年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

江戸時代の漬物業者の酸欠事故

2021年03月27日 | 宅老のグチ
藤岡屋日記の嘉永4年の記録を調べていたが、肝心の嘉永4年の上半期の市井の噂話の記録が欠本していて、念のため嘉永4年の後半部分を読んでいたところ、江戸の神田佐久間町の藤堂屋敷前にあった漬物業者の記録が見つかった。なかなか江戸での漬物業者の記録が無かったのだが新宿歴史博物館に記録があったので、注意すれば見つかるという事を実感した。
 嘉永4年7月1日 九ッ前(昼の12時前) 神田佐久間町三丁目 漬物問屋小川屋弥平衛
蔵に漬物を漬けこみ置いたところ、今日は(封してあった樽)入り口を開け、長い間蓋を開けていなかったので、(樽)掃除しようと入った。長く放置していたので(樽の底に貯まった)腐水の臭いがしたので、初めに小僧をハシゴで降ろしたところ、落下し、それを助けようと若者・倅・亭主も落下し、隣の大工も見舞いに来て、またも落下した。都合7人が樽の中に落下した。引き上げたところ倅(せがれ)二人・若者二人は医者の手当ての甲斐もなく4人死去した。最初に落下した小僧は助かったという。主人と助けに入った大工も助かったが二三日後死去したという。
 町名主の計らいで検視には及ばないという処置となった。若者二人には7月2日夜に使いを出して葬礼金10両を若者の親に引き渡したという。
7月3日 主人の子供の兄は輿に乗せ、弟は籠に乗せて並んで寺に葬送したという。
 藤岡屋日記には次のような句が書いてあった。
用心のためと頼みし穴蔵の
あな恐ろししきあなかしこなり

 その後漬物屋に化け物が出ると噂があって、夜分は(付近の)女中が銭湯に一向に行く気配が消えた。

 この記事は当時も樽の底に貯まった異臭が危険があると知っていたようだが空気の入れ替えを怠り、酸欠事故を起こしたと思われる。今でも空気の流れの悪い深い水たまりでは微生物の活動で酸素を消費し、酸欠事故が起きることが知られている。7月の事故なので新暦では8月となるので最も危険性がある。ただこの時期は夏野菜の漬け込み準備の時期で樽を洗浄する時期でもある。神田佐久間町は神田川沿いで狂句から漬物問屋小川屋はなら漬の漬け込み準備をしていたようだ。
 
嘉永4年の1両の価値を調べると、1両が6千円程度で葬礼金が十両なので6万円程度となる。命の値段が安いと感じるのは自分だけなのだろうか。



 
コメント
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