小さな栗の木の下で

保護犬のミニチュア・ダックスを引き取り、
小型犬との暮らしは初めて!という生活の中で、感じたことを徒然に…。

『遺言 原発さえなかったら』を観て

2014-08-31 | つぶやき
今朝起きたら、まぶたが重かった。あれっ? 

ああ、そうだった、そうだった、昨日はずいぶん泣いたのだ。
昨日は東村山公民館ホールに『遺言 原発さえなかったら』を観に行ったのだ。


福島県飯館村の酪農家さん、屠畜業者さんの
我慢に我慢の果ての男泣きにもらい泣きしたのだ。
仕事を奪われたうえ、家族と離ればなれに暮らすこととなり、
うつ状態になって自死してしまった酪農家さんのお姉さんが
地元議員にぶつけたやり場のない怒りに涙したのだ。
一時帰宅を許されて帰った自宅のそばで、
焼身して逝った妻の姿を語るご主人の瞳に、
いかんともし難い憂いを見て、胸塞がれて嗚咽したのだった。

あれほど「原発は安全だ」と言い募られて、安心を託していたのに、
一瞬のうちに平穏な暮らしをもぎ取られ、避難誘導もなく、
最も放射能汚染が深刻な地域に取り残されていた人たち。

「原発は危険だ」という、その人たちの声でさえ、
そういう福島の人たちを擁護する声でさえ、
口汚くそしるヘイトスピーチと、同じ次元の訴えだと断じる議員がいて、
空恐ろしくなるのでした。

抗議デモの音量によって「仕事にならない」という前に、
訴えずにいられない福島の農家さん、漁業者さんたちの仕事の現状を
察する気にはならないのでしょうか。

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