風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

交流会

2011年04月11日 | 雑感

桜も盛りを過ぎようとしている感じです。
今週いっぱい持ちますでしょうか。
畑のシーズンも始まり、道場の行事も目白押しで、早朝の写経会もあります。
ヒマなのは店だけです(笑)
この時節、美術品や宝石に興味を持つ人はとても少ないです。
しかも、この状態が長期化しそうです。

先週、ある交流会を立ち上げました。
今回の大災害をきっかけに大きく人々の意識が変わりました。
生活スタイルも社会の構造も否応なしに変化していくでしょう。
既存の組織に頼ることはできなくなるでしょうから、有意の人々のネットワークを活かすことが大事になっていくと思われます。
そこで急遽立ち上げのパーティーをしたのですが、数人集まればいいかなと思っていたところ、20名くらいの人が集まりました。
一声かけると、あっという間に集まります。
FMのゲストに来る人たちを見て前々から思っていたのですが、女性はフットワークが軽いです。
楽しそうなこと、おもしろそうなことには躊躇なく参加します。
まだまだネットワークは広がりそうです。

その交流会を通じて何をしようのかというと、数年前に農漁村再生プロジェクトというのを冗談半分に考えていましたが、
それを自ら産地に乗り込んで実行していこうと思っているわけです。
産地をただ産地として閉じられたものにするのではなく、産地でもあり諸費地でもあり文化交流の場所にもする。
畑で仕事をしていると分かりますが、終日辺りはしーんと静まりかえっています。
子供の笑い声も、井戸端会議の声も聞こえてきません。
自然はありますが、人々の営みが限りなく非文化的になっているのです。
非文化的といってしまうのは大変語弊はあるのですが、国土の根っこである第一次産業の地場の農漁村はどこもかしこもひっそりしています。
都市部と農漁村部が乖離してしまっています。
これでは都市部を中心に金融資本がいくら肥大しようと、多くの人々の生活実感はますます惨めなものになっていきます。

どうして農漁村にはおしゃれなカフェやレストランが一件もないのか。
簡単なことです。
彼らのほとんどが食べるのが精一杯だからです。
心を込めて生産したものを農漁協なり、市場に納めて、ぎりぎりの収入を得て生活しています。
そんな生活ですから、自分たちの子息に後を継がせようとも思わず、子息も後を継ぎたいとも思わなくなったのが、今の現状です。

なんとかならないのか。
行政や誰かや何かを待っていたのでは、このまま衰退していく可能性が大きいです。
ならば自分たちで何かをしてみよう。
幸いなことに、先週たまたまそういう試みをしてみるのにすばらしい候補地を見つけました。
都市部からそれほど離れていないのに、ひっそりと山に囲まれた豊かな耕地です。
とんでもない規模の大地主の旧宅が付帯していますが、いずれそれも使わせてもらえるかもしれません。
何はともあれ、一歩を進めてみることです。
一歩を進めるごとに、新しい次へのステップが見えてくるかも知れません。

マルセイユやオンフルールなど、フランスには漁村でありながら有名な観光地になっているところがあります。
農村に行っても、おしゃれなレストランやリゾートがたくさんあります。
日本でもそういう村作りができないわけがありません。
ただ、そういう村作りをしようという発想がないだけなんだと思います。