風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

消え方

2016年02月04日 | 雑感
一昨日近辺の山に登ったのですが、風は冷たいのですが陽射しが春めいてました。
節分、そして立春と暦の通りですね。

四捨五入すると還暦の歳になりました。
自分が年寄りになるというのはまだなじめません。
いずれ何もかもが弱って、否応なしになじんでいくのでしょうが。

何かをし遂げようとか、残そうとか思ったことがありません。
いつも目の前に起きる事象を楽しんで消化しようとしてきたような気がします。

でも、最近ふと思います。
なにもし遂げる必要も、残す必要も無いとは思うのですが、足跡すら残さず消えてしまうのだろうかと。
うちの娘はぼくの母親のことも父親のことも全く知りません。
両親とも東北で生まれ育ちあの世に逝きましたから、仕方がないとは言え、
九州生まれの娘は彼らに会ったことも、彼らに関する話を誰からも聞いたことすらありません。
おそらく彼女はぼくの母親や父親の存在を全く知らないまま成人していきます。
彼女にとって僕の母親、父親という存在は無です。
ぼくの両親の足跡を知らないどころか、その存在すら知りません。

娘が成人するころには、ぼくは70近くの老人です。
自分の若いころをを振り返ればわかりますが、成人するころの青年にとって70近い老人の心境など、
まったくどうでもいいです。
若い人間というのは、自分の進路と自分の伴侶だけが関心の的です。
そういうものです。

人間も年取ってそのまま煙のように消えてなくなればいいのですが、そうもいかないから始末に困ります。
葬式だのなんだのになります。
このまま死んで、葬式などされるなどと想像しただけで、恥をさらすだけじゃないかという気がします。
野山に捨てられて、朽ちていくというのが一番親切なんじゃないかと思ったりします。

立派な足跡を残して死ぬ人もいます。
周りに迷惑ばかりかけて死ぬ人もいます。
誰にも気が付かれずひっそり死んでいく人もいるでしょう。
なんにせよ、人は死にます。

そして、なんにせよ、人は死ぬまで生き続けます。
人がコントロールできるのは、おのれの生き様だけです。
焼酎を飲みながらぼんやりそう思います。

この例に寄った感傷パターンがたまらなく月並みなわけです。

それで、そんなこんなが嫌になり、月を見ます。
真正面から、じっと月を見つめます。
とりあえずぼくはうなだれて見せます。
その次に、顔を上げて歯をむき出しにして月に向かって笑って見せます。
そして月から目をそらし、星々を仰ぎます。
大きく仰ぎながら、深く深く深呼吸をします。
何があるのでもなく、何もないのでもありません。
ぼくの呼吸と星々の光の明滅のリズムが溶けあいます。
時は止まり、微笑みだけが天空に満ちます。

明日も山に登ってこようと思っています。