えびす顔の造花卸売り問屋社長からの手紙

かすかな希望を抱いて幸せを自慢する尊大な日記。重複掲載御免。造花仏花の造花輸入卸売り問屋・卸専門ニューホンコン造花提供

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2015年11月30日 14時46分18秒 | 我が家
 東北のみなさん こんにちは 

 父に覚悟が必要だと言った翌日の11月12日木曜日、夜付き添うことになっている。早朝、前夜から付き添っている妹から、妻のLINEでマスクの酸素量が上っただとか、昇圧剤を入れだしただとか、昨夜から今朝にかけて母の状態が悪化している様子が刻々と伝わってくる。一日中、今里で仕事の予定で、そろそろ仕事に取り掛かろうかと一階に降りた途端の午前7時45分ごろ、二階から妻が呼んだ。

 「おとうさん、おばあちゃんの呼吸が止まったて」
 妹から妻にLINEで連絡が入った。
 「行こ」
 本当に覚悟を決める。
 「おじいちゃんどうしよ。起こさんと」
 「分かった。翔太は」
 「今から仕事」
 「翔太に朝遅刻するようにゆうて」
 「うん、でもお父さん先に行ったり」
 「分かった、行くわ」
 ズボンをはくと、シャツのボタンも留めずに、バンドも締めずに家の下に止めていた会社のワゴン車に飛び乗った。10分ほどで病院へ着く。
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151112エピソード酢昆布

2015年11月29日 14時46分18秒 | 我が家
 東北のみなさん こんにちは

 後飾りの祭壇に、酢昆布が供えられていました。

 父「誰が供えてくれたんや」
 妻「ちゃいます。おばあちゃんが好きやから、退院しはったら食べはるやろ思て、買ってきててん」
 私「ふーん」


 
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151112エピソードチャーシュー麺

2015年11月28日 14時14分46秒 | 我が家
 東北のみなさん こんにちは
 
 先日、お昼にラーメンを食べていて、もう何年も前に近所においしいラーメン屋ができたと、家族で行った時のことを思い出しました。

 母がチャーシュー麺を注文したのに、そのメインのチャーシューがひつこかったのか一切れ食べただけで、私たちに「もういらん、食べて」と回してきました。

 「そんなんやったら、最初からチャーシュー麺頼むな」

 と、家族みんなで笑いながら、そのチャーシューを分けておいしくいただいた。

 そんなことをふっと思い出しました。
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2015年11月27日 14時46分18秒 | 我が家
 東北のみなさん こんにちは

 ほどなくして姉妹がきた。姉妹が呼びかけるが母はほとんど反応がない。姉妹を待合室へ誘って病室を出た。妻から聞いた様子を伝える。姉妹が言う。先日判明した胸の傷のことを話した。
「胸も弁膜症の手術の跡がうんできてて、皮膚科の先生が処置するの見てたら、めんぼうが皮膚の中に入っていくねん。かなりうんでると思う。今の状態ではちゃんとした処置もでけへんて、抗生剤と化膿止めをぬってるだけやねん」
さらに続けて、
 「このまま悪なるばかりやね。もうこんだけ苦しんだら、そろそろ休ましたらんと。血圧が下がってきてまた昇圧剤入れるんやろか。今レベル5の酸素も10まで上げられると言うけれど、そこまで上げるんやろか。もうこれ以上の治療はええと思う。直るんやったれええけど苦しますばっかりで、かわいそうや」

 頭の中では何度も考えていたが、口に出すのが怖くて言えなかったこと「もうこれ以上(の治療)はええ」を姉妹が言ってくれた。それでもその判断に躊躇する気もあって、明日交替で付き添いに来る姉妹に相談してくれと言って、病院を出た。

 家に帰って父、妻、私の三人で夕飯。
 「おとうはん、今、病院行ってきたけれどあかんな。だんだん悪なってきてる。もう覚悟しやんとあかんで」
 父もうなづいた。

 
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2015年11月26日 14時46分18秒 | 我が家
 東北のみなさん こんにちは

