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Le ton fait la chanson,le ton ne fait pas la chanson.

<創る>がテーマのアイディア帳。つくるココロを育てます pour votre creation d'avenir

『手仕事日本』

2007-02-19 | ●Conte 物語の部屋

  うーーーーーーーーーーーーん。 暇。 気のせいかもしれないけど、あと3時間30分はあることは確かだ。 カンヌはもう過ぎた? まだか。

  手元にあった紙の隅を正方形に破る。 

  手が勝手にうごく。 大げさにいえば、鶴しか折れない。 だから鶴を折る。

  ニース~リヨン間は、TGV(フランスの新幹線)を使っても4時間かかる。 特に地中海沿いを走るときは、在来線と同じ線路に入るから、早く走れないのも無理はない。 青い海を電車の中から眺めるのも悪くはないが、しょっちゅう海が見えるわけではないし、、暇な時間というのは存在する。 暇なとき、以前、前に座っていた子供と一緒にお絵かきしたこともある。その時は、その子の母親が携帯で話しをするのに夢中で、子供が暇をもてあましていたので、暇人同士、ということで、その子と象さんや、鳥さんやらを描いて遊んでいた。

  今回は、有り余った集中力を使っているうちに時間も過ぎていくかなと思って、紙で鶴を黙々と折り始めることにした。

  ・・・・・・ ん。・・・・と。  ・・・・・・・・よし。

  もう、1つ折り終わっちゃったよ。

  ・・・・・・と、何かの視線を感じたので、そっと肩越しに後ろを振り返った。

        ビクっ。

  私の真後ろの席に座っていた小学生くらいの女の子が、椅子と椅子の間から私の方を見ている。

  『・・・Tu en veux ?   Voilà, C'est un oiseau. (いる? トリだけど。)』

  女の子は躊躇なく、隙間から手を伸ばし、うれしそうに 鶴を受け取った。

  再び、鶴を折っていると、後ろから誰かが私の肩をたたく。

  『 アタシ、あと2人兄弟がいるんだけど、その分もつくって。』 と、女の子。

  なんじゃそりゃ。

  『 Ok。 ちょっと待って。』 シャカシャカと2つ折り、女の子に渡した。

  鶴の量産状態だな。

  次に1cm四方の紙を切り、ミニ鶴を折る。 私の横に座っていたおばさんも、いつの間にかクロスワードを解く手を休め、私の手元を見ている。 通路はさんだ横の子供も私のことを見ていたようで、鶴が出来上がったのと同時くらいにめざとく『それちょうだい。』と手をのばしてきた。

  『はい。』 私がその子にあげると、とうとう横のおばさんは、私に言った。

  『ワタシにも作ってくれる?』 いいですよ。 ・・・・・ 暇ですから。

  今度は4羽のシッポの部分がくっついた鶴をつくることにした。3cm×3cmに紙を切り、さらに、シッポが離れない状態になる紙の中央部分を残し4つの部分に切り込みを入れる。 

  シッポがつながった4羽の鶴ができあがった。 持っていたソーイングセットの糸を切り、真中にくくりつけ、鶴のモビールにしてみた。

  はい、とおばさんに渡そうとすると、横から子供が『ちょうだい☆』の声。

  『 だめよ。ワタシの分なんだから。』と、おばさん。 こんな鶴のために子供を制しないでおくれ。

  シッポがくっついた4羽の鶴は、なかなかすごいものに見えるようで、そのあとも、私はさらに2つ、モビール鶴をつくることになった。---- 【手仕事日本】。

  どんどんワザが難しくなる【中国雑技団】みたいだ。 私。

  けど、とりあえずこれで、45分の暇つぶしができたことは確かだ。

 


『 描くこと 』

2007-02-14 | ●Conte 物語の部屋

  あてもなく石畳の街中を歩いていると、教会のある広場に出た。12時をまわっているような時間だったので、広場のあちこちには、お昼を食べている人もいる。 

  ピカソ美術館を出、ピカソの10代の頃の絵を目の当りにし、あまりの上手さに 「もう、自分の絵なんて描く必要ないな。」と感じたその日、11年前の2月、バルセロナ。

 広場にある教会には、入ったか、入っていないかは覚えていない。

 ひとつ、はっきりしているのは、広場の端、ベンチを机代わりにスケッチをする子供達の集団をみつけたことだ。  すこしずつ近づいていき、その集団の端の方に子供達と同じように腰を下ろした。 スペインの小学低学年くらいの子供達は、せっせと目の前に見える教会などをスケッチしている。  私は小さいスケッチブック(クロッキー帳タイプの紙が薄いもの)を取り出し、何も言わずに教会を描きはじめた。

