<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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子供の頃、少学館の辞典だったと思うのだが、
「大阪駅は日本の鉄道で最も長いプラットホームを持っている」
ということが書かれていて、
「やっぱり大阪はすごいんや」
と、訳もわからず納得したものだった。

確かに長いホームがあって、同じホームに行き先の違う列車が止まっていたりして、間違えて乗ってしまう人も少なくなかったと思われる。
かくいう私の母もそういうオッチョコチョイの一人だった。

ある日、物心がついたばかりの私は母に連れられ父の故郷岡山に向かう電車に掛け乗った。
もう出発時間が迫っていて乗り遅れると思ったからだった。
飛び乗った母はひとまず安心。
電車もゆっくりと走り始めた。
座席を確保できたかどうかは忘れてしまったが、問題がひとつだけあることを除けばすべて順調だった。
電車は快適に走っていた。
座席も確保できたのかも知れない。
私としては母の手さえ握っていればよかった。
すべて順調。
但し電車が岡山に向かって走るものであったのなら。

私たちの乗った電車は、福知山線。
今で言うJR宝塚線で、気がついた時は山陽本線を離れて列車は宝塚に向かって走っていたのであった。
母の焦りは尋常ではなかったに違いない。
なんといっても幼稚園前の私の記憶といえば、この列車乗り間違え事件が今も鮮明に残っているもので、これを今も時々話すと母は当時を思い出し、
「もう、たいへんやったんやで」
と胸を撫で下ろすのだ。
そもそも当時はディーゼルだった福知山線と電車が走っていた山陽線を間違える母は、ほんとオッチョコチョイだった。

ともかく、それだけ大阪駅は商都大阪を代表するターミナルなのであった。

で、時間は流れ40年近くの歳月が経過して、
「大阪地盤沈下」
「経済規模で中京圏に抜かれる」
「本社機能流出」
と、ろくなニュースが無い中で、橋下徹が知事に当選してからのここ数年は政治が熱くなってきて、街の雰囲気が随分変わってきたのだった。

まず、建築工事が増えてきた。
一見、百貨店の工事ばかりが目立ったが、いくつものビジネスタワーも建つようになり、クレーンの数も「不況や~」とうち沈んでいた数年前に比べると多少数も増えつつある。
また、名古屋に抜かれそうになった経済規模も、極端な話、トヨタ自動車一社で支えられている中京圏と違って電機や石油化学、食品、製薬で大企業の拠点を数多く抱える大阪はバラエティさで優っていたようで、橋下徹のリーダーシップと相俟って、一部の産業は徐々にではあるが元気を取り戻しつつあるようだ。

とはいっても、繊維を中心にまだまだ元気のないところ、というか民主党のアホバカ無責任政治のために苦渋を飲まされ続けれるところも少なくなく、そういう意味で大阪の景気は都構想もありながら、まだまだ不透明といったところだろう。

そういうところへ昨年完成したJR大阪駅は日本最大の駅となって生まれ変わった。
「大阪駅ビルは日本一」
震災の影響もあって、そういう広告が控えられたので、昔の子供向け図鑑のように「日本一」ということを知ったのは、開業して暫く経過してからなのであった。

実際に駅はめちゃくちゃ大きく、北側に伊勢丹三越とJR西日本が経営する専門店街があり、南側に大丸がある。
大丸はもともとったところを1.5倍規模に拡大し、三越に負けない店構えだ。
道路を挟んで南側には阪神百貨店、東側には阪急百貨店、北側にはヨドバシカメラ。
いったいこの地域はどうなるんだろ、という商業地帯に変貌した。

電車を乗り間違えた母は今年80歳を迎え、少々ぼけ始めているが乗り間違え事件はしっかり記憶しており、当分は安心だ。

大阪駅の姿は変われど、記憶は変わらないのだ。

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