年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

救急車の発進の待ち時間

2021年03月22日 | 宅老のグチ
2月の中旬の土曜日夜に大きな地震があって、その後急に体調を壊した。下痢と続いて嘔吐があって、コロナ感染かと思ったが外出していなかったので体温計を図っても36度前後で時には35度台もあった。とにかく収まらないので近所の日曜日にも開いている医者に駆け込み胃腸炎という診断で薬を処方されたが、その後また嘔吐したので消防署に電話し、救急病院の所で点滴を受けることになった。
消防署の問い合わせで、一か所点滴を受けることが出来たがやはりピリピリしていて、体温が低いので優先順位が低く、点滴まで1時間待たされ、さらに点滴で1時間かかった。家に帰ったのが11時を回った。翌日最初の医者に行って、事情と経過を話し、血液検査をしたところ白血球の数値が異常で単なる胃腸炎で無いと診断され、近所の病院を探してもらった。
 今コロナで不急の患者でもコロナの疑いがあって、救急車が受け入れ先を探す時間が長くなっている。今マスコミはコロナを煽っているが末端の救急隊員が感染状況不明のまま仕事をしている。この様情報をどうしてTVが報道していないのだろうか。単なる家の中の骨折であっても救急隊員はコロナ感染の疑いから始まる。そして体温だけで救急患者の受け入れ先を探す。
 この救急時間は統計を取っていて、うまくすれば推移を明示することが出来る。いくら自粛と言ってももう若い人の行動は制御できない。これからは具体的な数字で制御していかないと感じる。
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三宅島流刑史

2021年03月22日 | 宅老のグチ
東京都の中央図書館がコロナで入館制限があるため、都内の図書館の横断検索をかけたら十数か所の所がヒットした。その中でシルバ-パス利用で行ける所で中央区の京橋図書館と墨田区のひきふね図書館が出てきた。中央区だと今の所調べたい物が少なく、ひきふねを選んで雨の中で、多分空いているだろうと見越して訪問した。
三宅島流刑史 池田信道著1978年
 何か最新の出庫システムがひきふね図書館にあるようで検索して出庫票を出した、紙をカウンタ-の所へ出し、本の所在地のバーコ-ドを読み、引き換え票をもらい、出てくる3階へ行く。5分と言われたがもっと早い。何かボ-リングの球が出てくるような感じで、本が出てきた。この三宅島流刑史は高野長英の逃亡を最後で助け、流罪となった2名の行く先を調べる目的があった。嘉永4年4月に三宅島に流人を運ぶ船が到着したが、記録には載っていなかった。念のため嘉永4年11月25日の記録(5名)も見たがここにもなかった。1978年の発行ならば流罪の行方が判明し、鶴見俊輔氏の評伝高野長英にもお家断絶行き先不明とはならなかったと思われる。またこの2名の流罪の行く先を探すことが続く。なお11月25日の記録では5名のうち生きて三宅島に着いたのが2名だった。残りの3名は途中で病死となっている。
 流罪人の記録がなぜ残っているかと言うと島送りとなった流罪の人たちの動静の記録が正確でないと、島抜けとかで流人島から逃亡した時、誰も追跡が出来なくなる。従って島に来た時から恩赦で出るとき、病死した年月が記録に残っている。ただ島抜けで遺体が漂着しない事例もあって、完全に記録が残っているという事ではないが少なくとも三宅島に到着した時の記録は正確と思われる。
12代将軍家慶 嘉永4亥年4月12日 三宅島江流罪
 大塚孫左衛門様御掛かり 三宅島喜太朗船 合計8人
 この中には松下健次と‘ひで‘と言う女性の名前が無かった。
ここでこの2名の流罪先が見つからないと、都立公文書館へ行くしかない気がする。それと浦賀奉行所で一時、流人船の点検があって、記録があるはずだがどうやら横須賀市中央図書館の会議室の室温管理されていない部屋に市民より寄贈された古文書を放置しているようだ。せっかく浦賀奉行所の跡地を横須賀市が買収したのにまだ具体的な行動が見えない。浦賀奉行所を再建し、古文書を解読し、出版すれば幕末史も正確となって観光客を集めるだろう。浦賀奉行所跡地は京急浦賀駅より歩くには遠く、途中に何もなく観光施設になるのに横須賀市民は価値が解っていない気がする。
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