<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



民進党の蓮舫議員がトンチンカンなことを言っている。
なんでも安倍首相が米国のトランプ大統領とゴルフをすることについて、
「そんなことやっている場合か」
と言っているのだ。

仕事で取引先と意気投合して仲良くなる方法には「飲みに行く」「出張などの旅行を一緒にする」「セミナーに一緒に出席する」「議論をする」など色々ある。
ゴルフはそのうちの最もポピュラーな手法の一つだ。
正直なところ私はゴルフが好きではない。
したがって自ら進んでプレイすることはないので、仕事でもめったにプレイはしない。
それでも得意先との懇親のためとなれば、恥をかくことを承知の上でプレイすることもある。
そしてボウリングの高得点のようなスコアを記録した後、酒の肴になるという「生贄」になることで相手と仲良くなることができるのだ。

国家のトップ同士とてビジネスマンと同じだ。
トップ同士がゴルフというゲームを通じて親しくなるとうことは、国民にとっても有意義であり、築かれた親しさは難しい課題ほど話しやすくなる関係を築くことが可能になる。
それは相手がどういう人であっても同じこと。
政治家も営業力が重要なのだ。

和をもって尊しと成す。

まずは戦いに挑むのではなく、良好な関係を築くことからすべてをスタートさせる。
それが日本人のコミュニケーションの取り方なのだ。

蓮舫議員。
それが分からないあなたはいったい何人なのか。
きっちり説明していただきたいと思うニュースなのであった。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




日本産カツオブシのEUへの輸出が初めて認められたという。
初めて?
じゃあ今までヨーロッパで和食を料理する時は何を使って出汁を取ってたんだろうという素朴な疑問が浮かんだ。
味の素のほんだしかな?

それにもう一つ疑問が。
日本産じゃないカツオブシって、どこ産?
中国産のカツオブシがもしあるとすれば大いに気にかかるところだ。
どうやって発酵させているのか。
どのように黴をつけたりしているのか。
その衛生度は。
汚染されていないのか。

ともかく疑問だらけ。

イギリスとドイツはともかく、味にうるさい料理文化のあるフランスやイタリア、スペインでは和食を供するのにカツヲを使わずに出汁をとっていたとなると、これは世界遺産和食文化の大いなる課題ではある。

今回認可されたのは静岡県産のカツオブシだそうで、ヨーロッパの厳しい基準にパスしての輸出認可ということだ。
なんでもカツオブシの衛生度についてなかなか認めてくれなかったわけで、発酵食品の難しさがここで浮き上がっていたといわけだろう。

ヨーロッパ人が本格和食に目覚める時がやってきている。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




スター・ウォーズがロードショー公開された1978年の夏。
高校1年生だった私は中学時代の友人6人と一緒に先行ロードショーの栄えある1回目の上映を見るために大阪梅田OS劇場を訪れていた。
劇場前は昨年から公開を待たされた続けた多くの映画ファンで大混雑になっていた。
もちろん全席指定席のそのシネラマ劇場のチケットは事前に買い求めていたのだ。
「アメリカでなにやら物凄いSF映画が大ヒットしているらしい」
という噂が月刊プレイボーイなどで報じられはじめたのは一年前。
私はまだ中学生だった。
その映画はどんな映画なのか。
題名の良く似た宇宙大作戦こと「スタートレック」の新作なのか。
想像は誤解も含めてだんだんと膨らんでいった。
ところが大変気になるその映画についてはスチル写真は見かけるが、動く映像がなかなか公開されない。
現在のようにネットもない時代なのでアメリカで公開されていた映像を内緒で見る機会もなかった。
ただ前もって発売されていたサントラ盤のLPレコードを聴いて想像をふくらませるしかなかったのだ。
動く映像を初めて見たのはこの年の正月にスピルバーグ監督作「未知との遭遇」を見るためにこの劇場に来たときだった。
数分の予告編は私に「何か物凄い新しいもの」を感じさせるに十分だった。
期待はますます膨らんだのであった。

なお、中学生の私がプレイボーイをどうやって手に入れたは記憶にない。

そんなこんなで焦らしに焦らされて公開されたスター・ウォーズは期待を裏切ることなくティーンだった私達に数々の映像による初体験をもたらした。
ロンドン交響楽団によるフルオーケストレーションの心躍るテーマ曲。
後にスカイウォーカーサウンドと言われるようになる高音質の立体音響。
共和国軍の宇宙船を追う巨大なスターデストロイヤーに始まる特撮。
アメリカ映画なのに日本の時代劇と同じ立廻りの剣術シーン。
CGを思わせるデススターの設計図。
スピード感溢れる戦闘機飛び交う戦闘シーン。
何もかも新鮮で、何もかもエキサイティングで、つまり、超カッコウ良かったのだ。

劇場を出てきた時、興奮して頬が紅潮していた。
仲間の一人は映画を見ながら飲むはずだった缶コーヒーを封も切らずに握りしめたままだった。
スターウォーズはまるでロックコンサートのような映画だったのだ。

しかしこの後作られたシリーズ6つの作品で同様の興奮を味わうことは二度と無かった。
どれも楽しく、面白いことは間違いなかった。
でも、何か重要なものが欠けてしまい最初の一作目のような高揚感を味わうことはなかったのだ。

先日「ローグワン スター・ウォーズ物語」を期待せずに観てきた。
たまたま時間が空いたので時間つぶしで観てきたのだ。
で、観てビックリした。
なぜなら期待していないことも大いに影響していたとはいえ、そこには初めてスター・ウォーズを観た時の高揚感が溢れていたからなのだ。

