えびす顔の造花卸売問屋元社長からの手紙

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元日本軍慰安婦の方のお話を直に聞いてやっと確信が持てました。

2013年05月27日 14時46分18秒 | ドンキホーテ
 東北のみなさん こんにちは

 「14歳の時、軍需工場で働くんだと言われついて行った。連れて行かれたのは暑い国の戦場。(中国)広東の慰安所。陸軍司令部があって、部屋が準備され、軍医が身体検査をした。その後、軍隊に連れられてマレーシア、スマトラ、ジャワ、シンガポールと移動し血の涙が出る思いをした。日本政府は自分たちはやっていないというが、どうやって民間人が慰安所を作られるのでしょうか」

 おとといの25日、橋下徹大阪市長との面会を拒否した元日本軍慰安婦の韓国女性二人の証言集会に行ってきました。そのおひとり、金福童さんのお話です。

 この集会に行くまで不勉強な私は、朝鮮で日本軍による慰安所の管理はあったにせよ日本軍による強制があったのか確信が持てませんでした。もちろんインドネシアでオランダ人女性が、また中国では現地の中国人女性が軍による強制で慰安婦にさせられたことは認識していましたが。しかし、今回の証言集会で朝鮮でも日本軍による慰安婦強制はあったと確信しました。

 金さんは「軍需工場で働く」と嘘を言われ慰安所に連れてこられました。誘いに来たのは朝鮮人と日本人だったそうです。その日本人は軍人だったかどうかは分かりません。しかし一方、日本軍が慰安所を管理していたことを示す文書はたくさん残っています。誘いに来たのが軍人だったかどうかに関わらず、日本軍管理下の慰安所から逃げ出すこともできず、そこで強制的に兵士の性的な相手をさせられていました。そのことに対し日本の警察や軍隊は金さんを保護することはありませんでした。これを強制といわず、なんと言うのでしょうか。

 朝鮮人女性の場合、日本の軍隊が直接脅したりして慰安所へ連れて行った事実は確認されていないようですが、金さんのようにだまされたり、甘言を言われて連れて行かれた例はたくさんあります。そして連れて行かれた先の慰安所では逃げることもできず、性的行為を強制させられたのです。銃剣を突きつけて連れて行ったことだけが強制ではありません。そのことがやっと分かりました。

 1993年に出された河野談話はこのところをきっちりと抑えています。しかし今、慰安婦の強制があったなかったの議論は、そのことが置き去りにされ「日本軍が暴力や脅しで慰安所に連れてきたことは無かったから強制は無かった」に摩り替わっています。
 
 私たちはしっかりと事実を見極めないといけません。河野談話を摩り替えるような動きには断固反対します。日本は元慰安婦の方に謝罪しましょう。賠償も日韓の条約で解決済みと拒否せずに誠意を持って償いましょう。私自身、その性について清廉潔白で無いけれど、それでもそう主張します。
コメント (5)
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