雫石鉄也の
とつぜんブログ
老母を施設に入れる
老母を介護老人保健施設に入れる。小生同様、介護を必要とする老人をかかえた方もおられよう。そのような方々の参考になればと思い、事の顛末を記す。
老母は90を超して県営住宅で一人暮らしをしていた。高齢とはいえ、本人もいたって元気で、小生宅も近く、ご近所の方々にも仲良くしてもらって、高齢の一人暮らしが可能であった。
数年前からデイケアセンターからヘルパーさんが来てくれて世話をしてもらっていた。月に一度小生が顔を見に行くぐらいで、なんとか一人で暮らしていた。ところが、半年ほど前から、夜、一人で寝るのが不安。泊りに来てとの要請があるようになった。小生や弟が時々泊りに行っていた。この頻度がだんだん多くなった。とうとう小生と弟が交代で毎晩泊りに行くようになった。
そのうち体調不良を訴えるようになった。頭がクラクラする。血圧が高いような気がする。計ると正常。それでもクラクラする。なぜか休日にいう。昨年の暮れ、タクシーで病院の救急外来に2度連れて行った。診察を受けると異常なし。頭のMRIもやってもらった。やはり異常なし。
そして、昨年の大晦日。今度は心臓がドキドキすると訴える。あわてて行くと布団の中でぐったりしている。救急車を呼んだ。R病院に入院。心臓異常なし。ほかも異常なし。「結局なんなんですか?」と主治医に聞く。主治医の答え。「ひとことでいって老衰です」
病院のトイレに行けない。ベッドの脇に携帯トイレを置いてもらって用を足している。テレビも見ずにずっとベッドに寝ている。老衰は病気ではない。病人ではない者をいつまでも病院に置いてくれないだろう。せめて歩けるようになるまで入院させてくれと病院に頼む。小生も弟も職業を持つ身、自宅で面倒を見ることは不可能。病院のソーシャルワーカーに相談した。ソーシャルワーカーはしかるべき施設を当たって見ます。とのこと。
これと並行して、弟は老母を面倒見ていたデイケアセンターのケアマネージャーと接触。ケアマネージャーが色々さがしてくれる。老母を入居させるについての条件は、費用が老母の年金でまかなえること。そうでないと小生も弟も経済的に非常に厳しい。
この時点で老母は、介護認定は要支援2であった。判ったことだが、要支援2では、老母の年金内で収まる所はほとんどない。あっても神戸市中心部から遠く離れた場所。これが要介護1となると、費用も安くなるし選択肢も広がる。弟と連絡を取り、早急に神戸市に介護認定を要請した。
この時点で1月も半ばを過ぎていた。このR病院もいつまでも置いてくれない。自宅で面倒を見ることもできない。転院先として、老母がかかっている近所のIクリニックを考えた。そこは入院施設もある。小生はI院長に頼みに行った。I院長は快諾してくれた。1月17日にR病院からIクリニックに転院と決まった。
問題はどこで介護認定を受けるかだ。R病院入院中か、Iクリニックに移ってからか、その時だけ自宅に連れて来るか。神戸市の担当者がいつ来るかがなかなか連絡がない。受ける環境で認定の結果に影響するとのこと。
1月16日に認定を受けることになった。転院前日である。綱渡りだ。結果は1ヶ月ぐらいで出る。とにもかくにも要介護認定1に認定されることが大前提となった。
Iクリニックに転院した。老母は遠い施設に行くのは嫌だとI院長に泣いた。このI院長、クリニックとは別にAという介護老人保健施設を経営している。実は小生はAに入れたらいいと考えていた。Aは神戸市内で小生宅からも、老母宅からも、弟宅からも近い。ところが老母の年金では費用が足らない。
I院長は「お母さんとは長年のつきあいだし、私が最後まで面倒を見てあげます」とおっしゃってくれた。I院長の見立てによれば、認知症も重症化しているし、要介護1はまず間違いない。万が一、要支援なら、ウチでもう一度認定を受ければいい。私が書類を書く。
要介護1ならば、Aに格安で入居できる。そして2月7日、神戸市から認定の結果が来た。要介護2。神戸市は小生が考えていたより重症と判断した。その結果を持って、すぐI院長に報告。院長、良かったなと、心から喜んでくれて、ただちにAへの入居を段取りするといってくれた。
2月12日、老母、Aの担当の介護士さんと看護師さんの面談を受ける。そして昨日2月13日、明後日15日Aに入居決定。
老母は、内科、肛門科、泌尿器科、眼科、耳鼻咽喉科、胃腸科、6種類の薬を服用している。その6種類の薬を最低1ヶ月A入居時に持参させてくれとのこと。施設に入居すると薬は施設で出す。外部の薬は保険が効かない。二日間で六つの医院を回らなくてはならない。非常にタイトなことである。なんとか家人の手も借り薬をそろえた。
明日、弟が付き添って老母は、IクリニックからAに移動する。小生は老母の生活の後始末をする。県営住宅の撤退、各種公共料金の停止、年金の振込先の銀行の住所変更届け、老母転居のお知らせの作成、ご近所へのあいさつ、老母宅の物品の整理。その他いろいろ。
大晦日に入院して、2月15日に施設に入居。自分では非常にスムーズに事が運んだと思っている。I院長をはじめ、R病院の主治医、ソーシャルワーカー、デイケアセンターのケアマネージャー、多くの方のお世話になった。この場を借りてお礼申し上げる。
