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5月24日(木) SF上方落語

 
午前4時起床。1時間ほど原稿書き。SF上方落語「宇宙の七度狐」完成。次の次の号の「星群」に投稿しよう。いずれこのブログにも載せるつもり。SF上方落語第3弾として「はてなの原発」というのを考えている。ポタポタ1次冷却水がもれる原子力発電所。第1弾をよろしく
5時から朝食作り。今朝はハンバーガー。5月の料理のテーマは世界旅行といっておきながら先週の土曜のホットドッグに続いてまたまたアメリカンジャンクフードだが、ま、いいか。
 玉ねぎを炒めて牛ひき肉に混ぜる。塩、こしょう、ナツメグで味付けしてフライパンで焼いてパテを作る。バター、マスタードを塗ったハンバーガーバンズにパテをのせ、レタス、チーズを挟んで200度のオーブンで15分焼く。
 ハンバーガーとコーヒーの朝食を食べて、阪神ネタの朝のテレビを少し見たら6時15分。この時間には家を出る。小生の勤務先は少し朝が早いのだ。
 午後5時には勤務先を出る。残業はない。足が痛いが健康のため最低一駅分は歩くように心がけている。今日はJR神戸駅から三宮まで歩く。南京町を通って三宮センター街へ。ジュンク堂、星電社をのぞく。DVDの中古屋にも立ち寄る。谷山浩子のCDを買う。その後サンチカへ。国際会館地下の「ビゴの店」でバゲットを買う。バゲットはやっぱりビゴが一番おいしい。
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大脱走

監督 ジョン・スタージェス
出演 スティーブ・マックィーン、チャールス・ブロンソン、ジェームス・
コバーン、リチャード・アッテンボロー

 ものすごく久しぶりにこの映画を映画館で観る。娯楽映画のお手本のよう
な映画だ。明るく楽しい登場人物。スリルとスピード。ハラハラドキドキ。
観客を「どうするどうする」と、思わせておいて、「こうするこうする」とぐ
んぐん引っ張っていく。映画が始まってから終わるまで片時も観客を現実に
戻さない。優れた娯楽作品は短い言葉で説明できるというが、この映画は捕虜
収容所から捕虜たちが脱走する話。
会話が面白い。脱走用のトンネル掘りがばれそうになった。ブロンソンがあ
わててシャワーを浴びてごまかす。横でコバーンが見ている。ドイツ兵が聞く。
「何をしている」
「見りゃわかるだろ。シャワー浴びてんだ」
「お前はなにしてる」
「水難救助だ」
 話のテンポがよい。
「いつ出る」
「今夜だ」
「いつやる」
「今日だ」
 すべてこの調子。何日後なんてこといって、事を起こすまでダラダラと時間をひっぱらない。実に軽快に映画は進んでいく。例えばジェームス・ガーナーの調達屋。脱出用の機材の調達を担当しているのだが、無理難題を顔色一つ変えず平然とこなしていく。カメラを口先だけで調達したり。この物資の調達だけでも充分に面白い。もちろんメインのトンネル掘りの面白さ。そしてマックィーンが仕事と趣味を両立させたバイクのアクション。娯楽映画の見所のデパートみたいな作品だ。
 これは実話とのこと。250人脱出する予定が76人しか脱出できず、50人が射殺された。他は収容所に逆戻り。結局3人しか逃げおおせなかった。だからこの作戦は失敗といえる。しかし逃げた捕虜の捜索にドイツ軍は手をとられ、それがノルマンジー上陸作戦の成功の遠因になったという。






