雫石鉄也の
とつぜんブログ
5月4日(金) 動物園は臭い
ゴールデンウィークである。家族で行楽に行く人も多くいるだろう。行楽の定番といえばテーマパークか動物園。ところがこの動物園、最近人気が落ちて水族館の方が人気が高いそうだ。理由は動物園は臭いから。
動物園の存在意義は、
①人々に娯楽を供する娯楽施設
②動物の研究と人々に動物の勉強をしてもらう研究勉強の場
以上の二つが考えられる。
①は動物愛護の精神が普及した現在は考えられない。たんに見て楽しむためだけに野生の動物を檻に入れて自由を束縛するのは許せない。これは絶滅寸前の種に限ったことではない。そのへんにいる野生の動物、イノシシやタヌキ、シカも同様。彼らは野生で生きるべきである。どうしても野生の動物が見たいのであれば、野山にでかけ、彼らの邪魔にならないように遠くからそっと観察すべき。
となると動物園の存在意義は①は除外されるべき。となると②ということになる。動物の勉強のために動物園を訪れるのは良いことだ。子供たちには生きている動物をじかに見せて、動物=生き物=生命の不思議さ素晴らしさ興味深さを知ってもらおう。と、なると動物園は臭いからイヤというのが理解できない。
確かに動物は、かわいい、美しい、面白い、力強い、かっこいい。だから見ていてあきない。しかし、動物は生きている。だから手を出せば噛まれる、毛も抜ける、うんこもする、おしっこもする、大きな声で鳴く、臭いし、きたないし、うるさいし、怖い。動物のそういう面もしっかり子供たちに見せて生命の不思議を勉強してもらおう。動物は生きているから臭いんだ。きれいごとだけで生きていけないんだ。それを勉強しに動物園に行くのだ。
阪神VS広島。阪神6連敗。エース候補、JFKの一角、元ローテーションピッチャー、敗戦処理、先発のなりそこない。阪神の投手の展示会。いろんな投手を見せてもらいました。昔、巨人に星飛雄馬というピッチャーがいた。大リーグボール3号という球を投げ、へなへなの球で打てそうで打てない球だった。広島のフェルナンデスはそんな球を投げとった。大リーグボール3号を投げられたら打てんわな。
動物園の存在意義は、
①人々に娯楽を供する娯楽施設
②動物の研究と人々に動物の勉強をしてもらう研究勉強の場
以上の二つが考えられる。
①は動物愛護の精神が普及した現在は考えられない。たんに見て楽しむためだけに野生の動物を檻に入れて自由を束縛するのは許せない。これは絶滅寸前の種に限ったことではない。そのへんにいる野生の動物、イノシシやタヌキ、シカも同様。彼らは野生で生きるべきである。どうしても野生の動物が見たいのであれば、野山にでかけ、彼らの邪魔にならないように遠くからそっと観察すべき。
となると動物園の存在意義は①は除外されるべき。となると②ということになる。動物の勉強のために動物園を訪れるのは良いことだ。子供たちには生きている動物をじかに見せて、動物=生き物=生命の不思議さ素晴らしさ興味深さを知ってもらおう。と、なると動物園は臭いからイヤというのが理解できない。
確かに動物は、かわいい、美しい、面白い、力強い、かっこいい。だから見ていてあきない。しかし、動物は生きている。だから手を出せば噛まれる、毛も抜ける、うんこもする、おしっこもする、大きな声で鳴く、臭いし、きたないし、うるさいし、怖い。動物のそういう面もしっかり子供たちに見せて生命の不思議を勉強してもらおう。動物は生きているから臭いんだ。きれいごとだけで生きていけないんだ。それを勉強しに動物園に行くのだ。
阪神VS広島。阪神6連敗。エース候補、JFKの一角、元ローテーションピッチャー、敗戦処理、先発のなりそこない。阪神の投手の展示会。いろんな投手を見せてもらいました。昔、巨人に星飛雄馬というピッチャーがいた。大リーグボール3号という球を投げ、へなへなの球で打てそうで打てない球だった。広島のフェルナンデスはそんな球を投げとった。大リーグボール3号を投げられたら打てんわな。