 11月11日夕、八尾流通センターからの帰り、携帯に妻から電話が入った。
 「さっき、担当のM先生が来はってん。DICの数値がだんだん悪なってきてるて。今日透析したけど、血が止まれへんかったから、今も止血バンドしてる。意識もあんまりないねん」
 「分かった、これからそっちへ行くわ」

 30分ほどで到着して病室に入ると、妻が心配そうにベッドの母に寄り添っている。
 「どう」
 「うーん」
 「俺がきたからもう帰ったらええで。今夜はだれが泊まり」
 「姉妹。7時ごろには来るて」
 「分かった」
 「そしたら帰るわ」

 血圧が90前後に落ちてきて、酸素吸入器のレベルも今までで一番高い5になっている。母に大きな声で、「痛いか」とか呼びかけると、何とかうなずく。一時はよくなったように思えたんやけど、やっぱり難しいかもしれへん。
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2015年11月25日 14時46分18秒 | 我が家
 東北のみなさん こんにちは

 11月10日、一日今里の本社で事務仕事をする。付き添っている姉や妹から時より様子が入る。小康状態というのだろうか。低いところでなんとか保っているようだ。
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2015年11月24日 14時46分18秒 | 我が家
 東北のみなさん こんにちは

 11月9日月曜日は朝から八尾流通センターで仕事。お昼は今月入社した二人と一緒に近くの和食レストランで昼食。二人と少しプライベートな話までする。終業前の掃除で、先日のミーティングでトイレ掃除をしている社員から、トイレ掃除をこれからは皆でと提案が出ていたので、率先して掃除をする。ある社員が「社長変わりましょうか」と声をかけてくれる。
 電車通勤している社員をついでに近鉄八尾駅まで送る。母のことが気になり、病院へ寄る。付き添っていた姉と替り今夜付添する妻が来るまで待つ。透析を受けて疲れているのか、ほとんど寝ているような状態。ゼリー食のような夕飯が出ているが食べさせるような状態ではない。小一時間ほどで妻が来る。
 その直後、担当の医長が病室を訪ねてくれる。炎症反応が30から10になったと聴き少し安心する。ただ依然として血小板の数は低迷している。血小板の数はとても少ない。しかし血を固めるのは血小板だけでなく血液凝固因子がある。母の場合、それが機能しているから透析もできる。脊髄で血液が作られているが、今炎症を起こしていて菌をやっつける白血球をたくさん作っている。血液を作る能力が白血球に集中していて血小板を作るのにまわってきていないから血小板が減っているのではないか。さらに炎症が治まって血小板もたくさんできるようになればいいんだが。それに炎症が治まってから血小板の数が戻るまでにタイムラグがある。そこまで体力が持ってくれれば、と説明を受ける。また少し安心して家に帰る。
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2015年11月23日 14時46分18秒 | 我が家
 東北のみなさん こんにちは

 病院に着くと、西宮に住むいとこ夫婦が見舞いに来てくれていた。付き添っていた妻に様子を聞く。重湯のようなのに加え、ゼリーも食べたと。それもぱくぱく。血圧も昇圧剤なしで100以上をキープして安定していると。酸素吸入の濃度も4から3に下がっている。意識もしっかりしている。顔を見せながら「だれや」と尋ねると、自分の弟の名前を挙げた。「違う。息子の光司や」と言うと「光司や」と復唱した。会話ができるまでに回復して嬉しい。表面的にはよくなっている。しかし炎症はまだ収まらず、血小板の数も上がっていない。やはりとても重篤な状態に変わらない。祈る気持ちだ。
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2015年11月22日 14時46分18秒 | 我が家
 東北のみなさん こんにちは