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5月23日(水) 若冲の曼荼羅

 毎日放送の「若沖降臨」を観た。民放なので少々演出過多なところが気になるがなかなか良い番組だった。若沖の絵を真正面からバーンと見せてくれて若沖独特の迫力を存分に楽しめた。
 この番組は京都の相国寺で開催されている「若沖展」にリンクして企画された番組。伊藤若沖は33幅の絵を相国寺に寄贈した。すなわち「釈迦三尊像」と「動植綵絵」の33幅。当初は「釈迦三尊像」の周囲を「動植綵絵」が取り囲むように配列されていたらしい。
 明治期廃仏毀釈で寺が危機にさらされた。そこで一連の「動植綵絵」は宮内庁に移管された。その後「動植綵絵」はずうっと宮内庁で保管されていて、このたび120年ぶりに里帰り。「釈迦三尊像」と再会をした。と、いうわけで今回の展覧会となったわけ。
「動植綵絵」はいろんな動物や植物を極めて精密にリアルに描いてあって若沖の独断場ともいえる作品群だ。有名な鶏の絵もこのシリーズの作品。非常にリアルに正確に描いてあるので小生は図鑑の類のものだと思っていた。しかしたんなる図鑑にしては異様な迫力だし、若沖独特の仕掛けが各所に施してある。はて、これはどう解釈したらいいものかと思っていた。
 それがこの番組を観て氷解した。「釈迦三尊像」と「動植綵絵」はいっしょにしてこそ意味があるのだ。つまり釈迦の周りを様々な生き物が取り囲んでいる。若沖は熱心な仏教徒だった。ようするに「釈迦三尊像」と「動植綵絵」は曼荼羅を構成しているのだ。若沖の意図した通りに並べると壮大な仏教的世界がそこに広がる。つまり「動植綵絵」は単なる図鑑ではなく宗教的なコンセプトを持った絵画だったのだ。小生はそこに手塚治虫の「火の鳥」のテーマとあい通じる「生命と宇宙」を感じた。ぜひ実物を観に行きたいものだ。

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5月22日(火) 阪急会館の最後に立ち会う

 OS阪急会館へ行ってきた。5月10日の日記で書いたようにOS阪急会館は5月22日をもって閉館となる。さようなら企画として何本かの名画が上映されている。小生の好きなジョン・スタージェスの映画もさよなら企画のラインナップにのっている。これはぜひ行かねばならない。と、いうわけで最終日の今日スタージェスの「大脱走」を観に行った。この映画、確か小生の記憶に間違いがなければ、神戸のロードショー劇場は阪急会館ではなく、新開地の、いまはなき聚楽館だったのでは。この映画は小生はもちろんDVDで持っているが、こうして映画館の大きなスクリーンで観られたのはありがたいことだ。
 最終日ということで新聞やテレビが取材に来てた。OSの職員のあいさつのあと。早速映画がはじまる。エルマー・バーンスタインの音楽が鳴り出すともうワクワク。マックィーン、コバーン、ブロンソン、懐かしいおじさんたちがゾロゾロ出てくる。ワッええな。で、思ったのだが、ジェームス・コバーンとアンディ・シーツ、リチャード・アッテンボローと岡田監督が似てるな。
 映画が終わった後拍手があった。久しぶりに気持ちよく映画館で映画が観られた。小生最近はあまり映画館に行かずもっぱら自宅でDVDなのは、お金と時間の都合もさることながら、映画の見方も知らんサルどもと映画を観るより自宅でDVD観てる方がいいから。帽子をかぶったままのやつ、隣とペチャペチャしゃべるやつ、ガサゴソ何かを食うやつ。こいつらのせいで不愉快な思いをしたことがたびたび。なんでカネ払って不愉快な思いをせなあかん。
 その点今日のみなさんは映画の見方をよく知っている方ばかり。気持ちよかった。やっぱり映画は映画館で観るもんだ。サルどもがいなければ。
ずいぶんきれいな階段になったが例の螺旋階段を降りてコヤの外へ出る。さらばOS阪急会館。これで小生の青春の思い出が神戸からまた一つ消えた。とはいうものの本当の「阪急会館」は阪神大震災ですでに亡くなっていたのだが。
 


