風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

相性

2009年03月02日 | スピリチュアル
人の心は自動的に反作用を生み出します。
その反作用は、好ましくない状況において顕著になります。

例えば、誰かに悪意を向けられたとします。
その悪意に気がついたとたん、心は身構え、不安や不快感に襲われ、終には悪意を向けた当人に悪意を向け返します。
悪意を向けられても気にもならず、悪意を向け返さないというのは、余程の心の修練を積んだ人以外は難しいです。

その逆に、誰かに好意を向けられたとします。
この場合は悪意ほど反作用が強くはありません。
好意を向けられていることにさえ気がつかないことさえよくあることです。
例え好意を寄せられていることに気がついたとしても、ふ~んとまんざらでもない気になって終わりという感じでしょうか。

このことは、悪意を持つ・持たれるというのが自然界の法則と合致していないから、
心が拒絶反応を持つのだといえるのかもしれません。
好意を持たれることは、よほどのことがない限り心は受容します。
悪意を持たれることは、途端に持たれた方の心の中にもブクブクと毒の泡が沸きあがって来ます。

悪意というのは目には見えませんがこのように現実的に強力な影響力を持つものです。
悪意を持った方も、結局は悪意を返されますから、持つ方持たれる方どちらにとっても不幸な現象となります。

こう考えてみますと、自然界の法則というのは、好意やら善意というのが自然な心の現われであって、
悪意やら害意というのが特異な心のあり方なのだろうということです。
悪意やら害意やらといった否定的な他人の心のあり方には、人の心はとても敏感です。
それに比べて、好意やら善意というものに対しては通常人々の関心というのは遥かに緩慢です。
周囲から受ける好意やら善意というものを空気のように受け流すぼくのような人が多いです。

自然界の法則に反しているのなら、そういう否定的な感情を持たないようにしたほうがいいに決まっています。
よく「だって○○さんが悪いのだから、そういう悪意を持ったってしかたがないじゃないか」という人がいますが、
悪いと思うのなら、注意する、注意しても聞く耳を持たないのなら、自ら離れればいいのです。
悪意を持ってまで人と付き合う必要があることなんて、この世にはありません。
人を悪いと決め付けることも悪いことだと気がついていれば、なお事態は容易です。
すべては相性ということもあります。
Aさんには耐え難い悪に見えることも、Bさんにはとても頼りになるポイントだということもあります。
Aさんは無理にその人と付き合わず、Bさんに任せればよいのです。

自然の法則というくらいですから、その法則にしたがって生きていけば幸せを感じることができる法則でなくてはいけません。
悪意やら害意をもって幸せを感じられないのは当たり前です。
好意や善意を持って日々を過ごせたら、そりゃより多くの幸せを感じられるのは間違いないでしょう。

世の中には色々な人がいます。
自分もあなたもその色々な人の一員です。
否定的な感情を持ってまで付き合う必要のある人というのは、基本的にはいません。
親子や夫婦や切れないしがらみの中での人間関係の相性が悪かったらどうするんだという疑問もあると思います。
そういう時は、あなたが変わればいいのです(笑)
ぼくも変わろうとしています(笑)
変わるしかないときに変わるというのも自然の法則です。
何でもかんでも相性のいいままに、では、成長もありません。
そして、そういう場合でも成長すればいいのであって、そこでも悪意や害意を持つ必要はないということだと思います。