 11月8日日曜日、昼から異業種交流会の仲間Kさんの結婚披露宴がある。黒のダブルで行こうかと思ったが、病院からそのまま出られるように紺のスーツを着て病院に向かう。9時半ごろに病院に着くと昨夜から付き添っていた姉がまだいた。様子を聞く。昨夜、自分で酸素吸入のマスクや栄養を取り込むために鼻に差し込まれていたチューブを外してしまったと。それで、一時血中酸素濃度も下がったが、再び酸素吸入をして今は落ち着いていると。鼻から栄養を入れるチューブもとってしまったので、一度、口から重湯のような食事をとるのを考えてみると。それが食べられたらいい方に向かうのだろうかと希望を膨らませる。1時間半ほどいて結婚披露宴へ向かう。二次会にも参加を申し込んでいたが、母が気がかりで欠席し、自宅に戻る。この晩に付き添う妹が家に来てくれていて、夕方、再び一緒に病院へ向かう。
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2015年11月21日 14時46分18秒 | 我が家
 東北のみなさん こんにちは

 翌朝の11月7日土曜日、朝10時ごろに妻が父を病院に連れてきた。それと交代で家に戻る。本当は休みたいが、たまった仕事をこなし、この日記を書き始めた。その夕方、妻から電話があった。担当のM医師と話をしたら、血小板の数がさらに下がって6000台になった、DICの数値は下がっていると。15000にまで戻って喜んだのもつかの間。今までで一番低い値だ。やはり病状は悪化しているのだろうか。一気に落ち込む。鼻からの栄養を入れると母の血糖値がとても上がるので、カリウムの投与も始まったと。
 その夜は父の退院のお祝いですき焼き。付き添いから帰った妻と三人で食べる。たわいもない話をして過ごすが、気の重たさはどこかに残っている。午後10時過ぎ、そろそろこの辺で日記は追えよう。明日は、出られないと思っていた異業種交流会仲間のKさんの結婚披露パーティーだ。
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2015年11月20日 14時46分18秒 | 我が家
 東北のみなさん こんにちは

 その夜は母の横でテレビの「釣りバカ日誌」を見て、笑う。意識を取り戻した母は体にまとわりついている点滴などのチューブを外そうと手を上げたり下げたりしている。危ないからと手には手袋をはめられている。前回は意識が混濁していてよく寝てくれていたのでこちらもそこそこ寝られた。しかし、今回は「トイレ」と呼びかけてきたり、手を動かして点滴を外そうとするのでこちらも寝ておられない。30分もたたないうちに起こされる。ようやく午前3時ごろから静かになり、朝の6時までは休んでくれた。何度起こされても、それも回復に向かっているのかなと思うと苦にならない。ましてやうれしい。

 香港・中国出張も行けたのかなとまで思う。
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2015年11月19日 14時46分18秒 | 我が家
 東北のみなさん こんにちは
 
 翌日の11月6日金曜日、付き添っていた妹からさらに良い知らせが入る。血小板の数が15000に増えたと。奇跡が起こるかもしれない。少し安心する。そして沈んだ気分が雲が流れるように去った。重篤な状態には変わらないが、先日、医師に宣告を受けた際は、絶対に助からない、望みのかけらもなかった。それがほんの少し希望が見えてきた。絶望ではなくなった。そのかすかな希望で人の気持ちはこれほどほぐれ和らぐのか。

 この日、リハビリ病院に入院していた父が退院してきた。こちらは妻が迎えに行った。その父に叔母の入院も話す。

 その夜は私が付き添い。先日は気重に付き添った。病院に行く前はコンビニ弁当を買っただけ。この日は心の余裕がある。わざわざ少し遠回りしてコリアタウン、桃谷商店街を自転車で回る。その途中、桃谷商店街のお寿司屋さんでサラダまきを買い、かしわ屋さんで焼き鳥、さらにお菓子屋さんにも寄った。かすかな希望がこれほど心を和ませてくれる。妻と交代する際にも、「今夜は桃谷商店街で買ったサラダまき」とおどける。
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2015年11月18日 14時46分18秒 | 我が家
 東北のみなさん こんにちは

