりあえずそこはおいしかったです。 いうならば、食べるのにドキドキする味。 

  そのあと、たしか、もう一度は買いにいったのですが、何せ遠いところだったので、あまり行けなかったのが残念です。 

  ※ マロングラッセのレシピは16世紀にリヨンで生まれたらしいことを知りました。。

  


『Un cafe-filtre』

2007-09-18 | ●Conte 物語の部屋

       10:12 Carcassonne(カルカッソンヌ)発

      11:04 Toulouse(トゥールーズ)着

  4月2日、もうすでに“ウソ”が許される日ではない日。 曇りのち晴れ。

  5日間の旅の後半、 ホテルを出、トゥールーズ行きの電車に乗る。電車に乗る前に、パン屋さんでソーセージのパイと、フロマージュ&ハムのパイ(どっちもパイ系だ。)を買った。 コーヒーを一杯飲もうか、、、トゥールーズに着いてから飲むことにするか、、、いや、やっぱり目を覚ますには、、、 やっぱりトゥールーズにつくまでコーヒーは我慢。

 一人だと、地図を片手に好奇心の赴くままに歩きすぎてしまう。 バカ体力。

 旅の間、毎日夜10時にスイッチが切れたようにベットに沈み込み、そして朝。

 コーヒーの一杯は、実はそのときの私には、とても重要な位置を占めていた。

  コーヒー・コーヒー。。 飲んだらこの目の下のクマに染みいるに違いない。

 電車の背もたれに沈む。 コーヒーのことは忘れよう。 とりあえず。 

  ( さて、トゥールーズに着いたら、予約してあるホテルに行って、、)

 ぼーっと考える30分。  あと、30分弱で駅に着く。

  私の横に座っていたおじさんがサラッと話しかけてきた。

   :絵に描くとおばさんみたくなる、おじさん。

  ボルドーに住むというそのおじさんは、私が、何をしてるのか(旅行なのか、住んでるのかなど)・私の親の職業(フランスでは歳は聞かれることはあまりなくても、親の職業というのを聞かれる。多分、それで、その人の地位のようなものを判断するらしい。)・おじさんの職業の説明、と、色々話した。 私はその当時、8ヶ月間勉強したフランス語力をMAXに駆使した。 “今回は時間が限られているので、トゥールーズまでだが、今度は是非ボルドーにも行ってみたい”など話したら、“じゃぁ、ボルドーに来た際は案内するから、これ。”と、おじさんは、私に、携帯番号を書いて渡してくれた。(結局、私はフランス滞在期間中、一度もボルドーには行かなかったし、その電話番号を書いた紙もそのうちどこかに消えた。)

  おじさんは、フランスの駅の売店などによく売っている、バゲットに赤いソーセージを<ぶっ刺した>Hot-Dog(ホットドッグ)を作る機械をつくる工場を持っている人ということだった。 

  車内販売のカートが通路をゆっくりとやってきた。 それが私達の位置にさしかかるころ、おじさんは、言った。

  「コーヒー飲む?」

  一人旅中、よく、電車の中で仲良くなった人に、ポットからの飲み物をもらって飲んで、眠ってしまい、モノを盗まれる。。。なんていう話が頭をよぎったが、この場合、<車内販売のお姉さんから直接私に手渡されるコーヒー>ということで、私はOKの判断を下すことにした。

  「はい。ありがとうございます。」

  車内販売のお姉さんは、おじさんからお金を受け取り、私とおじさんのとこにそれぞれ一つ、コーヒーを置いた。

  コーヒー1杯、2.3ユーロ。 Café-filtre(フィルタータイプコーヒー)だ。 カップの上に、フィルターがのせてあり、ゆっくりとお湯がコーヒーへ。いい香りが立ち上る。

  この香りを倍に感じるために、朝から、このコーヒー一杯を我慢してたかのような気がしてきた。

  めるしー、おっちゃん。

    

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  * 画像Topの4枚は、カルカッソンヌの写真。

 *一番下のぼやけた画像は、豚にまつわるお話のある、カルカッソンヌのホテルでの鍵。 柔らかい素材で出来たブタの首に部屋の鍵がつけてあります。

  *いうまでもなく、文中の細かい描写(時刻・日にちなど)は、旅日記を見返して書いてます。


『l'air francais 』

2007-08-03 | ●Conte 物語の部屋

 なるほど。      

 間口の狭い店の一番奥に座らせてもらい、そこからいつも通っていた道を眺め、そして、シードルをさらに一口。 サンジャン通り(rue St-jean, Vieux Lyon)のこのクレープ屋の横を通り、クレープ屋のお姉さんに挨拶して家に入っていくのが私の日々の日課ですが、いつも通ってるだけだったので、店の中に入るのは今回が初めてです。

