<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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3.11を発端に以前にもまして環境問題がやかましく議論されるようになってきた。
とりわけ結論の出ない不毛な討議ばかりが目立っているような気がするのだが、それは私だけだろうか。

さらにさらに、そのなかでも、民主党の皆さんが主導している様々な政策が、より一層不毛なままで、例えば東北地方の復興議論なんかは先送りの塊のようになっていて、
「民主党もどこもかしこも、早く表舞台から消えてくれ」
と思っているのも、私だけなのだろうか。

地震
原発
火事
民主党

ということで、日本のこれから。
いやいや。
世界のこれからを論じるときに、日本人であるのにすっかり忘れているのが江戸時代の都市運営。
エコの塊のような江戸時代は経済においては現在と殆ど変わらない自由経済の時代であったことは、学校ではなく時代小説やそのた歴史関係の書籍から伺うことができるが、この年末年始に発見した書籍は、そういう現代の手本となるような社会構造が実現されていたのが江戸時代だと語る、随分勇気あるものなのであった。

石川英輔著「江戸時代はエコ時代:(講談社文庫)。

江戸時代、日本はその多くの時間を鎖国しており、取引がある外国は中国、韓国、オランダのごく一部だったことは日本人なら誰でも知っていること。
薩摩藩のように貿易で儲かっていたところもあったものの、その貿易額は現在と比べると雲泥の差。
ナイヤガラの滝の水量と、ウォシュレットほどの差があることも、これまた事実だ。

つまり江戸時代は日本国内で食料、エネルギー、工業生産活動などがすべて完結しており、そのリサイクルの仕組みは脅威ですらある。
まず、街からゴミがでない。
パッキング用の袋やトレイなんてものは一切ないし、衣料品は古くなると古着屋というリサイクル業者が引き取り繊維材料に戻して色々なものに加工するのでゴミになりようがない。
糞尿は現金取引されるくらい貴重な有機農業の肥料であって、捨てられることは絶対ない。
移動は徒歩、馬、牛などで石油燃料も必要としない。

実にエコなのだ。

これを現在の世界に当てはめてアレンジすると見事なエコ地球社会が形成できるのだが、そのことに気づいている人はこの著者以外にどれほどいるのか知りたいところだ。
もちろん今更「旅は徒歩で」というわけには行かない。
ちょっとお隣の中国へ出張するのも帆かけ舟を使って命がけとは行かないのだ。

そんな問題はともかくとして、江戸時代の日本を地球に見立てると、その時代に様々な解答が用意されているのがよくわかる。
本書はその解答の幾つかを紹介している、なかなか面白い書籍なのだ。

なぜそれほどユニークな江戸時代が注目されないのか。
その質問への解答もちゃんと用意されていて、これも合点のいく意見なのであった。

「江戸時代は封建社会(暗黒時代)として悪いイメージしか教えていないからだ」

ということなのであった。
つまり明治以降、日本人は徳川時代を「悪い時代」と教え込まれ、その素晴らしさを忘れてしまっているからだというのだ。

この意見にも私は大きく賛成するのだった。
というのも、例えば最近では「第二次世界大戦前は暗黒の軍事独裁政権時代」のように現代の教育は行われているが、例えば山本夏彦のコラムを読むと戦時中のほんの数カ月だけが、妙な事態になってしまったが、それ以外はテレビや映画で表現されているような暗黒社会ではなかったことが伺える。
戦争中、厳しいとは言いながら東京では洋食や喫茶店もちゃんと営業していたという。

これには私自身も叔父の証言があるので信じられる。
叔父は召集されるまで大阪の堺に住んでいたのだが、当時の堺には戦中にもかかわらず、ごく普通に食べ物、その他がちゃんと厳しいなりにあったのだという。
「アイスキャンデーも売っとったで」
とも教えてくれた。

このように、時代が変わると前時代をあ「暗黒時代」にするのは日本人の悪い癖で、江戸時代を封建社内の暗黒時代から、今と変わらぬ人の平和な営みのあった時代だと、本書の指摘を理解すれば、自然に環境問題も解決できるのではないかと思うのであった。



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年末年始の映画で「ミッション・インポッシブル」以外にとっても気になっていた映画「ニューイヤーズ・イブ」は期待以上の爽やかな映画だった。
ミッション・インポッシブルの刺激が強すぎる人には、この映画はベストなオススメだ。

舞台はニューヨーク。

ニューヨークを舞台にした映画はウッディ・アレンやニール・サイモンの作品のようにセンスの良いものが少なくない。
「マンハッタン」
「アニー・ホール」
「グッバイガール」
「裸足で散歩」
などなど。

それはニューヨークという大都会が持つ、独特の雰囲気が醸しだすマジックなのだと思っている。

「ニューイヤーズ・イブ」もそういった都会のひとコマにスポットを当てた小品だったが、センスがめちゃくちゃナイスな映画なのであった。
事前の大きな宣伝もなかったので、話題作でもないのだが、出演しているキャストがすごかった。