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雨がやまんのう

 雨が降り続いている。今やずぶ濡れの日々があたりまえで、乾燥した日のことはみんな忘れている。
「この雨はいつから降り出したかのう」
「忘れた」
「昔はこのあたりも日照りで困ってたがのう」
「そうじゃったの」
「困り果てて、村人どもが雨乞い源兵衛を呼んで雨乞いをしてもらったのを憶えているかや」
「憶えているぞ。あの雨乞いが効いたのじゃろか」
「効いたのじゃろ。あれから雨が降り出した」
「降り出したのはいいが、あれから雨が止まんようになったの」
 六人の男たちが道ばたに立っている。六人ともずぶ濡れ。老人といってよい年齢で、柔和な表情の優しそうなおじいさんたちだ。
 六人のうち四人はこっくりこっくり居眠り。二人がのんびりと話をしている。この六人、毎日、日がな一日、何をするということもなくこの道ばたに集まっている。水浸しになりながら酔狂なことだ。
 彼らのすぐ横には小川が流れていて、小鮒やどじょうがいたが、今はもうない。後ろの空き地には春はレンゲ、秋には彼岸花が咲き夏にはひまわりが太陽とにらめっこをしていたが、降り続く雨のためそれらはみんな水の底。ともかくあたり一面みんな水浸し。 
 居眠りしていた四人のうちの一人が目をさました。
「あ~あ。ようねた。あや、まだそのへん水だらけじゃの」
「おきたかや。そうじゃ、あれから雨がやまんのじゃ。こうも雨が降りよると、水ばっかりで雨やら晴れやらようわからん」
「ところで今は夏かいの」
「そうじゃのう。雪が降ってからだいぶ経つからもう夏のはずじゃ」
「ほんじゃ。村の子供たちがワシらの所に集まるはずじゃが今年はどうしたんじゃろ」
「そういや、村の衆をぜんぜん見んようになったの」
「おい。この水なんかしょっぱいぞ」
「ほんとじゃ。それに妙な魚がおるぞ」
 彼らの前を見慣れた鮒やどじょうではなく、スズキとボラが泳いでいった。
 地球温暖化は極端な大雨を降らせた。それに海水面の上昇により、海に近い盆地のこの村は完全に水没。海とつながった。
 レンゲ、彼岸花のかわりにホンダワラやワカメが生い茂り、鮒やどじょうのかわりにスズキやボラ泳ぐ。
 毎年地蔵盆に集まってきた村の子供たちは村を捨てて都会へ出ていった。
 海の底では、来るはずのない子供たちを待って、六地蔵がのんびりと立っている。
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博士の愛した数式


監督 小泉堯史
出演 寺尾聡 深津絵里 吉岡秀隆 浅丘ルリ子 

 美しくロマンチックな映画だ。数学、阪神タイガース、江夏豊、これらのキーワードを並べて美しい映像が想像できるだろうか。あまりできないだろう。仕掛けは主人公の数学者の記憶障害。彼は交通事故で記憶に障害を持ち、記憶が80分しかもたない。
映画は高校の数学の授業から始まる。若い教師は自分のニックネームをルートだと自己紹介する。そして自分にこのニックネームをつけ数学の面白さを教えてくれたある数学者と母の話を生徒たちに語り始める。
 母は障害者の博士の身の回りの世話をするため家政婦として雇われる。彼女は博士の障害を理解して親身になって博士の世話をする。未婚の母である彼女は博士の勧めに従って息子も博士の家で食事を食べさせるようになる。博士は息子にルートというニックネームをつけてかわいがる。
 博士は母とルートに数字の持つ不思議さ面白さ美しさを教え、また阪神ファンで江夏ファンの博士は学生時代野球をしていた。そしてルートに野球を教える。いつしか母とルートにとって博士と過ごす時間はかけがえのないものとなっていった。
 80分しか記憶がもたないという障害によって、博士は極めて純粋な人間となった。博士も事故に遭う以前はどろどろとした人間関係があったのだろう。しかし今、博士の頭の中は数学のこと、かっての阪神タイガースと江夏豊のこと、そして目の前にいる母とルートことだけ。80分の記憶という最小のメモリーを持った事によって博士の持つ人間としての最も美しい部分が際立ったのだ。だから冒頭にいった、数学、阪神タイガース、江夏豊、といったキーワードでこんなに美しい映画となるのだ。
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5月21日(月) ××は××の××だ