  いつも思うこと: “慣れた場所”も別の角度からみるだけで、こんなにも違って見える。 

 さっき、このクレープ屋のお姉さんに、私の(日本に持って帰れそうもない大きさの)絵を3枚あげました。 お姉さんは、「じゃ、あとで一杯飲んでいって。」というので、買い物帰りにクレープ屋に寄らせてもらうことにしました。 「何飲む?」と、お姉さん。「(クレープやさんだし、)シードルで。」 と私。 

 ぼーっと飲みながら、もう一人の従業員と話していると、少しずつ店は慌ただしくなってきました。 (私、結構、“仙台四郎”なのよね。) お客さんによって私はすこしの間ほおっておかれます。 そういう意味では長居ができたので、少しすると、お姉さんが、「クレープ食べる?」と言ってくれました。 お昼少し前です。  ひとつ、思い出せないのが、私がこの時なんのクレープを食べたかということです。  何かのconfiture(ジャム)をつけてもらったと思うのですが。。。

  このクレープ屋さんにあげた絵は

  ● 虹色の水牛 (鉛筆・色鉛筆・パステル画)

  ● 模写 (特殊紙に描いた油絵):上の画像

    ● ロートレックの絵より起こした版画

  想像するまでもなく、これらを日本に持って帰ったところで、飾るところがない。というか、合う場所がないって話で。 日本にこんなのもって帰っても、所詮倉庫にしまいこまれるがオチです。 でも、フランスや、このクレープやさんにだったら、この絵達も活躍の機会を与えられるかな~と思ったわけデス。

  これらが今もこのお店に飾られているかわわかりませんが、私がいなくなった後、これらの絵がその後、のみの市に出回ってふらっと売られていること、というのが最終的な理想です。  この絵は、学校の授業で作ったものなので、紙の裏には私のフルネームが書かれています。 後世、私の絵を手にした人は、どこの国の人なのかわからないその名前を見ることでしょう。 

 ま、そんな思いをはせながら、クレープを食べてたので、なんのクレープだったのか覚えてないのかもしれません。  ごちそうさまでした。 3枚の絵と、クレープ&シードルの交換話でした。

 


Voiture habituelle

2007-07-26 | ●Conte 物語の部屋

    

        C'était le matin, et la soirée.    Et alors ?

             Comme d'habitude, elle est en train de marcher entre chez moi et ...     

                

                                                  Allez hoop !  Au 9999.

        


訪問国リスト

2007-07-06 | ●Conte 物語の部屋

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  いつの間にか 14カ国行ってるみたいです。
 まだまだ世の中広いね~。
 
 鼻がいいので、飛行機の中の食事はみんな同じ匂いがして好きではないのですが、唯一おいしかったのは、大韓航空の“ビビンパ”とエアーインディアの“カレー”です。 
 制服でステキなのは、やっぱシンガポールエアラインですね^^ 座席が広いのは、ルフトハンザ。ドイツ人は大きい人が多いからでしょう。
時差ボケが一番きつく出たのは、日本-アメリカの往復。
 片道12時間ほどのヨーロッパへの飛行機の中では寝るのは2時間くらい。これが旅行の場合であれば、飛行機の中で“旅日記”でも書くところですが、旅行でない場合は書くことはないので、“飛行機の中で12時間・無になる境地”を開きました。

 J'ai déjà visité quatorze pays. Je ne m'habitue pas quand même à l'avion.

『カンヌとチャイナ服』

2007-05-23 | ●Conte 物語の部屋

  アイリッシュパブのカウンター 夜1時。

  カウンターの上、私の斜め前に、20ユーロ札が残されていた。

  『これ、私達にくれる、ってことかな。』 隣に座る相方に尋ねる。

  『うーん。 そういうことになるかな。?』

 カンヌ映画祭が行われていたある一日。私達は、”24時間滞在”の予定でカンヌ入りした。 午後4時から次の日の午後4時まで。 宿を取るのはやめにした。 映画祭の期間は、カンヌのホテルの料金は倍に膨れ上がる。普段の値段を知ってるだけに、ホテルに泊まる気にはなれない。一晩、どこかをはしごすればいいんじゃないかということになり、まず、バーに入ることにした。 

 アイリッシュパブの中は、英語が行き交っている。カンヌに来ている英語を話す人たちのたまり場になっていた。 バーテンのお兄さんは一応、フランス語だが、出身はたぶん英語圏の人だろう。 カウンターにすわり、一杯目を飲み始める。 長い時間をかけて、一杯目が終わろうという頃、一人の男性が私の隣に座った。  『Good evenin'。』 英語だ。すらっとしたスーツ姿、なにやら話が進む。 差し出された名刺には、有名IT企業の文字。 彼は、仕事で 映画祭の間カンヌに来ているということだった。 フランス語の地で、一人でホテルに泊まっているようで、たぶん、話相手がほしいんだろうなと思った。 