この一文が、介護を必要とする老人を抱えている人の参考になれば幸いである。
老母は90を超して県営住宅で一人暮らしをしていた。高齢とはいえ、本人もいたって元気で、小生宅も近く、ご近所の方々にも仲良くしてもらって、高齢の一人暮らしが可能であった。
数年前からデイケアセンターからヘルパーさんが来てくれて世話をしてもらっていた。月に一度小生が顔を見に行くぐらいで、なんとか一人で暮らしていた。ところが、半年ほど前から、夜、一人で寝るのが不安。泊りに来てとの要請があるようになった。小生や弟が時々泊りに行っていた。この頻度がだんだん多くなった。とうとう小生と弟が交代で毎晩泊りに行くようになった。
そのうち体調不良を訴えるようになった。頭がクラクラする。血圧が高いような気がする。計ると正常。それでもクラクラする。なぜか休日にいう。昨年の暮れ、タクシーで病院の救急外来に2度連れて行った。診察を受けると異常なし。頭のMRIもやってもらった。やはり異常なし。
そして、昨年の大晦日。今度は心臓がドキドキすると訴える。あわてて行くと布団の中でぐったりしている。救急車を呼んだ。R病院に入院。心臓異常なし。ほかも異常なし。「結局なんなんですか?」と主治医に聞く。主治医の答え。「ひとことでいって老衰です」
病院のトイレに行けない。ベッドの脇に携帯トイレを置いてもらって用を足している。テレビも見ずにずっとベッドに寝ている。老衰は病気ではない。病人ではない者をいつまでも病院に置いてくれないだろう。せめて歩けるようになるまで入院させてくれと病院に頼む。小生も弟も職業を持つ身、自宅で面倒を見ることは不可能。病院のソーシャルワーカーに相談した。ソーシャルワーカーはしかるべき施設を当たって見ます。とのこと。
これと並行して、弟は老母を面倒見ていたデイケアセンターのケアマネージャーと接触。ケアマネージャーが色々さがしてくれる。老母を入居させるについての条件は、費用が老母の年金でまかなえること。そうでないと小生も弟も経済的に非常に厳しい。
この時点で老母は、介護認定は要支援2であった。判ったことだが、要支援2では、老母の年金内で収まる所はほとんどない。あっても神戸市中心部から遠く離れた場所。これが要介護1となると、費用も安くなるし選択肢も広がる。弟と連絡を取り、早急に神戸市に介護認定を要請した。
この時点で1月も半ばを過ぎていた。このR病院もいつまでも置いてくれない。自宅で面倒を見ることもできない。転院先として、老母がかかっている近所のIクリニックを考えた。そこは入院施設もある。小生はI院長に頼みに行った。I院長は快諾してくれた。1月17日にR病院からIクリニックに転院と決まった。
問題はどこで介護認定を受けるかだ。R病院入院中か、Iクリニックに移ってからか、その時だけ自宅に連れて来るか。神戸市の担当者がいつ来るかがなかなか連絡がない。受ける環境で認定の結果に影響するとのこと。
1月16日に認定を受けることになった。転院前日である。綱渡りだ。結果は1ヶ月ぐらいで出る。とにもかくにも要介護認定1に認定されることが大前提となった。
Iクリニックに転院した。老母は遠い施設に行くのは嫌だとI院長に泣いた。このI院長、クリニックとは別にAという介護老人保健施設を経営している。実は小生はAに入れたらいいと考えていた。Aは神戸市内で小生宅からも、老母宅からも、弟宅からも近い。ところが老母の年金では費用が足らない。
I院長は「お母さんとは長年のつきあいだし、私が最後まで面倒を見てあげます」とおっしゃってくれた。I院長の見立てによれば、認知症も重症化しているし、要介護1はまず間違いない。万が一、要支援なら、ウチでもう一度認定を受ければいい。私が書類を書く。
要介護1ならば、Aに格安で入居できる。そして2月7日、神戸市から認定の結果が来た。要介護2。神戸市は小生が考えていたより重症と判断した。その結果を持って、すぐI院長に報告。院長、良かったなと、心から喜んでくれて、ただちにAへの入居を段取りするといってくれた。
2月12日、老母、Aの担当の介護士さんと看護師さんの面談を受ける。そして昨日2月13日、明後日15日Aに入居決定。
老母は、内科、肛門科、泌尿器科、眼科、耳鼻咽喉科、胃腸科、6種類の薬を服用している。その6種類の薬を最低1ヶ月A入居時に持参させてくれとのこと。施設に入居すると薬は施設で出す。外部の薬は保険が効かない。二日間で六つの医院を回らなくてはならない。非常にタイトなことである。なんとか家人の手も借り薬をそろえた。
明日、弟が付き添って老母は、IクリニックからAに移動する。小生は老母の生活の後始末をする。県営住宅の撤退、各種公共料金の停止、年金の振込先の銀行の住所変更届け、老母転居のお知らせの作成、ご近所へのあいさつ、老母宅の物品の整理。その他いろいろ。
大晦日に入院して、2月15日に施設に入居。自分では非常にスムーズに事が運んだと思っている。I院長をはじめ、R病院の主治医、ソーシャルワーカー、デイケアセンターのケアマネージャー、多くの方のお世話になった。この場を借りてお礼申し上げる。
この一文が、介護を必要とする老人を抱えている人の参考になれば幸いである。
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