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雪の降る日彼女は北へ帰った
駅から出ると雪がチラチラ降っていた。ほろ酔いでほてった身体に冷たい風が心地よい。午後十時を過ぎている。駅前商店街のアーケードを抜けると雪が再び降りかかる。
この地方では雪はあまり降らない。積もることはめったにない。それでもひと冬の間に二回か三回は町が薄く雪化粧することがある。この気温だと今夜は積もるだろう。
雪といえば思い出す人がいる。私が中学一年の冬の間だけ家庭教師に来てもらっていた女子大生だ。
彼女と初めて会った日も雪が降っていた。お母さんの友だちの紹介だった。
二階の自分の部屋で漫画を読んでいると下から呼ばれた。応接間に入るとゆき子さんが座っていた。
きれいな人だ。真夜中のような黒い髪。紅茶のカップを持つ手が、蛍光灯の光を反射しているのかと思うほど白い。私がペコッとおじぎをすると、ゆき子さんもおじぎをした。顔を上げたゆき子さんと正面で視線が合った。ドキッとした。
「息子です」
母が私を紹介した。
「山沢ゆき子です」
紅茶のカップを置いて彼女は再び頭を下げた。当時大学の二年生だったから二十歳。私は中学一年十三歳。七つ年上だが、私と同い年のように思えるし、母より年上のようにも見える。なんだか不思議でさみしそうな感じのおねえさんだった。
週に三日来てもらうことになった。親は私を県立K高校に入学させたがっていた。ゆき子さんは国立大学の教育学部在学中。教師志望の女子大生。
月水金は夜七時になるのが待ち遠しくなった。夕食をすませて二階の部屋で待っていると、午後七時ちょうどに階段を上がってくる足音が聞こえる。なんだか体重を感じさせない足音だ。
教え方は大変に上手で、中の上だった私の成績は学年でトップクラスになった。
ゆき子さんは時間に遅れたことはないが、私が遅れたことがあった。その日は連休があったりして私は曜日を間違えていた。クラブが終わって、友だちとコンビニに立ち寄って漫画を立ち読みしていた。きょうはゆき子さんが来ない日と勘違いしてつい時間を過ごしてしまった。さらに悪いことにその日は両親は留守で、夕食は母が作っておいてくれた物を好きな時間に食べることになっていた。
家に帰ったのは八時だった。その夜も寒い夜で雪が降っていた。
家の門柱の陰で白い物がチラチラ見える。白いブルゾンを着たゆき子さんだった。彼女は雪の降る冬の夜に一時間も屋外で待っていてくれた。
「おかえり。寒かったでしょう」
ゆき子さんは自分がしていたマフラーを私の首に巻いてくれた。抱きついて泣いた。小柄な彼女は中一の私とほぼ同じ身長だった。母以外の女性に抱きついたのはこの時が初めて。手にふれた。ゆき子さんの手は大変温かかった。
ゆき子さんは遅刻の理由をひと言も聞かなかった。それ以後私は二度と遅刻はしなかった。そして月水金の夕方になると胸がドキドキするようになった。
その年の最後のレッスンは十二月二九日だった。中学は冬休み。大学も冬休みのはず。私の勉強を教えるために帰郷をぎりぎりまで延ばしてくれた。
「高校受験は中三の冬休みが大切よ。そのため今から予行演習しなくてはだめよ」
「はい。ところでゆき子先生はお正月は実家へ帰らないの」
「帰るわよ」
「先生の実家はどこ」
「北海道なの」
「寒いとこだね」
「寒いわ」
「雪がたくさん降るの」
「降るよ。先生のイナカはね、冬は雪しかないの」
「さみしくない」
「さみしいわ」
レッスンが終わって二階の私の勉強部屋から見ると、小さな旅行カバンを持ったゆき子さんの後ろ姿が見えた。雪が降っていた。