 『何か、もう一杯飲めば?』 彼は言った。つまり、おごってくれるということだ。

 (『なんか頼んでもいいみたいよ。』)私は小声で相方に言う。

  そして、彼は付け加えた。

  『 ペントハウスに泊まっているんだ。』 

 英語が堪能な相方が 後から言ってたとこによると、ペントハウスは、ホテル最上階の高級な部屋をいうそうで、そういう知識はなかった私は飛びつくことなく、その話の表面だけをなぞることに終始した。(知ってたとしても、、、ねぇ。)

 結構 長く話していた気がするが、(私達はただ、この一晩の『時間つぶし』を考えて行動していただけだったので、別の登場人物達については、深入りするつもりはなかった。)そんな彼が、立ち去ったあと、カウンターの彼と私の間の位置に残されていたのが、バーテンが彼に出したおつり、”20ユーロ”だったわけだ。 これでも話は省略しているが、流れからして、彼は意識的に20ユーロを置いていき、そして私達に残していったという結論になった。 

 カチ・カチ・カチ。  バーテンが店の電気を点滅させた。 閉店の合図。

 ここを立ち去らなくてはならない。 まだ夜は長い。   たぶん。

 そのあと、別の店に移動し、彼の残していった20ユーロを元手に、夜のパニー二とあいなった。 

 

 *festival du film Cannes ← カンヌ映画祭オフィシャルサイト

  * ”夜のパニー二”とは、深い意味がありそうですが、そのままの意味、”パニー二を食べた”ということです。 

 タイトルの”チャイナ服”とは、その日私が着ていた服のこと。 自分でデザインして、作ってもらった服で、体に合うように立体裁断で作りました。 紅色のインド綿で ひざ上の長さなので下にはグレーのぴったりしたズボンをはいてました。カンヌのお店やさんの中で、女の人が出会い頭に、その服を見て 『ヮ!カワイイ!』と言われたりしたのもあって、おごってもらえたのも、この服によるものだということになっております その後談もあったり、カンヌのときの話は色々ありますが、今回はこのくらいで。

 


『 Excusez-moi 』

2007-05-18 | ●Conte 物語の部屋

   『 Excusez-moi, où est la gare? (すみません、駅はどこですか?)』

  この手のことをどのくらい聞かれたことでしょう。

  必ず、一人で歩いているときに聞かれます。 一人で歩いていると地元の人っぽく見えるからでしょうか。 フランスでも、結構、道を尋ねられることがあって、(4年間で10回以上)なんで周りにフランス人いるのに、アジア人に聞くんだろとずーっと疑問だったのですが、別の友達がフランス人に聞いたとこによると、『アジア人は優しいから答えてくれそうだし。』と言っていたらしいです。そういわれてみれば、ちょっと不確かであっても、どうにか答えてあげようとしちゃってるかもなぁ。

  日本でも、大都市の駅などで、外国人に道(どこかの駅への行き方など)を訪ねられることがあるのですが、大勢の人が歩いている中で、なんで”私”に聞いてくるのか、不思議でなりません。 ある人は、『その人と目が合ったからじゃない?』とも言っていましたが、だいたい、話かけられるときは、斜め後ろや、横からなので、少なくとも目が合ったわけではないのです。 日本に帰ってきてここ2年間で、すでに外国人に3回は道を尋ねられています。(普段、駅を使うことはほとんどないのにもかかわらず。。)  

  日本で外国人に話しかけられる場合、当然のことながら、英語なわけで、フランス語ならまだしも、頭の中で、日本語→フランス語→英語にモードを切り替えなくてはいけないので、頭で意識的に英語モードにするのはタイヘンです。(つまり、思考をフランス語にもっていかないように、フランス語を頭で押さえつけながら、英語で話すという作業をしなくてはならないのです。)  語学好きならまだしも、そういうわけではないので、ほんと困ったもんです。

 *画像は、あるスーパーで、”客を待つ・着ぐるみカプすけ後ろ姿”。

  photo: "KAPUSUKE"attend des clients au supermarché.


