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ベトナム戦争が激化していた1963年。
国道1号線を自ら自動車を運転してベトナム中部の街からサイゴンにやってきた僧侶ティック・クァン・ドックはサイゴン(現ホーチミン市)のアメリカ大使館門前の路上で蓮華座を組み、ガソリンをかぶって焼身自殺を遂げた。
南ベトナム政府の仏教徒弾圧に対する命を賭しての抗議行動だった。
この時の写真はメディアを通じて全世界に発信された。
私は1963年生まれなので、この写真は後にライフ写真年鑑見ることになる。

この見事なまでの抗議行動を大統領の義妹ニュー女史はメディアに対して、

「あら、人間のバーベキューができたわ」

と語った。
人々の政権に対する怒りと信頼の失墜は尋常なものではなくなった。
以来、南ベトナムは1975年のサイゴン解放に向かって緩やかに破滅の道を歩むことになった。
ニュー女史は21世紀の昨年まで生きながらえたが祖国に戻ることはできず米国で生涯を遂げた。

昨日から頻繁にチベット関係のニュースが報じられている。
まずはじめに「ダライ・ラマ暗殺団6人が中国から中印国境を超えてインドに潜入した」というニュース。
ダライ・ラマの国際的影響力を排除しようとする中国政府がついに刺客を送り込んだのだという。
人数といい、その具体性といい、かなりリアルな内容だ。

そして、今日。
今チベットでは中国政府のチベット弾圧に抗議する僧侶の焼身自殺が相次いでいるというニュースが報じられている。

わたしは政府に抗議するため僧侶が焼身自殺を遂げるというニュースを耳にすると、すぐにティック・クァン・ドックの焼身自殺の写真が蘇ってくる。
政治権力者の一人であったニュー女史の人なコメントも影響を与えたが、ティック僧正の炎にも屈せずゆるぎのない岩のような強い抗議をする姿にはベトナム人ならずとも、世界中の人々がある種の感銘を受ける事となった。
ティック僧正がサイゴンへ旅立つときに乗った自動車はそのままの姿で今も彼の寺に保存されている。

ベトナムは東南アジアでは唯一の日本と同じ大乗仏教を信仰する国で、仏教徒の割合は60%と言われている。
従って仏教の力は小さくない。
人々の尊敬を集める僧侶の命を張った抗議行動は多くの人々に強い影響力を与えるのだ。
そういう意味でチベットにおける僧侶の行動もチベット族に与える影響は小さくないはずで、中国政府はその根をつもうとダライ・ラマ暗殺団などを組織しているのかも分からない。

ところで、昨年の東南アジアのビッグニュースはタイの洪水とミャンマーの急速な民主化だった。
このうちミャンマーの民主化をもっとも危惧しているのが中国であることを、不思議なことにメディアは伝えない。

ミャンマーは他の東南アジアの国々と同様、中国の影響力が小さくない分、その反発も大きい。
トルコ、フィンランド、台湾と共に超親日国として知られるミャンマーはできれば日本の支援や協力で経済立て直しを計りたかったのだが、政治がそれを許さなかった。
そこで本来関係の良くない中国と手を結んで資源の開発などに乗り出したのだが、昨年状況が大きく変わり、本来彼らの望んでいた日本を中心とする西側との関係強化することができる環境が整いつつある。
今年は多くの日本企業やその他アジアの振興国家との経済活動が活発になるだろう。

この政治的に目覚めつつあるミャンマーの大部分を占めるビルマ族が実はチベット族と姻戚関係にあることも、あまり一般に知られていない。

ミャンマーは上座部仏教の国だが、僧侶の法衣の色を見ても分かる通りチベットの影響が少なくない。
ミャンマー国内を流れるエヤワディ川の源流はチベットで、9世紀頃、チベットを離れてこの地に降りてきたのが現在のミャンマーの人々なのだ。

チベット関連ニュースからしばらく目が離せないように思えるのだ。

なお、チベット仏教は真言宗とも密接な関係があるという。
空海が高野山という今でも行くのが不便なところに聖地を切り開いたのはチベットを模範にしているからだというのだ。
チベットのニュースは日本人とも無関係では済まされないものなのだ。

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