年が明け松の内からゆき子先生は来てくれた。もともとおとなしい先生だが、なんだか元気がないように見えた。
二月になってゆき子さんは、私の家庭教師になって初めて休んだ。新年になってから微熱が続き、とうとうダウンしてしまったのだ。 三月になってたびたび休むようになり、レッスンに来てもひどくだるそうだった。そのころは月水金の午後七時というローテーションは崩れて先生の体調の良いときにレッスンをやるそうになっていた。
それを申し訳ないといっていったんレッスンを始めると無理を押して何時間もぶっ通しで私の勉強を見てくれた。
そして三月の終わりごろゆき子さんは私の家庭教師を辞めることになった。大学も休学して故郷の北海道に帰り病気の療養に専念することになった。なんでも血液の病気とのこと。
最後の日、レッスンが終わって私の家から直接羽田空港に向かうとのこと。病気が治ったらまた家庭教師に来てくれると、約束をして先生は私の家を出た。
三月の夜。春とはいえまだ寒く雪が降ってきた。駅に向かうゆき子さんは十二月の時と同じ小さな旅行カバンを持っていた。その旅行カバンが非常に重そうに見えた。
私は家を飛び出して追いかけた。
「ぼくがカバン持ちます」
ゆき子さんは、ちょっとためらってカバンを手渡した。手がふれた。ものすごく冷たい手だった。
ゆき子さんはだまって歩いた。私がなにか話しかけるような雰囲気ではなかった。無言で歩く二人の肩に夜の雪が降り続ける。
駅に着いた。改札口でカバンを手渡す。
「必ず病気を治して帰ってくるからね」
ゆき子さんはそれだけいうとプラットホームに向かった。雪の降りが強くなって吹雪のようになった。
ゆき子さんとはそれが最後だった。四月になって私が中二になった時、病状が思わしくないので家庭教師を辞めるとの葉書がきた。
ゆき子さんの友人の女子大生が替わりの家庭教師として来た。ゆき子さんに頼まれたという。その人も良い家庭教師だった。
その人はゆき子さんのお見舞いに行ったという。病名は白血病で夏までは持たない。骨髄移植が成功すれば奇跡が起こるかも知れないとのこと。その人も家庭の事情で辞め、今度は男の大学生が来た。その後ゆき子さんがどうなったのか分からない。
大人になっても毎年雪が降るとゆき子さんのことを思い出す。奇跡が起こって元気でいてくれたらと願うばかり。
夜の地面に雪がうっすらと積もった。私の家の方から女性が来る。すれ違った。小さな旅行カバンを持っている。ゆき子さんに似ていた。でも歳が違う。もしゆき子さんなら五十を超えているはずだ。今の女性は若い女性だった。すれ違った場所の街灯が切れていて顔がよく見えなかった。
雪がますます強く降ってきた。
この地方では雪はあまり降らない。積もることはめったにない。それでもひと冬の間に二回か三回は町が薄く雪化粧することがある。この気温だと今夜は積もるだろう。
雪といえば思い出す人がいる。私が中学一年の冬の間だけ家庭教師に来てもらっていた女子大生だ。
彼女と初めて会った日も雪が降っていた。お母さんの友だちの紹介だった。
二階の自分の部屋で漫画を読んでいると下から呼ばれた。応接間に入るとゆき子さんが座っていた。
きれいな人だ。真夜中のような黒い髪。紅茶のカップを持つ手が、蛍光灯の光を反射しているのかと思うほど白い。私がペコッとおじぎをすると、ゆき子さんもおじぎをした。顔を上げたゆき子さんと正面で視線が合った。ドキッとした。
「息子です」
母が私を紹介した。
「山沢ゆき子です」
紅茶のカップを置いて彼女は再び頭を下げた。当時大学の二年生だったから二十歳。私は中学一年十三歳。七つ年上だが、私と同い年のように思えるし、母より年上のようにも見える。なんだか不思議でさみしそうな感じのおねえさんだった。
週に三日来てもらうことになった。親は私を県立K高校に入学させたがっていた。ゆき子さんは国立大学の教育学部在学中。教師志望の女子大生。