 プロ野球をテレビで見ていたら中日の李炳圭を「韓国のイチロー」とアナウンサーがいっていた。小生はこういういい方は嫌いだ。この「××は××の××だ」といういい方、両方に対して失礼だろう。李炳圭に対してもイチローに対しても。
 李炳圭は李炳圭だしイチローはイチローだ。鹿児島を東洋のナポリといったり、芦屋を西の田園調布といったり田園調布を東の芦屋といったりもする。芦屋は芦屋だし田園調布は田園調布だ。確かに例えとして分かりやすい。しかし表面だけ似ているものを、中身、本質まで理解しようとせず、安易に言葉に言葉をかぶせてしまう。首記のアナウンサーの場合、李炳圭の上にイチローという言葉をかぶせてしまったわけ。言葉を使って表現しようとする者にとっては、確かにこういう安易な表現は使用したくなる誘惑にかられるが、可能な限りつつしみたいものだ。
 これと似ているが、「まるで××のよう」といういい方がある。先日、パスタ屋の前を歩いていたら「ほどよく茹であがったパスタの上にかけるのは三日間煮込んだミートソース。このミートソース、まるでビーフシチューのよう」と、店の前の黒板に書いてあった。
 これではミートソースはビーフシチューより位が下で、ミートソースが努力してがんばってやっとビーフシチューのレベルにまで達した、ということだろう。これではあまりにもミートソースにたいして失礼だろう。ミートソースとビーフシチューはあくまで別のジャンルの料理であって同列に論じることはできないはず。鳥谷がバッティングを極め超一流の打者になったとしても「鳥谷のバッティングはまるで荒川静香のイナバウアーのよう」なんていうか?   

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5月20日(日) これがバールだ

 
よく強盗事件の新聞記事で「バールのようなもので金庫をこじあけ」とあるが、これは金庫破りに使った道具を記者が確認できなかったからこんな書き方になったのだろう。とすると現場に金庫破りに使った道具は放置されていなかったのだろうか。賊は金庫の中身といっしょに「バールのようなもの」を持って行ったのだろうか。そんなモノを現場に置いて行ったらアシがつくかも知れないと思って。しかしただの鉄の棒。血痕とか指紋がついているのならともかく、出どころが特定でき犯人に結びつく重要な物証とは考えにくい。
 となると「バールのようなもの」は現場に有ったのだが、警察が記者発表しなかった。と、考えられる。しかしこの仮説も、報道されると犯人逃亡の一助になると警察が判断したわけだが、あんなものが新聞やテレビに出たからといって犯人が逃げやすいとは思えない。
 ようするに賊が金庫破りの道具に使ったモノが特定できないから「バールのようなもの」と記事に書くわけ。ひょっとすると超絶的な金庫破りの技術を持っている賊で、毛抜きで金庫を破ったのかも知れない。となると「毛抜きのようなもので金庫をこじあけ」と記事に書いてもいいわけだ。
 小生は新聞記事の書き方の基準を知らないが、このような事件の記事を書く時、金庫破りの道具が確認できなかった場合の例えとして「バール」という言葉を使うべし、との決め事があるのだろうか。いや、そんなものは無い。記者の判断に任されているのなら、一人ぐらい「毛抜きのようなもので金庫をこじあけ」と記事に書く記者がいてもいいのでは。

「日本の話芸」を観る。
笑福亭松喬 佐々木裁き
じっくりと聞かせてもらった。松喬師匠の重厚洒脱な噺はええな。

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5月19日(土) その時桧山は打席で?

 
今日の朝食はホットドッグ。先日亡くなった藤原伊織さんの「テロリストのパラソル」でホットドッグを作るシーンが印象に残っている。小生のホットドッグの作り方は、同書に出てくる作り方とほぼいっしょ。どんな作り方かはここではいわない。興味のある方は「テロリストのパラソル」を読んでください。藤原さんの供養にもなる。

 昨日の珍問答。
「さあ、代打の桧山。打席に向かいます。桧山はどういうこと考えて打席に立つでしょうね。福本さん」
「どういうこと考えるって?そんなん決まっとるやんか。打つしかないやろ」

 このアナウンサーは解説の福本豊さんにどういう答えを期待したのだろう。ここで桧山が打席に立った時、彼は何をするか可能性を考えてみよう。打席で、
①弁当を食う
②バットを顔の前でかまえる
③打つ
④バットをマイク替わりに握って「六甲おろし」を歌う
⑤座禅する
⑥後ろ回し蹴り一閃相川を倒す
⑦ベントラベントラとつぶやいて円盤を呼ぶ
⑧三振する
⑨シュワッチと叫んで巨大になる
⑩目の前の山北がジャイロボールを投げるか身構える
⑪座布団に座って「こんにちは」「お、こっち入り」という。