  『?』

 まわりの子供達が、突然自分達のところに加わった、なぞのアジア人に気付く。

  『●×△◇>・ ?』

 どこからきたの? みたいなことを言われているようだったので

  『 JAPAN だよ。』 と答える。 英単語すら通じてるのかよくわからないがしょうがない。別の紙に、JAPANの場所の地図を書いてみた。 そんなこんなしていると、子供達の引率の先生が近づいてきた。 子供達は、どうやら、先生にJAPANのことを尋ねているようだ。 先生は2.3言何か子供達に言ったあと、私については、<害のない人>と判断したのか、その場をまた離れていった。

  私が、広場にいるハトなんかもスケッチに描き込んでいたとき、元気のいいかんじの男の子が自分のいたところから移動してこちらにやってきて、

  『▲△◇◆◎・?』 と、私の絵と、私を見比べながら言った。

  今、何描いてるの? って聞いてるのかな?と思い、

  『ハト だよ。』 というと、 『HATO ?』 と男の子。

  その後 子供達から 『HATO』 と呼ばれたことは言うまでもない。

  男の子は 『名前はなんていうの?』と聞いていたのだ。 ほんとの名前を言っても覚えにくいかもしれないので、そのまま私は『HATO』になることにした。

  教会の下絵をペンで一通り描きおわったので、目の前にあった誰かの色鉛筆を指差し、 『これ、使っていい?』 という仕種で聞いてみる。子供の1人が、ウン。とうなずくので、色鉛筆を借りてさらにそめる事にした。

  教会というのは、だいたい白っぽい石灰のような無機質な色が多い。 普通だったら、真面目に色をつけるのだか、今回は子供達も一緒なので、「もっと自由に楽しく描いてもいいんだよ」というのを示すために、あえてカラフルに塗ることにした。子供達は私のカラフルに染まっていく絵と実物の教会を見比べたりしている。 結構な“カラフルファンタジー教会”が出来上がった。

  間髪を入れずに、目の前にいたピンクとグリーンのジャンパーを着た女の子を指差し、『ちょっと動かないでいて。』というかんじで静止させ、女の子の似顔絵を描き始めた。 選ばれた女の子は恥ずかしそうに静止してポーズをとる。周りの子供達は私の絵と女の子を見比べ、ワイワイがやがや。 ものの3分ほどで、色もつけ、私は描いた紙を切り離し、女の子にその似顔絵を渡した。 <オ~。>と周りの子が覗き込む。 私を『HATO』と命名した男の子がやってきて、『ぼくのことも描いて』とアピールする。  『もう時間がないんだよね。』と、私はみんなにバイバイし、ゆっくり立ち上がった。 

 自分の似顔絵を嬉しそうに見つめていた女の子は、その紙を、自分のリュックのポケットの部分にそっと折らないように慎重にしまっていた。 うれしそうにしまっている姿から、この子が家に帰って おうちの人に見せる情景まで想像ができて、私は <絵を描いていてよかった。>と素直に思った。   もしかしたら、それが初めて 自分が <描くこと>の意義を感じられたときかもしれない。 <描くこと>に対する2つの感情を同時に味わった日でもあった。 

  


+ Ca= Equilibre

2007-02-13 | ●Conte 物語の部屋

                   2週間前は気になった音も

              今は気にならない

             感情が消えたのではなく

           カルシウムが足りてるからに他ならない

 

  スキーの季節になると 山に近いリヨンでは、よく、足を骨折し松葉杖をついている人を見かけました。 フランス(ヨーロッパ)の雪は 日本のに比べて固いとかも聞きますが、それにしてもよく松葉杖の人を見かけたものです。 それで<冬だな~>と季節を感じていました。 

 カルシウムは骨をつくるといいますが、フランス人はチーズやらヨーグルトやら乳製品をよくとってるはずなのですが、、、、カルシウム摂取量と骨の丈夫さは比例しないということでしょうか。。ねぇ。


世界の豆知識 <湿気>

2007-02-02 | ●Conte 物語の部屋

   『どこか、お昼、いいとこ知ってます?』

  6月、 気温40度のモロッコ・マラケッシュの路上で、私は

  話し掛けてきた3人組のモロッコ女性の1人と話していた。 

   『あっちに、マクドナルドとかあったでしょ。』

   『いや、それはさっき通ってきて見たけど。。』と私。

  フランス語はまったくわからない相方*は 私とはすこし離れた位置で

  事の成り行きをみているようだ。

   『--- ただ、外人に英語で話したかっただけらしいね。』と私は振り返り

   相方に声をかける。(実際は、私が仏語が話せることが分かり、

   モロッコ人との会話は仏語でしていたわけだが。)