『 2moutons perdus』

2007-05-10 | ●Conte 物語の部屋

 『しまった~。 今日は祝日だから、このバス来ないよ。』

 1時間歩き、一つ山を越えた町で 私達はバスの来ないバス停のベンチに座り、空虚な時刻表を見るともなく眺めていた。 隣に掲げてあった地図を見る。 わかりきったことだが また1時間歩かないと出発地点には戻れない。  で、、、相方がおもむろに取り出したプチレーズンケーキをもらい、とりあえず食べる。 そうだね。腹が減ってはなんとやらだ。  目の前を車が通り過ぎる。 さてと、、、いかがしたもんか。。 重い腰はベンチから持ち上がらない。 

  Aix en provence(エクサンプロバンス・南仏)の5月31日の本日の天気は快晴。 

 セザンヌが描いた絵画を元に、その描いたとされる風景を探しにここまで歩いた。 しかし、それっぽいアングルの場所を発見することができなかった。 目的を失った後、歩く気力はなかなか出ない。

 すると、さっき、私達の目の前を通りすぎた白い車がまた戻ってきた。 そして、私達のいるバス停の前で止まった。 

 運転席の男の人は開けっ放しの窓から 私達に声をかけた。

 『Vous connaissez, où est la piscine?(プール知ってる?)』 

 プール?? 

 車にはもう一人、男の人が乗っているようだ。 声をかけた男の人は、車から降りてきた。短パン(トランクス風の水着?)をはいている。 しわっぽい半袖のシャツを着たラフな(よく言えば。)格好は、まさに、<プール>を探している以外なにものでもない。 私は背中越しに掲げてある地図を指差した。

 『今、私達はこの位置なんだけど、、、、』  短パンの男の人は地図を覗き込む。

 ウーン。 と男の人。 私はふと、この1時間の道のりをプレイバックした。

            あ。

 『そういえば、この山の向こう、AIXの街のはずれにプールらしきものがあったよ。』

 私達が山を越え、この町に来るまでの間、プールを見たのはその一箇所。 山越えの前、AIXの街のはずれで、市民スポーツセンター&プールを見たのを思い出したのだ。 私は、その位置を地図上で示した。

 『アー。 こっちだったのか、通りすぎちゃってたよ。』 男の人は南訛りでそういった。

 男の人は車に戻り、車を発進させた。 あれ、でもそっちは反対方向なんだけど?

 『ま、いいか。』 彼らがどっちに行こうが、私達にはどうでもよかった。 それより、問題は私達だ。

 『じゃぁ、また来た道を戻りますか。』 タラタラ歩き出した。 歩道のない道で、横を車が通り過ぎる。10台ほど車が通り過ぎたあと、 1台が私達の横で止まった。 --白い車。 

  さっきの顔が窓から顔を出した。 『あれ?君たちは、どこにいくつもりなの?』

 私達は顔を見合わせた。  『AIXのcentre ville(中心街)だよ。』 彼らは、反対方向に行ってしまったと思っていたが、それはただ車をUターンさせてきただけだったようだ。 一瞬迷ったが、私達は彼らの車に乗せてもらうことにした。 一人だったら断るところだが、これからの1時間を考えたら、背に腹は変えられない。 それにまず、車に乗る決断ができたのは、彼らが<プールのことしか頭にない>風があきれるくらいに伝わってきてたからである。 

 『セザンヌの風景を探していたんだけど。。』 後部座席に座った私達は、言った。

 『セザンヌ? オレたちはそんな教養ないからワカラねーなー。』 ぶ~ん。 さっき歩いてきた風景が飛ぶように過ぎていく。 まるでタイムワープしたかのように、あっという間に山を越え、最初の出発点、AIXの街のはずれまで到達した。歩くと1時間の距離も、車で行けばものの10分。  『あ。ここでいいです。』 車は停車した。 『プールはその建物ですよ。』 『オウ、じゃぁな~。』 お・お・違うよ。そっちじゃないって。 車は私が示したほうを無視してさらに先を目指そうとした。 『あ、なんだ。ここか。』 だからさっきから言ってるじゃん。 このくらい人の話を聞いてない&プールのことしか頭にない人達で ある意味助かった。 プールを探して道に迷い、となり町まできてしまっていた彼らは、まるで私達を乗せるために、道に迷ってしまったのではないかと思ってしまったほどだった。

 あまりに夢のような一瞬の出来事に、お礼を言って車を降りた後も、なんだか笑ってしまった。  これからさらに暑さが増しそうな日、時計は12時を回っていた。

  

 *細かい日付、登場するものに関してはすべて覚えていたわけではなく、”旅日記・プロバンス編”を読み返して書きました。http://blog.goo.ne.jp/turquoise_bee/d/20070309

 タイトルの『2moutons perdus』は、”2匹の迷える羊”という意味ですが、2匹の羊は 彼らなのか、私達なのかはご想像におまかせします。^^

 