月水金は夜七時になるのが待ち遠しくなった。夕食をすませて二階の部屋で待っていると、午後七時ちょうどに階段を上がってくる足音が聞こえる。なんだか体重を感じさせない足音だ。
教え方は大変に上手で、中の上だった私の成績は学年でトップクラスになった。
ゆき子さんは時間に遅れたことはないが、私が遅れたことがあった。その日は連休があったりして私は曜日を間違えていた。クラブが終わって、友だちとコンビニに立ち寄って漫画を立ち読みしていた。きょうはゆき子さんが来ない日と勘違いしてつい時間を過ごしてしまった。さらに悪いことにその日は両親は留守で、夕食は母が作っておいてくれた物を好きな時間に食べることになっていた。
家に帰ったのは八時だった。その夜も寒い夜で雪が降っていた。
家の門柱の陰で白い物がチラチラ見える。白いブルゾンを着たゆき子さんだった。彼女は雪の降る冬の夜に一時間も屋外で待っていてくれた。
「おかえり。寒かったでしょう」
ゆき子さんは自分がしていたマフラーを私の首に巻いてくれた。抱きついて泣いた。小柄な彼女は中一の私とほぼ同じ身長だった。母以外の女性に抱きついたのはこの時が初めて。手にふれた。ゆき子さんの手は大変温かかった。
ゆき子さんは遅刻の理由をひと言も聞かなかった。それ以後私は二度と遅刻はしなかった。そして月水金の夕方になると胸がドキドキするようになった。
その年の最後のレッスンは十二月二九日だった。中学は冬休み。大学も冬休みのはず。私の勉強を教えるために帰郷をぎりぎりまで延ばしてくれた。
「高校受験は中三の冬休みが大切よ。そのため今から予行演習しなくてはだめよ」
「はい。ところでゆき子先生はお正月は実家へ帰らないの」
「帰るわよ」
「先生の実家はどこ」
「北海道なの」
「寒いとこだね」
「寒いわ」
「雪がたくさん降るの」
「降るよ。先生のイナカはね、冬は雪しかないの」
「さみしくない」
「さみしいわ」
レッスンが終わって二階の私の勉強部屋から見ると、小さな旅行カバンを持ったゆき子さんの後ろ姿が見えた。雪が降っていた。
年が明け松の内からゆき子先生は来てくれた。もともとおとなしい先生だが、なんだか元気がないように見えた。
二月になってゆき子さんは、私の家庭教師になって初めて休んだ。新年になってから微熱が続き、とうとうダウンしてしまったのだ。 三月になってたびたび休むようになり、レッスンに来てもひどくだるそうだった。そのころは月水金の午後七時というローテーションは崩れて先生の体調の良いときにレッスンをやるそうになっていた。
それを申し訳ないといっていったんレッスンを始めると無理を押して何時間もぶっ通しで私の勉強を見てくれた。
そして三月の終わりごろゆき子さんは私の家庭教師を辞めることになった。大学も休学して故郷の北海道に帰り病気の療養に専念することになった。なんでも血液の病気とのこと。
最後の日、レッスンが終わって私の家から直接羽田空港に向かうとのこと。病気が治ったらまた家庭教師に来てくれると、約束をして先生は私の家を出た。
三月の夜。春とはいえまだ寒く雪が降ってきた。駅に向かうゆき子さんは十二月の時と同じ小さな旅行カバンを持っていた。その旅行カバンが非常に重そうに見えた。
私は家を飛び出して追いかけた。
「ぼくがカバン持ちます」
ゆき子さんは、ちょっとためらってカバンを手渡した。手がふれた。ものすごく冷たい手だった。
ゆき子さんはだまって歩いた。私がなにか話しかけるような雰囲気ではなかった。無言で歩く二人の肩に夜の雪が降り続ける。
駅に着いた。改札口でカバンを手渡す。
「必ず病気を治して帰ってくるからね」
ゆき子さんはそれだけいうとプラットホームに向かった。雪の降りが強くなって吹雪のようになった。