   相方は、すこし固まったかんじで黙って歩き始め、ぼそっと言った。

   『---- さっき、話してた横の木の根元に チョーーでかいゴキブリがいた。。』

 私の知る限り、ゴキちゃんは、湿気に比例して大きくなる。 今まで判明した中で大きさ順に並べてみると  フランス < 日本 < 香港 < モロッコ と大きくなっている。 湿気+暑さが加わると、ゴキちゃんは強くなるようだ。    そのモロッコのゴキちゃんは大きいとうわさには聞いていたが、実際見た相方にきくと、ある日、標本になってた体長7cmほどのクワガタを指差し、『こんなんだった。。』 と。 ---見なくてよかった。

  フランスは、湿気が少ないので、夏は日陰に入れば、暑さはしのげる。(日本は、日陰に入っても モヮっとした暑さが追いかけてくるけど。)けど、湿気による、カバーというのもあるようで、その代わりフランスの太陽の光は、肌に<刺す>ように痛かった。日本では、湿気があるおかげでその太陽の<痛さ>は感じずに済んでいるようだ。

 カミュの『異邦人』の中の一節で、「太陽が暑かったから」殺人を犯したというのがあるが、日本人の知らない、”刺されるような暑さ”というのは、湿気のすくない国ならではの感覚のような気がする。

 (相方*とは、了承を得ていない人に関して、一緒にいた人を指して、<相方>という表現にいたしました。)


『気温15度』

2007-01-30 | ●Conte 物語の部屋

   注文したモノをのせた トレーを持ち

   ロータリーが見渡せる2階の席へ

   フロアーは すでに飲み終えたコーヒーを脇に置いたまま

   問題集をめくる人たちでほとんど埋まっていた

 

   上手い具合に空いていた席に滑り込み

   私は小さいノートを取り出し 言葉を書き並べていく

  

   時計を一瞥 ------ 12時37分。

   ふと我に返り 手の中であと4cmだけになったサンドイッチを

   まじまじと見つめた

    ---- ≪これの 何処がどう 〝ミラノ〟サンドなんだろ。≫

 

   最近、日本政府か省庁かなんかで、外国にある日本料理と名を打つところの基準をしっかり指導しようという動きがありましたが、 日本にある外国料理だって、その国の人からみたら、<これは違うだろ。>というものがいっぱいあると思う。 他の国まで乗り込んでイチャもんをつける暇があるなら その前に自分の国の中の外国料理をきちんとしてあげるのが先決だと思う。  先日も、”キッシュ、って書いてあったから買ったら、グラタンパイだったよ~” という泣きの報告メールが私に入りました。 その店には ”イタリアンキッシュ”なるものもあったりで、もう何がなんだか。。 他人の荒さがししてる場合じゃないわよ。日本さん。 どうせ、こっちもガタガタなんだから、他の国が滑稽なことになってても、ほっといてあげれば~。

  *タイトルの『気温15度』とは、”判断に困る・曖昧”という意味でつけました。


『Monsieur pont rouge』

2007-01-18 | ●Conte 物語の部屋

M.PONT ROUGE,”赤い橋のおっちゃん”の話。

 リヨンで住んでいたとき家の近くに、ソーヌ川にかかった赤い橋がありました。歩行者しか通れない橋です。

 その橋のたもとには、sans abri(ホームレスというべきか。。)のおっちゃんが座っていました。山登りをするような人が着る赤いジャンパーを着て、前を通る人に <Bonjour !>と言っていました。  最初、私は 日本であまりホームレスの人にあいさつをするという習慣がなかったので、素通りしていたのですが、結構、フランス人の女の人なんかも、そのおっちゃんと立ち止まって話をしていたりしたので、私も、前を通るときは、<bonjour>の挨拶をするようになりました。

 おっちゃんは、日本語の挨拶も知っていて、<さよなら(こんにちは、だったかな?)>、<どうも>、<ありがとう>と、アジア人が前を通ると言っていたのですが、私は何故だか、最初から<Bonjour>としか言われたことがありませんでした。 たぶん、アジア人の中でも、観光客っぽい人と、住んでそうな人が見た目で分かって使い分けていたのかもしれません。

 基本的には、通り過ぎざまの挨拶のみ、の間柄なのですが、ある日、近くのスーパーで買い物をしていたら、店の中で、前から来る人が<オー、ボンジュール、マドモアゼル!>と、言ってきたので、<何ヤツ!>と思ったら、そのおっちゃんでした。普段、橋に<座っている>ところしかみたことなかったので、<立って歩いてる>のをみると、意外と大柄だったので、最初誰だかわかりませんでした。 どうやら、橋に座って、貯めた小銭で毎度お金が貯まると、そのスーパーにお酒を買いにきていたようです。 

 おっちゃんは、赤い橋に、朝10時頃<出勤>してきて、お昼すぎに帰っていきます。私は、ホントにおっちゃんは、sans abriなのかと少々疑っています。

 私は、おっちゃんと、立ち止まってしゃべったのは、2度だけです。

 一度目は、<日本語の”どうも”と、”ありがとう”の違いは何だ?>と質問されたときと、二度目は、フランスから日本に帰国する前の日、この画像のロウソクセットをもらったときです。