『17/20』

2007-05-07 | ●Conte 物語の部屋

   この作品を何点にするか、先生は長い時間悩んでいた。

 フランスにおける点数は20点満点。 通りすがりの別の先生は、『これ21点じゃない?』とお気楽発言をして去っていった。

  結局、この作品についた点数は17点。 それでもクラスでトップの点数。 これ以上点数をあげてしまうと、他の人との差がついてしまうであろうというのと、(後から聞いたら、この先生は15点以上はなかなかつけないということだったので、この17点も相当特別だったということだ)なんといっても、フランスのテストでは基本的に20点満点はつけてくれない。 

 なんでそんなに渋るのかな~と思っていたら、実際のところ、最高点で18点満点みたいなものらしく、19点は先生が取れる点、20点は神様が取れる点。という概念があるかららしい。 そういうのはカトリック的考えのようで、最近はそれでも、20点もつけるようになったということもあるそうだが、私は見たことがない。  日本のテストはマルバツ形式で満点はいくらでも出せるが、フランスのテストは基本は学科でも記述形式なので、先生の微妙な<感情のような感覚>で満点というのは出せないようになっている。

  絵に対する点数のつけかたとして、この<感情の感覚>(いわゆる、<好み>)で満点が出ないのは70歩譲って納得するが、実技でも学科でも満点が出ないというのは、じゃ~最初から18点満点にしちゃえば?とも思う。 ま~、国によっていろいろ考え方もありますね。

   こちらの絵は アクリル絵の具・紙の、背丈くらいの大きさがあります。 (画像は実際の作品より多少両幅&下が切れてます。) 課題は、マネキンに白とカラシ色の布を ドレスのように巻いたモチーフ。 最初、参考にと見せられた画家の絵が、線で輪郭を取るものではなく、面で立体感を出して構成されているものだったので、線ではなく、面で描く方法で製作。 まず、鉛筆で軽く下絵を描いてから、幅10cmくらいの刷毛で大胆に下地を置いていく方法をとっていたら、 クラスの友達が、かわるがわる私の描き方を見に来てマネしていました。 どうぞどうぞごらんあれ。

 


世界の豆知識 <危険>

2007-03-30 | ●Conte 物語の部屋

   フランス人だらけの『ホテル・マラケッシュ』。 今日、私達は中庭のプールサイドにいた。

 “コ”の字型のそのプール、 ちょうど真ん中あたりの位置に立ち、私は周囲を見渡す。暑い。今日も40度。 プールサイドで焼けどをしないように足をパタパタ持ち上げた。

 左斜め前、私の目の先1mほどのところで、子供たちがプールの中でワイワイ遊んでいる。

 ふむ。 なるほど。。

 “子供たちの状況”をよく見た後、私はプールに足から飛び込んだ。

       バシャン ! !

  1・・・2・・、      ぶハッっ!

 「 え?? どした? 」 まだプールサイドに立っていた相方はキョトンとした顔で 勢いよくプールから飛び出してきた私を見た。 

 私は恨めしく髪までビショビショになりながら、プールの端に手をかけ、一言。

 「 足、着かなかった。。」  「え? うそ。」

 同時に2人で、すぐ1m横で楽しそうに遊んでいる子供たちを見た。 

 水面は、子供たちの胸の辺りの位置だ。  なんで?  今度は逆の右横を見た。 そちらでは男の子達が、助走をつけて勢いよくプールに飛び込み、そして水の中に消える。。  もしや、あっちのほうが さらにここより深いということか。?  しかし・・・・・私はプールを見回した。  どこにも “水深 ○m”なんていう表示は見当たらない。   そういえば。  思い出した。 ここは、“フランス人だらけの”ホテル・マラケッシュ。 このプールも フランス人仕様に違いない。  

 フランスのプールは縦50mプールというのがある場合、横の深さが、1mくらいのところから、緩やかにシュノーケーリングができるような5mとか、それ以上の深さになっていると聞いたことがある。 それを知っていたから、フランスではプールに行くことを避けていた。 犬かきだったら、たぶん50m泳げる!じゃ太刀打ちできないだろうから。 しかし、こんなモロッコに そのトラップがあるとは。

 「ちょっと、どのくらいの深さか確かめてみてよ。」 と、相方に頼む。 「いいよ。」 “泳げる”相方は躊躇なく私のいる横に飛び込んだ。 1・・2。 バシャ! すぐに出てきた。 「ここ、ちょうど背丈くらいだね。」 えーん。 顔の出ない深さなんてありえない。

 勢いづいた相方は、もうすこし離れた方を指差し、「じゃ、今度はあっちがどのくらいかもぐってみるよ。」おぅ、頼もしい。  私は、プールの縁につかまりながら見守った。 

       バシャン !!!   1・・2・・・3・・4、ん??上がってこない?

 5!  「う゛っ!」      「え? どのくらいだった?」   「・・・足、着かなかった。。」

 え゛~~ !今、5数えたのに?? 