⑧は野球選手である限り考えられない。①⑤こんなことをした野球選手はいないだろう。もし桧山がやったら彼は球史に残る。②「巨人の星」の花形満じゃないんだから④そこでやるよりヒーローインタビューの御立ち台でやって⑥K-1じゃないんだから⑦ベントラなんぞといったってわからん人もおるやろ⑨こんなことをしたら甲子園がつぶれてオマリーとボーグルソンの奥さんにおこられまっせ⑩彼は「探偵ナイトスクープ」で謎のピッチャーにこのボールを投げられて見事打ち取られた⑪繁昌亭でやって
 と、いう具合に考えていくと③しか考えられへん。まったくアホなこと聞くアナウンサーであった。
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5月18日(金) 江戸川乱歩は偉大なり

 NHK「その時歴史が動いた 江戸川乱歩」を観る。乱歩が日本探偵小説作家クラブを創設するまでを紹介していた。
 江戸川乱歩は日本SFの大恩人である。と、断言しても異論のある人は少ないだろう。矢野徹が日本にSFを広めたいと考えて、まず相談に行ったのが乱歩である。乱歩は矢野に的確なアドバイスをおくり、陰になり日なたになって矢野を支援した。星新一を見い出し筒井康隆を見い出し、探偵小説界の軒下を借りていた生まれたばかりの日本SFの大きな力となってくれた。日本SFが今日あるのは、矢野徹、柴野拓美、福島正実の3先輩をはじめ星、小松、眉村、筒井たち諸先輩方の尽力の賜物ではあるが、初期の乱歩の応援を忘れてはいけないと小生は思う。
 乱歩がなぜこれほどまでに日本SFに肩入れしてくれたのか?小生は根っからのSFファンとして知りたいと思っていた。この番組を見て納得した。番組で紹介されたストーリーの、人名を入れ替え、「探偵小説」を「SF」に入れ替えるだけで、話しはそのまま見事に相似形となる。
 終戦直後日本の探偵小説は全滅していた。それを作家を見い出し育てて、雑誌を育てて、探偵小説、のちの推理小説の隆盛の礎を築いたのは乱歩である。戦後の乱歩は作家としての活動よりも、探偵小説全体の発展を促すプロデューサーとしての活動に軸足を置いていた。乱歩の盟友横溝正史の活躍、松本清張らの登場によって探偵小説/推理小説が軌道に乗り始めたころ、矢野がSFを日本に根付かせるため相談に来たのだ。この時、乱歩は全滅していた日本の探偵小説を復興させるべくがんばっていた自分と、そこにいる矢野を重ね合わせたのだろう。
 ちなみに大藪春彦を見い出したのも乱歩だ。探偵小説、推理小説、ハードアクション、そしてSF。今の日本のエンタティメント小説の源流をたどれば、いずれの流れも乱歩に行きつく。偉大なり江戸川乱歩。 
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5月17日(木) 子供に見せたくない番組?

「子供に見せたくない番組」が発表された。1位は「ロンドンハーツ」とかいう番組。理由はバカバカしいから。
 映画のR18指定ならいざ知らず、普通に放送されているテレビの番組だろう。小生はこの番組を見たことがないので、あれこれいう資格はないが、この番組はそんなに有害なものだろうか。確かに極端な性描写や残虐なものは子供に見せてはだめだ。しかし普通の時間帯に放映されている番組に性描写や残虐シーンがあるとは思えない。それならアニメの「名探偵×××」の方がよほど有害だ。人はその程度のうらみで簡単に人を殺すもの、と、見てる子供たちに思わせてしまう。この「名探偵×××」は「見せたくない番組」のリストには入っていなかった。
 子供に見せたくない番組なんぞというバカなことを考えているヒマがあるなら、「バカ」と「カシコ」をしっかり見分けられる子供を育てるにはどうすればいいかを考えるべき。子供が「ロンドンハーツ」をみていたら、「凸凹ちゃん。そんなもん見ちゃだめですよ」といってテレビのスイッチを切るのだろうか。で、子供といっしょに街を歩いていてバカなものが見えたら「凸凹ちゃん。そんなもん見ちゃだめですよ」といって子供の目をふさぐのだろうか。そして「バカ」なものをまったく見たこともない子が大人になるどうなるか?
 この世は「カシコ」いものがたくさんある。その反面「バカ」なものもいっぱいある。「カシコ」なふりして「バカ」なものもある。もちろんその逆も。大人になって「カシコ」と「バカ」をしっかり見分けられるように子供を育てることが大切なのでは。そういう観点で見るとこれらのバカ番組も子供の教育用として存在意義があるのではないだろうか。むげに否定するのはいかがなものか。
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5月16日(水) まずいもん自慢