 2度目、私は、明日、日本に完全帰国という日、おっちゃんに挨拶してこようかなと、赤い橋に向かいました。 その少し前まで、おっちゃんは、1-2ヶ月、その橋に<出勤>しなかったときがあって、<とうとう死んじゃったのか??>と思っていたら、ちょっと小さくなったかんじでフラッとある日出勤してきていて、何かと思ったら(他の人と話している会話を聞いたところだと、)どうやら、何かお腹の辺りの手術をしたらしく、入院してたようでした。 私の帰国日が近づいてきてたのもあるので、このまま挨拶できないかなーと思っていたのですが、無事出勤できてよかったと胸をなでおろしました。  おっちゃんが座っていた橋からは、いつも丘の上の教会が見えていたので、私は、お別れに<丘の上の教会>をモチーフに作った版画を持っていくことにしました。

  私が橋に向かうと、なぜかその日、おっちゃんの横には、何かが入ったダンボールが置かれていました。3-4年、前を通っていて初めて見た光景です。 おっちゃんは、その日、立ち止まってお金をくれた人などにそれを渡していました。 私は、おっちゃんに、<これ、私がつくった版画なんですが、どうぞ。>と渡すと、おっちゃんは、<オ。じゃあ君にもこれをあげるよ。>と、このロウソクセットをくれました。 見てみると、ドライフラワーが入ってるぷよぷよしたゼリー状のものが入っているロウソクでした。 しかも、ある化粧品メーカーの販促品です。これをダンボール1箱分持っていたので、これをどこで手にいれたんだろうと、最後の最後でますますおっちゃんのナゾが深まるばかりでした。

 <私は日本に帰りますが、おっちゃんも体に気をつけて>と言おうと思いましたが、それを言うと言葉がつまりそうだったので、いつものように、<Bonne journée !(よい一日を)>とだけ言ってその場を後にしました。

 遠くても、空はつながっています。

 今日もよい一日を。

 

 


『天使騒動』

2007-01-12 | ●Conte 物語の部屋

右の心臓』が豆電球で光るように作った天使。 

特に真剣に作ったわけではなかったのですが、フランスを離れる1年前、やっぱり<人形>だし、このまま捨てるのはバチが当たりそうだと思い、住んでいたappartementの螺旋階段のちょっと高いところにあったスペースに置くことにしました。(画像はその置いていた時の天使。)

築200年の螺旋階段の薄暗い中に浮かぶ<天使>は結構な不思議さをかもし出していて、<うわー、なんかコワ。>と(自分で作ったものなのに) いつも思いながら前を通っていました。

その天使の置かれた螺旋階段を常時使うのは、たぶん住人の6~8名ほど。少しすると、天使の横に手書きの紙が置かれていて、<こんにちは。”小人の庭”(天使を置いたスペースをこう呼んだらしい)に降り立った妖精さん>のメッセージ。(もちろん、フランス人が書いてるのでフランス語。) そんなわけで、たぶん、みんなの”いってきます”とか、”おかえりなさい”の役割をこの天使が担っているのかなーと、そんな存在になれてきた約6ヵ月後のある朝、天使はその場所から消えていました。

もともと<天使>を自分で捨てるには忍びなかっただけだったので、たぶん、毎週金曜の階段や玄関のお掃除の人が捨てたのかなーというくらいに思っていて、特になくなったことも気にはしていなかったのですが、丸1日後、天使があった場所に、ダンボールの切れ端にかかれたメッセージがありました。

 『 La fée a-t-elle disparue? (妖精は消えてしまったの?)』

自分だけではなく、他の人達も同じことを感じていたようで、その書かれたダンボールをそのままにしておいたら、そのメッセージの下に、別の人がメッセージを書き入れてました。

 『Peut-être qu'un ogre bleu l'a dérobé ? ou bien c'est elle envolée?(C'est le printemps quoi ) (たぶん、青い鬼が連れ去ったんじゃない?それとも、妖精自ら飛んでいっちゃったとか?--ま、春だしね。)』

さらに、少しすると、1回目のメッセージを書いた人が

 『Une étoile pourra-t-elle la faire revivre? ( お星様が妖精を生き返らせてくれるかな?)』

ふむ。。。 

お互い、見ず知らずの人達が、私が置いた天使(他の人たちにとっては妖精だったらしい。)でほのぼのした会話をしていて、優しい世界が繰り広げられていたことに、みんなにちょっとした<日常生活の潤い>をあの天使は与えていたのかなと思い、うれしくなりました。

 たぶん、今ごろ、また別の場所に降り立っていることでしょう。