  --- 私の意識は プールの底に沈んだ。

   ピサの斜塔に登るのに、“柵はないけど、自分で危ないと思うんだったら登ってこないで”というスタンスや、この話のように、水深を表示しないというような“自分で危なくなさそうな場所探して泳いで。”という感覚は日本にはない。 最初から“水深○m”と示すことで、それを鵜呑みに信じて危険かそうでないか確認する。つまり、危険は自分で判断するものではなく、他人から教えてもらうもの。という依存心で日本の危険の認識は成り立っているように思われる。 その都度 ご丁寧に教えてくれるのもいいが、当たり前のように依存していくことで、“何かの感覚”が段々鈍くなってくるかんじがする。


『 Par instinct 』

2007-03-15 | ●Conte 物語の部屋

   エレベーターを待っていた。

 木目調のエレベーターは ここ1階にゆっくり近づいている。 夜になると、昼間の暑さはウソのように身をひそめ、あとは、ゆっくり寝るだけ。。。。

 『Bon soir.』     ん。 『.....Bon soir.(こんばんは。)』

  エレベーターが開いた。 私と相方はエレベーターに乗り込む。 同時に今、挨拶したおばさんもエレベーターにのる。 

 『Vous allez......à quel étage ?(何階ですか?)』

 『 Au 2ème étage, s'il vous plaît.(3階で。)』

 私達と同じ階だ。 ・・・・・などと考える間もなく、おばさんは突然、

 『 Vous avez mangé du poisson? (あなた達、魚食べた?) 』

          へ? 魚? なんのこと?

 『 quel poiss......(何の・・・)』と 言うと、おばさんは続けざまに

 『 昨日のアレよ。 ほら、アナタ達、あの時、いなかったでしょ。』

 この言い方で わかった。 

 昨日、ここマラケッシュから、エッサウィラという海の町へオプショナルツアーに参加した時の話。 大型バス2台で、フランス人に混ざって、私達アジア人2人組も参加したときの。。  私は、そのおばさんが その時いたのかどうかは覚えていないが、少なくとも、おばさん側からみれば、“ひょっこり” 参加しているアジア人は目立っていたに違いないので、向こうからすれば、私達は“知ってる人”だったわけだ。 

 昨日の 海の町エッサウィラで、みんなでガイドさんに引率されながら町の説明をされたあと、お昼になったので、各自で好きなようにお昼を取ることとなった。 各自に、といっても迷うのもあるので、地元のガイドさんは、『ここがいいですよ』と、海産物をその場で焼いたりしてくれる屋台が集まる所の1軒を示してくれた。 それに従って、フランス人はドヤドヤとその店に入っていった。 そのあとについて、私達もそこに入ろうとしたが、ふと、考えた。 『 他の店も一通りみてから決めようか。』 相方もそれに同意した。

 10軒ほど屋台が並ぶその場所を見て回る。 白く塗られた木で出来た屋台群は青い海にとても映えていた。 それぞれの屋台の外には 魚やさんのように、氷の上に沢山魚がおいていった。 私達は、屋台の客引きのおじさんをその都度かわし、結局、途中、街中でみたカフェレストランに向かうことにしたのだ。 

 『On est allée à un autre café-resto. C'etait vraiment bon.(私達、別のとこに行ったから。 そこ、おいしかったですよ。)』  私はおばさんに答えた。 エレベーターの狭い箱の中で、3階に着くまでの間、会話は続く。 私達が何を話してるか、さっぱりわからない相方は、エレベーターの隅に立って、気を消していた。

 おばさんは、“ア~そうなの。 よかったじゃない。” という相槌をし、 そして

 『 On est tout malade !(私達、みんな病気になっちゃったわよ!)』

  え? 『 C'est vrai ?(本当に?)』  でも、、このちょっとガタイのいいおばさんは病気っぽくないけど。   と、いう考えがかすめたことをおばさんは察知したのか、

 『Mais, sauf moi.(ま、私以外ね)』 おばさんは胸を張って言った。そのようですね。 菌にも強そうですし。^^

 つまり、おばさんたち、フランス人集団は、ガイドさんに勧められたその屋台で魚をたべ、みんなして、“あたった”らしいのだ。 で、おばさんは、“あなたたちは大丈夫だった?”と私たちに聞いてきたわけだ。 あの時、あの魚を見て、私達は【Par instinct 直感的に】それを避けた。  さすがだわ。【魚の目利きを遺伝子的に持つ日本人】。  魚を見る目は遺伝子的に備わっているのだ。

 それは大変でしたね。 そんな会話で、3階についた。

 エレベーターを降りると、相方は私に尋ねた。

 『今、なんだ、って言ってたの?』

 


