風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

魂と魂の入れ物

2009年08月26日 | スピリチュアル
ここ数日例年になく涼しい風が朝夕に吹いています。
昨日朝起きましたら、空一面にうろこ雲が広がっていました。
今年の夏に入道雲を見たのは2~3度あったかないかだったような気がします。

アカシックレコードに自在にアクセスできるというゲリー・ボーネルという人の本を読んでいて、
なるほどと思うところがありました。

人というのは無垢無雑の魂という喜びのエネルギーが、人類が遺伝子を通じて連綿と繋いできた人体という
入れ物に宿ったものだと。

仏教では、「衆生本来仏なり」とか「悉有仏性」とかいいますが、すべては仏の現れであるという立場です。
それは禅を通じて、一面では全くそのとおりだと納得してはいたのですが、
人が人として転生してくる場合に、その仏そのものが纏ってくる因縁そのほかの属性は、
何に由来し、どこに記憶され、どういう仕組みで無垢無雑であるべきはずの魂を取り囲んで生まれ出てくるのかが、
よく分かりませんでした。

そういう因縁は魂が引き継いでいるのではなく、魂の入れ物たる肉体が因縁やらその他属性を引き継いでいるということでした。

例えば、前世に奴隷で悲惨な人生を送ったとします。
魂はその経験を善悪も快不快もなく、ただ純粋に経験しますが、
肉体のほうは、その痛みや辛さや恨みや怒りや、家族に対する悲痛な思いやらを経験します。
そしてその経験の波動を全細胞に刻みつけ、肉体のエーテル体にも刻み付けます。
そのような感情の蓄積は遺伝子にも刻印され、肉体的な子孫に引き継がれていきます。

そういう風にして、その人生の状況で培われた特性を肉体の遺伝子は代々子孫に引き継いでいき、
感情や記憶の特性はエーテル体が保持して次の転生までエーテル体はいわゆる冥界ということに行くみたいです。
魂は純粋無雑な光の母体に帰ります。

で、魂がある経験をしたくて、再び転生をするとします。
その経験をするのにふさわしい遺伝子を引き継いだ肉体およびそれとセットになったエーテル体に宿る。
平安無事な経験を選ぶこともあるだろうし、殺されたり殺したりという経験をしたくなることもあるらしいです。
人の数だけ経験というものがありますが、そういう経験をしようと思った魂が、その経験をするにふさわしい人間に宿るということです。

う~ん、なに言ってるか分かりませんね。
魂からすれば、どんな経験もそれを味わいたいから経験するだけで、感情を持った魂の容器である人間は七転八倒するわけです。
でも、その魂は七転八倒をするという経験したいわけで・・・
さらに言えば、その七転八倒する心のあり方を超えていくという、魂の拡大成長を魂は目指しているわけで・・・

とすると、われわれが前世の記憶とかいうものは、人間のエーテル体の記憶であるということになります。
幽界や冥界というのも、エーテル体の認識する世界であることになります。

書き始めたものの、このスペースで説明するのは無理でした。

興味ある方は直接読んでみてください。

「超入門アカシックレコード」 5次元文庫