 小生はうまいもんを食うのが好き。うまいもんも色々食ったが、うまいもん食った自慢をしてもうらやましがられるだけで面白くもなんともない。で、まずいもの食った自慢をする。 
まず、神戸の有名なストリートで食った冷やし中華。そこは×××ロードといって神戸を代表する有名な道。三宮の東急ハンズで買い物したあと、その道を歩いていて、時分時になったのでなんの気なしに、手近にあった中華料理屋に入った。夏だったので冷やし中華を注文した。刻みキャベツがトッピングした冷やし中華が出てきた。キャベツは下手に使うと田舎くさくなる。田舎くさい冷やし中華だなあと思って食うと薄い塩味しかしない。神戸の中華料理のレベルはかなり高い。その神戸の中心地でこんな店が存在することが不思議。食事中にも予約の電話が入っていたようだ。謎が謎を呼ぶ世紀末の中華料理屋。
有名な某ファミリーレストランチェーンで外食した。イタリア料理フェアをやっていた。なんでも高名なイタリア人シェフが監修しているとか。リゾットを食った。なんとも珍妙な味だった。小生もリゾットはよく作るが小生のリゾットの方が100倍はうまい。 
カリフォルニアへ旅行したことがあった。世界的に有名な某テーマパークで食ったホットドッグ。パンはスポンジみたい。ソーセージは妙な臭い。腹は壊さなかったがなんともまずいホットドッグだった。ちなみにこの旅行中ビールはどこでもバドワイザー。バドワイザーも最初は毛色が変わっていいが香料が強すぎてあきる。ロスアンジェルスの日本料理屋で飲んだキリンがうまかったことうまかったこと。やっぱりビールは日本のビール。できればエビスがええな。
親戚の仏事が大阪の生野区であった。仏事のあと会席となった。ちゃんとした店構えの料亭だったが、素人の手料理みたいな料理が次々出てきた。日本料理屋の場合、吸い物の味を見れば程度がわかるが、顆粒のダシの素を使ったのかと思うような味。くいだおれの街大阪のど真ん中でこんな料亭が存在することが、これひとつの不思議。女将が席にあいさつに来た。こんなものを客に食わしておいて平気な顔してあいさつに来れるもんだ。これふたつの不思議。仏事を執り行った親戚の人がかわいそうになった。
この歳になると今まで食ってきたものより、これから食うものの方が少ない。無限に食えるわけではない。まずいもんを食ってる余裕はないはず。もっと考えてモノを食おう。

阪神VS広島。もうこれから広島とやるときは時間使って試合せんでもええんとちゃうの。ハンをポンと押して、ハイ阪神の負け。
①先発ピッチャーが1回に先取点を取られる。
②チャンスを作るが残塁の山。
③リリーフピッチャーがやらんでもええ点をやる。
これしかせえへんのやから時間使って試合やるだけムダ。
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5月15日(火) 手塚治虫の業