ロバート・デ・ニーロ、ミシェル・ファイファー、サラ・ジェシカ・パーカー、ヒラリー・スワンク、ザック・エフロン、ボンジョビ、アビゲイル・ブレスリンなどなど。

アカデミー賞級のキャスティングにもかかわらず片意地はらずにスラっとライトに、でも爽やかでしっとりと見せている演出は「プリティ・ウーマン」のゲイリー・マーシャルだ。
映画ファンである私だが、ゲイリー・マーシャルがあの往年の人気TVシリーズ「ハッピーデイズ」の監督であったことなど、この映画のパンフを買うまでちっとも知らなかった。
今や映画監督として著名なロン・ハワードが生真面目高校生リッチーを演じていた「ハッピーデイズ」は30分のコメディだったが、60年代を舞台にしたセンスのいい青春ファミリードラマだった。

私は高校生の時にKBS京都で放送されていたものを毎週楽しみに見ていたものだった。
当時、ビデオデッキはまだまだ一般的ではなく、オンエアを見なければ見ることが出来なかったので、若干のノイズの入ったKBS京都の画面を(私は大阪に住んでいたのでノイズがあった)食い入るように見ていたのだ。

そのセンスそのままに、今回は豪華キャストで複数の物語を同時進行させるという、いわゆるグランドホテル形式のドラマなのであったが、かなり完成度の高いものに仕上がっていたのだった。
大ベテランのマーシャルの技量が遺憾なく発揮されたわけだ。

この映画ではすべてのキャストの魅力が輝いていたのだったが、私にはとりわけザック・エフロンとアビゲイル・ブレスリンが印象に残った。

ザック・エフロンはさわやかなメールボーイの青年を演じていたが、最初エフロンとは気づかず、
「随分、爽やかでいい役者さんだな」
と思っていた。
しかしその機敏でリズミカルな動きを見ていると、
「お、これはヘアスプレーのザック・エフロンや。しかも「ハイスクール・ミュージカル」からは完全に脱皮しているええ俳優になってるやん」
と思わず感想を漏らしたのであった。
そしてアビゲイル・ブレスリンは「ミス・リトル・サンシャイン」のあの少女が、どこにでもいる普通の女子高生を演じているのを見て、
「ん~、時間の経過は早いもんや」
と感無量になってしまったのであった。

それにしても、小さな名作。
そんなにお客さんは入っていなかったし、題名が「ニューイヤーズ・イブ」なので、見たい人は劇場へ急ぐことを、断然お勧めしたい映画なのであった。

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今年最初の映画鑑賞は何にしよう?

と、あまり悩まずに決めたのがトム・クルーズ主演の「ミッション・インポッシブル ゴースト・プロトコル」なのであった。
この映画、先日見た「タンタンの大冒険」とは正反対のアナログアクション満載の痛快な2Dアクション映画だった。

正直、年初めの映画に選んで大正解であった。

ミッション・インポッシブルというと中学生の頃に深夜テレビで放送されていたテレビシリーズ「スパイ大作戦」の映画化作品であることは、私ぐらいの世代であれば誰でも知っていること。
ピーター・グレイブスやマーチン・ランドー、レナード・ニモイが演じていたスパイアクションが映画となって今回で4作目。
毎回アイデアが満載のノンストップアクションが魅力的だが、今回もまた、その魅力はIMAXの大スクリーンで余すことなく発揮され、新年のエンタテイメントとして極めて上質なのであった。

中学1年生の娘を伴っての鑑賞だったが、映画そのものが面白かったことに加えて娘の反応が面白く強く印象に残った。

これまで娘はファンタジー系の映画か、アニメ映画にご執心。
つまりはお子様向け映画に夢中でなかなか大人の見る映画に積極的に足を運ぼうとしなかった。
というよりも大人の映画は見たことがなかったのだ。
もうすぐ中学2年生にもなる身の上なので、いつまでも「お子ちゃま映画」も無いであろうと、以前から中学生でも楽しめる映画を探していたのだ。

そこで白羽の矢が当たったのが「ミッション・インポッシブル」であった。
ちょっとシゲキが強すぎるかも、という危惧がないこともなかったが、私が中学生の時に「ナイル殺人事件」や「007私を愛したスパイ」などで映画に見ざめたことを考えると、早くはないと判断したのだった。

で、その娘の反応というと、絶妙な驚き方なのであった。

今回の映画の見せ場シーンの一つにドバイにある世界最高層のビルの上でのアクション場面がある。
トム・クルーズが命綱を付けてスタント無しで演じた脅威のアクション場面だが、大人でもハラハラして見ることになるこのシーンで、私は娘の表情を観察したのであった。