物語はエピソード4の直前。
謎の秘密兵器デス・スターを誰が設計し、そしてその設計図を共和国軍側がどのように手に入れたのかが軸になっている。
レギューラーシリーズと異なりスター・ウォーズにしてはかなり重厚な雰囲気が漂う。
シリアスなドラマ作りだったのだ。
シリアスなゆえに他の同種のB級SF映画には無いスター・ウォーズ独自の匂いがより強調されていた。
かといってスピード感も満点だ。
アクションといい戦闘シーンといい、物語そのものの運びといい、観ているこちらを飽きさせない軽快のリズムが何とも言えない魅力になっていた。
もちろんスピンオフにしかできない魅力も満載されていた。
終盤の重要なポジションを占めるダースベイダー。
共和国軍の戦闘機の出動を見つめるC-3POとR2D2。
エピソード4にも登場し、ルークやハン・ソロと共に戦うことになる戦闘機のパイロットたち。
そして圧巻はターキン提督とレイア姫だった。

ターキン提督演じるピーター・カッシングは1994年にすでに故人となっている。
そのターキン提督がピーター・カッシングによって演じられていたのだ。
はじめは良く似た俳優が演じているのかと思ったのだが、違った。
高度で精工なコンピューターグラフィックスによりカッシングのターキン提督がスクリーンに蘇らせられていたのだ。
これはいわゆる「不気味の谷」を凌駕した素晴らしいレンダリング技術で最後まで違和感を感じさせなかった。
そして最後の登場したレイア姫も同様に素晴らしい技術の結集だった。
この映画が製作された時点ではキャリー・フィッシャーは存命していたがエピソード7に登場したようにすでに年齢を重ねており1977年時のレイア姫を演じるには難がある。
そこで登場したのが最新技術によるレイア姫なのであった。
もしかすると観ている人の多くが彼らは本当のそっくりさん俳優が演じていると思っているに違いないだろう。
そしてこれらのCGをレンダリングしていたソフトがピクサーのレンダーマンだった。
エンドクレジットにレンダーマンのロゴが現れたとき、なるほどと合点がいった。
ピクサーはもともとジョブスがルーカスから買い取ったILMのCG製作部門だった。
30年の歳月を経てピクサーのソフトがILMで活かされていたのであった。

次々に登場する懐かしい兵器の数々と、その見せ方。
よく練られたストーリー。
座頭市を彷彿させるジェダイ騎士の登場。
そして筋書きに容赦のないエンディング。

「ローグワン スター・ウォーズ物語」は実はスピンオフにしてスピンオフにあらず。
レギュラーシリーズよりも正統なスター・ウォーズなのであった。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )






結婚するまで私の朝食は100%和食だった。
白ご飯、味噌汁、めざし、漬物、味付け海苔、といったところが標準メニューでこれにフリカケがプラスされたり生卵をご飯にかけたりしていただいたものだ。
というのも両親が昭和一桁世代であり、とりわけ大阪生まれの大阪育ちの母と違って岡山県の片田舎で育った父はパン食を嫌がるどころか拒否したからだった。

そんなこともあってカミさんを貰ってから変わったのが朝の食生活。
和洋半分半分で、始めの頃はパン食に私もかなり違和感を持ったものだった。
「パンはおやつや」
との私の主張に、
「誰が決めたん」
とカミさん。
カミさん一家は義父の仕事の関係で一時期兵庫県芦屋市内に住んでいたことがある。
芦屋や神戸は美味いパン屋が多い上に、もともとパン食の盛んな地域だ。
それにカミさん自身も若い頃フランスの大学に留学していたこともあってパン食は標準に近いものだったのだ。

そもそも関西はパン食が盛んだということは今回NHK新書「なぜ日本のフランスパンは世界一になったのか」(阿古真理著)を読む以前から聞き知っていた。
それがなぜなのか、実はよくわからなかった。
新しもの好きの関西人の気質に合致したのか、はたまた本書に記されていたように関西の朝ごはんは手間をかけないからなのか。
今回これらの漠然とした原因が正確かどうかは判断しかねる部分がないこともないが、ある程度知ることができたのは収穫であった。

それにしても日本のパン文化は確かに凄いかも知れない。
私はヨーロッパには行ったことが無いのだが、フランスで10年余りを過ごしたカミさんによるとパリにあるパン屋さんでも日本のパン屋さんほどバリエーションはないのだという。
品種も5種類くらいで販売もケースに入ったものを、
「これちょうだい」
と言う具合にして包んで出してもらう形式だそうだ。
日本のようにセルフサービスでバゲット、食パン、アンパン、クリームパン、サンドイッチ、ホットドック、ケーキ、デニッシュ、その他様々と無数なバリエーションでお客さんを待ち構える店はまず見ない。
そういうことを聞くと、日本に来たフランス人が日本のパン屋の種類と味に感激するのは分からないでもないのだ。
私は東南アジアを旅するのが趣味なのだが、現地で美味しいパンに出会うことはまずない。
強いて挙げると日本人の感覚としてまともな味なのはベトナムのパンぐらいではないかと思っている。
多分それはフランス植民地としての歴史が長かったことに理由があるのかも知れない。
またタイのファミマやセブンイレブンなどのコンビニへ行くとヤマザキパンの製品が普通に販売されているが、これらとて日本のもののような感覚は薄いような気がする。
アンパンを買ったら餡が緑色をしていたのでビックリしたことがあった。

パンは発酵食品の一種でもあり、生産管理が難しい部分がある。
材料の小麦の品質も重要だ。
こういうこだわりを必要とするものは日本人の凝り性にもしかすると合っていたのか。
なんでも凝ってしまい自分のものにしてしまう日本独特の文化の賜物。
それの一つがパン文化なのかもしれないと思いながら読んだ一冊なのであった。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )



   次ページ »