叔父が昭和19年秋、今のミャンマ-でインパ-ル作戦の航空機支援で当時の首都であるヤンゴン(ラング-ン)にいた。10年近く前、漬物業界の新規原料産地の視察がミャンマ-であった。まだその時は特攻遺族でなく、叔父の軍歴も詳しく知らないため、感傷に浸ることなく、ミャンマ-国内を旅行していた。特に中部高原のインレ-湖観光への拠点となっているヘホ飛行場は現地の人が旧日本軍の航空基地と言っていたが気にしなかった。叔父の軍歴からここにも滞在していたようだ。ただ19年の終わり頃、米軍がレイテを目指していると、海軍航空隊支援でタイ方面に移動したようだ。
ヤンゴンでアウン・サン・スーチ-さんの邸宅前で記念撮影した。今はどうなっているのだろうか。やはり日本軍が考えていたように中国・インドの中心となる国でどこへ着くかによって、インド洋の支配権が移る。
自給自足の経済が復活するかもしれない。ごく一部の資源が足りないと経済が回らないことが知れてきた。体のビタミンのようでミャンマ-は資源国でもある。
この国がどう決着するかが2020年代の分かれ目となる気がする。