<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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昨年、最後に読んだ本が「江戸時代はエコ時代」
前々回のブログに書いたように、実に興味深い内容だった。
江戸時代の優れた環境性は、現代の私達も学ぶべき所がたくさんある。
江戸期の日本人の質実剛健ぶりは、ついこの間まで顕在だったような感じがしているのは、私だけだろうか?

江戸時代のもっとも驚くところは「税金がなかった」ことではないだろうか。

「それ違うべ、お百姓は年貢を納めていたべ」

と、指摘する人もいるだろう。
しかし、農民以外に納税義務はなく、政府、つまり幕府や藩は農民の収める米を換金して政を行なっていたのだ。
従って、政を行うお役人様である武士は権限は強いが金は無かったのであった。
金がないからといって、もちろん武士の労働組合もないから、役所から組合事務所を持つために年間2000両の助成金を年貢から受け取る事もなかったのだ。

何が言いたいかというと、今の役人とは随分と違うということを言いたいのだ。

行政の責任も重い。
年貢の取りすぎて百姓一揆など起ころうものなら、
「地方政治の失敗」
ということになり、藩はおとりつぶしか所替え。
殿様は切腹の恐れもあるような責任社会なのであった。
従って、異人の愛人ができて、それに数億両も貢いだ、なんていうと「懲役刑」だけでは済まされず、打首獄門の世界でもある。

安月給で重い責任。
しっかりとした行政力。
しかも、高い知性。

市民から尊敬され、平和な時代が200年も続いた理由がここにある。

「大塩平八郎の乱」のように一揆が目立つのは、それが極めて少なかったからだ。
少なかったので目立つ。
目立つから例に上げる。
しかし、例が少ないから、これくらしか挙げられないというのが現実だったのだ。

で、話は随分それてしまったが、税金を収めないということは、当然、消費税なんかなかった。
しかも消費税はつい二十年ちょっと前まで無かったのだ。

このようなケッタイな税金を必要とするのは江戸時代と違って、人々が「他人ごと」過ぎることになってしまったからであった。

江戸時代の公共工事は税金ではなく、民間主導の寄付や積立金で賄われた。
私の住む大阪は八百八橋と呼ばれたが、幕府が作った橋は高麗橋やなにわ橋、天神橋などわずか8つだけ。
あとは町で寄付を募って維持管理したのだ。
心斎橋、長堀橋、戎橋なんかは民間橋なのであった。

ということで、不毛な消費税議論はもういらない。
税率10%にアップどころか、江戸時代を模範にして考えたら、ゼロ%も夢ではない。

なんて考えは、めちゃくちゃなのだろうか。

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