『それでもやっぱりMy House』

2007-03-08 | ●Conte 物語の部屋

   フランス・バスク地方。それなりの暑さのある4月。私たちは最終目的地のBayonneに到着。 駅の近く、目的のホテルを探す。

 同じ場所を行ったり来たり 探し回ったあげく、1階が小さなカフェになっているホテルをやっと見つけた。 カフェといっても、地元のおじさんたちがコーヒーを飲んでるようなところ。 ホテルの受付はここでいいんだろうか。。。私たちはカフェのカウンターの中にいた、お店の主人らしきおっちゃん(という以外にいい表現が見つからない。)に恐る恐る声をかけた。

 『Excusez-moi, monsieur, J'ai déjà résérvé : Mlle ....(すみません、予約をした者ですが。)』

 『 ah? réservation ?  Entrez. (予約? じゃ、入って。)』

 ここからが不思議の入り口だった。

 適当なノリでチェックインは済み、部屋の鍵を渡される。 『3階だよ。』

  鍵には、ゴルフボール(ちなみにダンロップ)の端を切って、〝15〟と書かれた手作りっぽいキーホルダーがついていた。 3階・15号室。

 全体的に少し左に傾く螺旋階段を上り(微妙に平衡感覚がおかしくなりながら)、部屋についた。 とはいえ、雰囲気とすれば、若草物語に出てきそうな、温かみのある感じだ。 決して悪くは無い。 ただ、不思議な感じがするだけだ。

 部屋に入り、 赤く塗られた木の雨戸を開ける。 一気に部屋の中は明るくなった。 眼下に見える通りには、のんびり 1人のおばさんが歩いていた。

 ぐるっと一周、部屋の中を見てまわる。

  (見た事ない形のシャワーヘッドとか、ツッコミどころはあったが)

  うん。 特に異常なし。  ただ、

 『 あ~、そろそろ、このトイレットペーパーなくなりそうだよ。』 相方に声をかけた。

  荷物を置き、出掛けにおっちゃんに そのことを話そうとしたが、1階のカフェにいなかったので そのまま出かけた。

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 夕方、部屋に帰ってくると、気付いた。

 『 あれ。 トイレットペーパー、ある。』

 たしか、・・・いや、間違いなく出かける前は、予備もなければ、ホルダーに少し残ったものしかなかった。 普通、ホテルの部屋の掃除というのは、チェックイン前に済んでるようなことだ。 しかも、意外と部屋もあるにも関わらず、あまりお客も見かけなかった。(1・2組、いそうな感じはあったが。) それに“お掃除の人”の気配もない。 着いてから今まで、私達以外で見た人物は、、『カフェのおっちゃん』 だけだ。

 『 おじさんが補充したのかなぁ。』 と相方。

 『 それしか考えられないだろうね。』 いつ入ったんだ? 何か荒らされたものはないだろうか。  ・・・・・・ 特になさそうだ。 単に、ドンピシャなタイミングで私達の欲しかったトイレットペーパーが補充されてただけだ。  それだけ。

 それだけ?  いや、 よく見ると、広く開けて出た赤い雨戸が 風でバタバタしないように キチンとされている。  それは、ホテルを管理するというより、〝自分ち〟感覚でやっているように思われた。

 おっちゃんは、真似したくなるくらいの、南訛りの持ち主だった。 私達のことは、アジア人の子供が泊りに来たというような風で思っているようだった。 私達が外から帰ってきて階段をあがっていると、訛りの強い言い方で、

 『ブ ジレ ウ? ドウン?(明日は何処行くの?)』と聞いてきたりもした。この訛り具合は、相方のツボだったらしく、その後何日間かは、この言い方を真似していた。

 このおっちゃんのホテルには2泊した。 ホテルを発つ前日の夕食は、近くのモロッコ料理店で食べることにした。 私はCousCous(クスクス)、相方はTajine(タジン)を注文した。(Tajineは胸の辺りまでくらいの高さに盛られた量が出てきて、相方はTajine恐怖症になったと言っていた。) 

 それらの料理を〝やっつけてる〟と、突然、外が真っ暗になり、雷がなり、激しい雨が降ってきた。 レストランには、私達以外にあと2組くらいしかいなかったので、手持ちぶたさで、暇になっていた従業員はその雷雨の様子を見に、入り口へ歩いていった。