娘は椅子に張り付いたまま、目をまんまるにひんむいて、口を半開きのままスクリーンを凝視していた。
私はその表情を横から見ているとハラハラしているシーン以上に、面白くて笑いがこみ上げてきた。
その私の観察に気づいた娘が私の方を振り向き、ニコッと笑って、
「すごい映画やな」
とつぶやいた。
もう無我夢中になっていたのだ。

「ミッション・インポッシブル」は娘の「お子ちゃま映画」卒業の絶好の素材になった瞬間なのであった。

彼女曰く「これほど面白い映画、見たことなかった」と終わってから感想を大声で叫んでいたが、私も最近のCG満載のアクション映画に食傷気味を通り越してみたくもない状態になっていたところへ、超アナログアクションの本作だったので(もちろん最新のCGIも駆使していましたが)面白くて、楽しくて、大満足なのであった。

ともかく音楽はカッコいいし、私と同じ世代とは思えない身のこなしのトム・クルーズもなかなかいいし、カメラワークが絶妙なのが、これまた楽しい。
3Dでなくても十分以上に楽しめることを再確認もさせてくれて、これがまたいい。

「ミッション・インポッシブル ゴースト・プロトコル」という映画は初詣の次に訪れなければならない場所と言えるかもしれないお正月なのであった。



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子供の頃、少学館の辞典だったと思うのだが、
「大阪駅は日本の鉄道で最も長いプラットホームを持っている」
ということが書かれていて、
「やっぱり大阪はすごいんや」
と、訳もわからず納得したものだった。

確かに長いホームがあって、同じホームに行き先の違う列車が止まっていたりして、間違えて乗ってしまう人も少なくなかったと思われる。
かくいう私の母もそういうオッチョコチョイの一人だった。

ある日、物心がついたばかりの私は母に連れられ父の故郷岡山に向かう電車に掛け乗った。
もう出発時間が迫っていて乗り遅れると思ったからだった。
飛び乗った母はひとまず安心。
電車もゆっくりと走り始めた。
座席を確保できたかどうかは忘れてしまったが、問題がひとつだけあることを除けばすべて順調だった。
電車は快適に走っていた。
座席も確保できたのかも知れない。
私としては母の手さえ握っていればよかった。
すべて順調。
但し電車が岡山に向かって走るものであったのなら。

私たちの乗った電車は、福知山線。
今で言うJR宝塚線で、気がついた時は山陽本線を離れて列車は宝塚に向かって走っていたのであった。
母の焦りは尋常ではなかったに違いない。
なんといっても幼稚園前の私の記憶といえば、この列車乗り間違え事件が今も鮮明に残っているもので、これを今も時々話すと母は当時を思い出し、
「もう、たいへんやったんやで」
と胸を撫で下ろすのだ。
そもそも当時はディーゼルだった福知山線と電車が走っていた山陽線を間違える母は、ほんとオッチョコチョイだった。

ともかく、それだけ大阪駅は商都大阪を代表するターミナルなのであった。

で、時間は流れ40年近くの歳月が経過して、
「大阪地盤沈下」
「経済規模で中京圏に抜かれる」
「本社機能流出」
と、ろくなニュースが無い中で、橋下徹が知事に当選してからのここ数年は政治が熱くなってきて、街の雰囲気が随分変わってきたのだった。

まず、建築工事が増えてきた。
一見、百貨店の工事ばかりが目立ったが、いくつものビジネスタワーも建つようになり、クレーンの数も「不況や~」とうち沈んでいた数年前に比べると多少数も増えつつある。
また、名古屋に抜かれそうになった経済規模も、極端な話、トヨタ自動車一社で支えられている中京圏と違って電機や石油化学、食品、製薬で大企業の拠点を数多く抱える大阪はバラエティさで優っていたようで、橋下徹のリーダーシップと相俟って、一部の産業は徐々にではあるが元気を取り戻しつつあるようだ。

とはいっても、繊維を中心にまだまだ元気のないところ、というか民主党のアホバカ無責任政治のために苦渋を飲まされ続けれるところも少なくなく、そういう意味で大阪の景気は都構想もありながら、まだまだ不透明といったところだろう。

そういうところへ昨年完成したJR大阪駅は日本最大の駅となって生まれ変わった。
「大阪駅ビルは日本一」
震災の影響もあって、そういう広告が控えられたので、昔の子供向け図鑑のように「日本一」ということを知ったのは、開業して暫く経過してからなのであった。

実際に駅はめちゃくちゃ大きく、北側に伊勢丹三越とJR西日本が経営する専門店街があり、南側に大丸がある。
大丸はもともとったところを1.5倍規模に拡大し、三越に負けない店構えだ。
道路を挟んで南側には阪神百貨店、東側には阪急百貨店、北側にはヨドバシカメラ。
いったいこの地域はどうなるんだろ、という商業地帯に変貌した。

電車を乗り間違えた母は今年80歳を迎え、少々ぼけ始めているが乗り間違え事件はしっかり記憶しており、当分は安心だ。

大阪駅の姿は変われど、記憶は変わらないのだ。

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