 NHKアーカイブスの「手塚治虫 創作の秘密」を観た。いやあ凄かった。何がって。手塚治虫というクリエイターが持っている「業」が。小生は手塚っ子で手塚マンガで育った世代。だから多少は知っていたが、こうして改めて映像で観るとその凄まじさを再認識した。
 3日間の合計睡眠時間は3時間。手塚プロの応接室には常に複数の編集者が手塚の原稿が上がるのを待っている。どの編集者も自分の雑誌に穴を空けるまいと必死。理屈は通じない。声のでかい編集者の原稿から先に仕上がる。所用でフランスへ行く予定。原稿が仕上がっていない。連載を飛ばすかフランス行きを止めるか二つに一つ。結局、行きの機内で原稿を書き、フランスからファックスで送稿。食事の時間がとれない。コンビニのおにぎりを食べながら原稿書き。アニメフェスティバルでグランプリを受賞。受賞パーティー会場→ホテルの自室で原稿描き→受賞パーティー会場→ホテルの自室で原稿描き→の繰り返し。番組取材時、手塚は60近い。こんな綱渡りを40年も続けている。
 観ているだけでしんどくなった。なにが手塚を動かしているのだろう。クリエイティブな仕事をしている人はみんな同じだと思うが、何かを創り続けないとおられない。手塚の場合、自分自身の表現活動と大衆が求めるものが見事にシンクロしたのだろう。それに彼自身の中から出てくる何か、これはもう仏教用語でいう「業」「カルマ」としかいいようがない。その「業」が加わって手塚を「マンガの神様」たらしめているのだろう。はたして手塚自身は幸福だったのだろうか。彼はこの番組から3年後60歳で癌で倒れる。亡くなる直前まで原稿を書いていたという。
「マンガが描けなくなった。アイデアはたくさんあるのですが」番組中での手塚自身の言葉。マンガの神様がマンガを描けない!小生はこの言葉にクリエイターの底知れぬ苦悩を読みとった。そして桂枝雀を思い出した。浪速の爆笑王の名をほしいままにして人気絶頂のさなか突如としてこの世を去った桂枝雀を。
晩年、枝雀は高座に上がってニコニコしているだけで客が笑い、ニコニコしただけで高座を降りる。これを枝雀落語の完成形としていたと聞く。そして枝雀も悩んだのだろう「落語ができなくなった」と。枝雀の場合悩みぬき死という選択肢を選んだ。手塚の場合描き続けるという選択肢を選んだ。小生は、いち手塚ファン枝雀ファンにすぎないが、二人に逝かれた今、そう推測し、二人が後世に残した高座や作品を楽しむしか供養するすべをしらない。
 それにしてももったいない。手塚はアイデアを大量に持ったまま逝った。なんらかの方法でそれを形にすることはできなかっただろうか。例えばアーサー・C・クラークがスティーブン・バクスターと組んだように、小松左京が谷甲州と組んだように。それをやってもらいたいような。もらいたくないような。





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独白するユニバーサル横メルカトル

 
平山夢明  光文社

 エロはないが、グロ、サドのオンパレード。全部で八編の短編を収録した短編集だが、いずれも人間の持つ残虐性がこってりと描かれている。八編のうち「Ωの聖餐」が一番だろう。語り手は飲酒運転で死亡事故を起こした過去を持つ元数学者。この男はいまはヤクザの組にいる。組での彼の仕事は組長がつぶれたサーカス団から連れてきた大食い男の世話をすること。体重400キロを越すこの大食い男オメガの食料は人肉。組員が殺したり、処理を請け負った死体をオメガはほぼ三日で食う。なにせ超肥大漢。うんこもしっこもゲロもすさまじい量。この手の話の苦手な人はその描写だけでまいってしまうかも。しかし、ここまで凄まじいと、ある種「聖」を感じる。
 オメガは怪物じみた外見に似合わず高い知性を有している。なぜか?その理由を知った語り手は、数学を志したものとしての止むに止まれぬ欲望を押さえきれずある計画を実行する。
 他の作品では「C10H14N2と少年」が人間の持つ絶望的な残酷性を「怪物のような顔の女と溶けた時計のような頭の男」が底知れぬサドとマゾを描いていた。たしかにモノを食べながら読む作品集ではないが、なかなか読ませる短編集であった。万人にお勧めできないが、グロ、サドは表面だけで中身は人間の本質が描かれている傑作短編集だ。
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5月14日(月) 神戸市立図書館の関係者の方々へ

 

ときどき図書館を利用する。他の市立図書館は知らないが、神戸市立の図書館では、本の貸し出し返却の事務処理効率化のためバーコードシステムを導入している。それは結構なことだがバーコードの添付位置が問題。ご覧のように本の表紙に貼り付けてある。
 本の表紙は本の顔である。これでは顔の真ん中にバンソウコウをベタッと貼るに等しい。本の表紙は装丁者にとっては大切な表現の場。非常に魅力的な装丁の本もたくさんある。平賀甲賀さんの装丁なんて装丁目当てに本を買ったことがあるぐらいだ。この行為はそれをぶち壊している。展示する絵画の真ん中にガムテープを貼る美術館員がいるだろうか。小生が装丁者なら即刻抗議して直ちにやめてもらうが。図書館利用者は本好きの人が多いに違いない。どうして誰も問題にしなかったか不思議だ。
このブログを神戸市立の図書館の関係者がご覧ならば、この件に関してぜひともご再考を強く願いたい。

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