ゆき子さんとはそれが最後だった。四月になって私が中二になった時、病状が思わしくないので家庭教師を辞めるとの葉書がきた。
ゆき子さんの友人の女子大生が替わりの家庭教師として来た。ゆき子さんに頼まれたという。その人も良い家庭教師だった。
その人はゆき子さんのお見舞いに行ったという。病名は白血病で夏までは持たない。骨髄移植が成功すれば奇跡が起こるかも知れないとのこと。その人も家庭の事情で辞め、今度は男の大学生が来た。その後ゆき子さんがどうなったのか分からない。
大人になっても毎年雪が降るとゆき子さんのことを思い出す。奇跡が起こって元気でいてくれたらと願うばかり。
夜の地面に雪がうっすらと積もった。私の家の方から女性が来る。すれ違った。小さな旅行カバンを持っている。ゆき子さんに似ていた。でも歳が違う。もしゆき子さんなら五十を超えているはずだ。今の女性は若い女性だった。すれ違った場所の街灯が切れていて顔がよく見えなかった。
雪がますます強く降ってきた。
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トンマッコルへようこそ
監督 パク・クァンヒョン
出演 チョン・ジェヨン シン・ハギョン カン・ヘジョン
この映画の監督はジブリのアニメのファンだとか。なるほど。ジブリの作品を思い起こさせるいくつかのシーンがあった。例えば村の入り口に置かれた不思議な神像は「千と千尋の神隠し」だし、イノシシが暴れこんでくるシーンは「もののけ姫」だ。それになにより音楽がジブリ映画のほとんどの音楽を担当している久石譲。だからジブリアニメの実写版という雰囲気だ。
この映画の時代設定は朝鮮戦争当時。だから派手な戦闘シーンやラストにはB29の空爆もある。しかしこの映画は分類すれば、戦争映画ではなくファンタジー映画になるだろう。
6人の軍人が登場する。1人は乗っていた偵察機が墜落したアメリカ軍のパイロット。3人は戦闘に負けて敗走する北朝鮮人民軍。2人は非情な任務に耐え切れず脱走した韓国軍の将校と部隊からはぐれた衛生兵。いずれも戦争に疲れ果てている。この6人が流れ着いたのは山奥の不思議な村。戦争をやっていることを知らず。銃さえも知らない。
村人は純朴そのもの。銃と手榴弾でにらみあう人民軍の3人と韓国軍の2人の間で、農作業の話題。銃を知らないのだから恐がりもしない。最初は対立して緊迫していた軍人たちも、いつしか村人に溶け込み農作業を手伝うようになった。そして暴れイノシシを協力して退治し、肉を食べない村人をよそに6人の軍人たちは夜中のバーベキューパーティー。これを契機に6人は仲良くなり、村人たちと楽しく暮らすようになった。しかし、この桃源郷のような村にも大きな危機が。軍人たちは村を救うために立ち上がる。
出演 チョン・ジェヨン シン・ハギョン カン・ヘジョン
この映画の監督はジブリのアニメのファンだとか。なるほど。ジブリの作品を思い起こさせるいくつかのシーンがあった。例えば村の入り口に置かれた不思議な神像は「千と千尋の神隠し」だし、イノシシが暴れこんでくるシーンは「もののけ姫」だ。それになにより音楽がジブリ映画のほとんどの音楽を担当している久石譲。だからジブリアニメの実写版という雰囲気だ。
この映画の時代設定は朝鮮戦争当時。だから派手な戦闘シーンやラストにはB29の空爆もある。しかしこの映画は分類すれば、戦争映画ではなくファンタジー映画になるだろう。
6人の軍人が登場する。1人は乗っていた偵察機が墜落したアメリカ軍のパイロット。3人は戦闘に負けて敗走する北朝鮮人民軍。2人は非情な任務に耐え切れず脱走した韓国軍の将校と部隊からはぐれた衛生兵。いずれも戦争に疲れ果てている。この6人が流れ着いたのは山奥の不思議な村。戦争をやっていることを知らず。銃さえも知らない。