 私達も、少しの間、そのみたこともないような激しい雨を見ていた。

 『 すごいね、 食べ終わる頃には上がるかな。 』

 ・・・・・・・・・・・ あ。 部屋の雨戸 ・・・・・開けっ放しだ。 

  相方も 同じ 思考をしたようだ。

 『 ・・・たぶん、 雨戸、閉めてくれてるだろうね。』

 ・・・ だね。  たぶん。

 -------------

 雷雨はレストランから出る頃には上がった。 雨水が側溝を勢いよく流れるのを見ながら、私達はホテルに着いた。  『 Bon soir. (こんばんは。)』 お互い、挨拶は交わすが、おっちゃんは、〝部屋の××しておいたよ〟なんてことは決して言わない。 しかし、今回も、私達は確信していた。  ゼッタイ、雨戸は閉められている。

 半分、期待しながら 部屋のドアを開けた。

 『 ふふ。 ほら やっぱり。』  閉めてあった。

 おっちゃんの、〝 ホラホラ やっぱり、 あけっぱなしダヨ~ 〟という声が聞こえてきそうだった。

 オモシロイ。  おっちゃんにとっては ここは単なるホテルの1室ではない。 全部が おっちゃんにとってはMY HOUSEなのだ。 

 このMY HOUSE感覚、いいなぁ。 

  応用するとこないけど。

 

              * 画像は、“バスク語を話そう”キャンペーンのステッカー。


『 Printemps 』

2007-02-23 | ●Conte 物語の部屋

    Au début de la saison des Carnavals, il est 11h 05,  (カーニバルが始まる季節。11時5分、) 不思議なことに、過去の2月の出来事は2月に想い出す。  季節の空気の匂いが記憶を呼び起こさせるのか。?

  ------ それはそうと、 そう。

       私達は走っていた。 

  マルセイユの真っ直ぐに伸びるホーム。 つちのこ、--いや、間違えた、つくしだ。--もゆっくり顔を出し始めようという うららかな日。 電車は目の前に見えるのに、第4コーナーを曲がった最後のストレートは長く感じる。 さっき見た時計では、発車まであと2分だった。  今は? 1分切った?  この国が1分・2分に正確なのかは判らないが、走っておくに越したことはない。 だから走る。

      ヴ-------ずずず。

  急ぐ私の後ろから 何かが低い音を立てて近づいてきた。 何かなど考えている余裕はない。 目の前に見えているあの電車に乗ってCassis(カシス)に向かうのだ。

  しかし、その“何か”は そのまま追い越すと思ったら 私の横をピタリとマークし、並走し始めた。

  走りながらその左横を見る。 Chariot(シャリオ/荷物をホームからホームへと運搬するためのカート)に乗った2人の男の人だ。 2人はこっちを見ている。 目が合った。 それはそうだ。 向こうはこっちを見ている。  そして当たり前のように、のんきに私に声をかけた。

  『 Mademoiselle, vous cherchez la boîte aux lettres? (マドモアゼル、ポストを探してるの?)』

  ---- 何? ポスト?   走りながら1.5秒考える。  私が手に持っているこの電車のチケットが 手紙に見えたのか? (フランスの電車の切符は定型の封筒と同じ大きさがある。) ---それでポストを探してると? 走って?

  私の後ろを見たって それはないことが分かる。 

       “私達は走っている。”

  そう、私の後ろには、さらに友達3人が 私に連なって走っているのだ。 走ってポストを探す集団、というのを、(少なくとも)私は見た事がない。 けど、のんびりしたマルセイユのホームではこの“集団”は目立つに違いなかった。

  『 Non, on doit prendre le train là-bas ! Il va partir dans une minute!(違うよ、あの電車に乗らなくちゃいけないの!もう出発しちゃうから!)』

  顔で 先に見える電車を指した。

  ア~。  2人組はうなずいた。

  『 オ~、ナンダ。Z'inquietez pas (心配するな)、 そういうことなら オレらが先に行って 待っているように言ってきてやるよ。』

  そういうと、Chariotはスピードをあげ、私を軽く追い抜き、先に見える電車に向かっていく。  ホントかい。 と思いながら、私は走ったままChariotの動向を見守った。

  電車のあるところまで あっという間に着いたChariotの2人組は 電車のホームに出ていた車掌らしき人と話し始めた。 それは、単なる立ち話のかんじで、結果、電車の出発を止めているのか、それとも 本当に私達の為に “待ってやって。”と言ってくれているのかは、遠目では分からない。  でも、とりあえず 電車は私達がそこに到着するまでは、出発しないであろうということは、予測がついた。

  やっとのことで 私は 電車の最後尾の車両まで到達した。

  ドアに手をかけ、そこから2・3両先の位置で止まるChariotに目をやる。

  後からの3人も私に追いついた。

  Chariotの2人組は こちらに顔を向け、私達が電車に乗り込もうというところを確認すると、親指をたてるOKポーズをとった。 私はありがとう、の意味で手を振り返した。 

   そんな 春を運ぶ、Chariotの話。