 11月5日木曜日は八尾の流通センターでのサンプル写真の撮影日、午前でそれを終え、今里に帰る。泊りから帰ってきたばかりだという妻に様子を聞く。ちょっと熱が出たりしながらも変わらない。しかし、血小板はさらに8000に減った。血小板の輸血は引き続き続いていると。
 その日中は姉が付き添い、夜は妹の日。夕方には二人ともいるだろうからと6時過ぎに病院に行く。二人がベッドの脇で母を見守っている。さっきまで39度の熱が出ていて今、やっと落ち着いたところだ。意識もあり、自力で血圧を保てていて、昇圧剤の投与はやめたと。ちょっとでも希望が出てきたのかと思う。頭痛は無くなった。
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2015年11月17日 14時46分18秒 | 我が家
 東北のみなさん こんにちは
 
 翌日の11月4日の祝日明けも新入社員一人と以前いた社員計2人が職場に復帰する日。朝からそのことを伝える朝礼、また仕事の段取りと忙しい。夜には会社全体と営業のミーティングが二つ控えている。そのミーティングで社員らに母の容態を打ち明け、香港・中国出張を12月に延期したことを伝える。午後8時前に仕事が終わる。

 この夜は妻が付き添いで泊まる番。家への途中、妻に電話を入れた。もし様子が悪ければ病院へ足を運ぼうと。変わりはないと妻。病院へ寄らずに家に帰る。

 家に帰っても落ち着かないが、早めに寝床に着いた。
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2015年11月16日 14時46分18秒 | 我が家
 東北のみなさん こんにちは

 病院に付き添いで泊まった翌朝の11月3日は祝日で6時ごろに目が覚める。母はまだ意識がもうろうとしていて、付き添ってもそれほど世話はやかないですんだ。看護師が検査用の採血をしに来たが、注射器を入れると血液が固まってしまって採れない、また後で来るという。DICのせいで血液も採れない状態なのか、とても気になる。10時ごろに付き添いを替わるために妻がきた。ちょうど担当のM医師も来た。重篤な状況は変わっていない。血小板がさらに8000にまで減り、悪化していると。

医師に尋ねた。

 「昨日、姉と妹がここ一週間が山場やと言われたそうですが、今も同じですか」
 「お母さんおいくつになられました」
 「82です」
 「私のこれまでの経験から言うと、10、20の患者さんの例ですが、そのお年でこういう症状になられて回復された方はいません。きわめて厳しい状況です。これから血小板の輸血もします」

 意識が回復し、少しは良くなっているのかとかすかな希望を抱いていたのを打ち砕かれる。電話で姉と妹にそのことを伝え、見舞ってくれた母の兄弟にも電話を入れた。母が一番仲良くしていた横浜の叔父に話した時には泣けてきて、ちゃんと伝えられない。とても親しくしていた父方の叔母にも電話した。感情が高ぶってしまう。
 「おふくろがあかんみたいやねん。感染症で意識ももうろうとしていて、お医者さんが助かる見込みないて」
 叔母がいろいろ慰めてくれたが、あまり頭に入らない。覚えているのはもう一人の叔母も岡山で大たい骨を骨折し入院している。あさってから付き添いで岡山に向かうと。4、5日向こうで滞在する。会いに行きたいが、今は難しい。帰ってきたら来ると。
 電話をしながら頭が痛くなってきた。これほど感情が高ぶると自分で制御できなくなるのだろう。妻と付き添いをかわって家に帰る。

 戻っても頭の痛みが続く。めったに頭痛にならないのに。精神的にダメージを受けているのだろう。妻が作ってくれていたカレーを食べて、妻の帰りを待つ。姉と交代で帰ってきた妻に様子を聞くが、あまり変わらない。
 頭痛を直そうと、ビデオにとっていたお笑い番組を見て無理やり笑って布団に入った。
 9日に控えていた香港・中国出張のキャンセルを決める。
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