日曜百姓ー
昔は兼業で農業をしている人のことをこう言っていました。
夫もずっと前は日曜百姓でした。 田植えシーズンになると、義母が、やれどこそこの田はもう代かきをしているだの、誰やらは水を入れていただの、ちょっといらいらとしてきたものです。
季節を違えず成長する植物を相手にする仕事は、みんな同じ時期に同じ作業になってしまいます。 良かれ悪しかれ、それが農村のアイデンティティーを形作ってきたのではないかと思っています。 機械化されてない時代、人々が共同作業しなければ農業が成り立たない時代ならなおさらのこと。
そうはいっても、機械を操る夫は日曜日しか作業ができません。 よそ様の田んぼより作業が遅れるのが義母はいやなようでした。
日曜百姓にとっては、先週の土曜日曜あたりが、田植えのピークかなと思って、様子を見に行ってきました。
やはり、普段よりは人の姿が多いようです。 機械で植える人、 苗の束を掴んで立っている人ー これは「はざ植」といって、機械が植えることのできない田んぼの隅や、機械が植えるのをとばしてしまったところに手植えで苗を植えていくのです。
はざ植のお手伝いをしている子どもたちも見かけました。 この子たち、天然記念物並みに貴重ですね。
植えたばかりの短い稲が広がる田んぼ。 これが田植えシーズンには昔から見られる風景です。
というのは、だいたい田植えというのは、昔は水の流れによって順番が決まっていたそうです。 山の方の高い田んぼから植えていって、田植えが終わると下の田に水を落とし、水がきたら田植えをし、終わったらまた下の田へ落とす・・・・ ですから高さの同じ田んぼはだいたい同じ時期に田植えをします。
こちらの田んぼはその原則に従って植えたのでしょうか。 高いところほど稲が大きくなっています。
しかし、今ではその様子も大分変わってきました。 まだ植えてない田と、稲がかなり大きくなった田と、まさに今植えている田。 それぞれの事情に合わせて田植えの時期も選んでいるようです。
このように田植えがバラバラになってきたのは、 農家の人々の意識が、よそはよそ、うちはうち、むしろ人と同じことをしていたのでは儲からないと、変わってきているのかもしれません。
また、品種改良が進んで極早生から晩生まで様々な稲があり、農家の考えにあった品種が選べることや、ダムの水やくみ上げポンプのおかげでいつでも水が手に入るということも関係しているのかもしれません。
そして、田植えの最盛期は昔よりも1週間程度遅いそうなんですね。 なんでも温暖化の影響なんだとか。 夏の高温時に稲がどうにかなるのを避けるため植える時期をずらしているそうなのですが、穂がでる時期のことかしら? うちは稲を植えていませんのでよく分かりません。
というわけで今では3月末から6月末くらいまで田植え風景が見られます。
今までに撮った写真の中から何枚かご紹介。
代かきに群がるさぎたち。 5月末、山の田んぼで。 トラクターを取り囲むさぎたちの様子がかわいいんです。
絶海の孤島? 電線がじゃまですねえ。 田んぼの真ん中に神様がまつってあるのです。
10日ほど前、田んぼに映る夕日がとてもきれいだったのですが、車を停める場所がなくて、日没直前にやっと撮れました。
田植えにもこんなに時期のずれがあったのですね。
こちらは、もうほとんど一斉に田植えが始まり終わります。
地域差なんでしょうか。
おもしろいですね。
「日曜百姓」「はざ植え」・・・・聞いた事があります。。
私の地域でも、田んぼにはこの様にサギが群がる光景を目にする事がありますが、微笑ましいです。。
最後の夕景素敵ですね~~~。。
この様な夕景は、条件が揃わないと中々撮れませんが、シャッターチャンスが素晴らしいですね。。
有難う御座いました。^^)
田んぼの真ん中に神様がまつってある写真ビックリしました。
今治の上徳の「桜元塚大明神」のようですね。
今では農業ひとすじにやっておられるお家が激減しているのでしょうね。
それにしても田の風景は美しい。
日本人の原点ですね。
田植えの時期がずれているのは、こちらが稲作に適した気候と土地だからなのでしょうか。早くに植えても遅くに植えても良く育つのだと思います。農業には恵まれた土地ですね。
田んぼの夕日は、今治市で撮りました。あちらは夕日がきれいですね。もっともっときれいなところがあったのですが、残念ながら車をとめることができませんでした。カメラも腕も悪いので、せっかくのシャッターチャンスを生かせないことが多いです。
毎日毎日、よくがんばられましたね。
確かに日本人の原風景かもしれませんね。それだけでなく、田んぼの水は地下にしみこんで地下水を豊かにするのだそうです。命の源でもありますよね。