村人は純朴そのもの。銃と手榴弾でにらみあう人民軍の3人と韓国軍の2人の間で、農作業の話題。銃を知らないのだから恐がりもしない。最初は対立して緊迫していた軍人たちも、いつしか村人に溶け込み農作業を手伝うようになった。そして暴れイノシシを協力して退治し、肉を食べない村人をよそに6人の軍人たちは夜中のバーベキューパーティー。これを契機に6人は仲良くなり、村人たちと楽しく暮らすようになった。しかし、この桃源郷のような村にも大きな危機が。軍人たちは村を救うために立ち上がる。
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チーム・バチスタの栄光
チーム・バチスタの栄光 海堂尊 宝島社
まず初めにいっておく。ものすごく面白い小説である。第1級のエンタティメントだ。読むべし。
小説を読む楽しみはラフな分類で3種類ある。まず、風景を楽しむもの。作家が作品中に描写する、ものすごく綺麗な景色やこの世ならぬ異様な風景を想像して楽しむもの。このタイプはSFに多い。イギリスの作家キム・スタンリー・ロビンソンは「レッド・マーズ」で火星の風景を極めて美しくリアルに描いている。次にストーリーで読ませるもの。そしてキャラクターで楽しませるもの。
この「チームバチスタの栄光」は典型的なキャラクターで楽しませてくれる小説だ。舞台は大学付属病院。別にめずらしくない風景だ。ストーリーは手術中に患者が立て続けに三人死んだ。その調査を神経内科の医者と厚生省の技官が担当する。具体的に彼らは何をするか。関係者の聞き取り調査。だから特別面白いストーリーではない。ミステリーだから犯人探しをするわけだが、ミステリーを読みなれている人なら犯人は比較的分りやすい。
ではこの作品をなにが第1級エンターティメントたらしめているのか。キャラである。登場人物はいずれもキャラが立っている。特に探偵役の二人。神経内科医の田口と厚生省の技官白鳥が面白い。このうち白鳥のキャラが秀逸。論理だけで遠慮会釈なくドキッとすることをズバズバいう。こんなこといったらブン殴られるぞ、と思っていたら、きっちりぶん殴られた。殴られたり蹴られたりは慣れているそうだから、どこ行ってもこんな調子なんだろう。
まず初めにいっておく。ものすごく面白い小説である。第1級のエンタティメントだ。読むべし。
小説を読む楽しみはラフな分類で3種類ある。まず、風景を楽しむもの。作家が作品中に描写する、ものすごく綺麗な景色やこの世ならぬ異様な風景を想像して楽しむもの。このタイプはSFに多い。イギリスの作家キム・スタンリー・ロビンソンは「レッド・マーズ」で火星の風景を極めて美しくリアルに描いている。次にストーリーで読ませるもの。そしてキャラクターで楽しませるもの。
この「チームバチスタの栄光」は典型的なキャラクターで楽しませてくれる小説だ。舞台は大学付属病院。別にめずらしくない風景だ。ストーリーは手術中に患者が立て続けに三人死んだ。その調査を神経内科の医者と厚生省の技官が担当する。具体的に彼らは何をするか。関係者の聞き取り調査。だから特別面白いストーリーではない。ミステリーだから犯人探しをするわけだが、ミステリーを読みなれている人なら犯人は比較的分りやすい。
ではこの作品をなにが第1級エンターティメントたらしめているのか。キャラである。登場人物はいずれもキャラが立っている。特に探偵役の二人。神経内科医の田口と厚生省の技官白鳥が面白い。このうち白鳥のキャラが秀逸。論理だけで遠慮会釈なくドキッとすることをズバズバいう。こんなこといったらブン殴られるぞ、と思っていたら、きっちりぶん殴られた。殴られたり蹴られたりは慣れているそうだから、どこ行ってもこんな調子なんだろう。
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