<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



朝日放送の「探偵ナイトスクープ!」で放送されて以来、伝説となっていた道頓堀に沈んだまま行方不明のカーネル・サンダース人形が見つかった。
近年にない、アホらしいが感動的でもあるニュースだ。

道頓堀から引き上げられたサンダース人形を見ると、ケンタッキーフライドチキンのおじさんというよりも、まるで中国の兵馬俑。
土色の本体。
大きさ。
そして腕がなくなっていること。
などなど。
まさに「発掘さる」という表現がぴったりのように思えるのだ。

関西の人々にとって、このサンダース人形はタイムカプセルのような効果ももたらしているのではないだろうか。

阪神タイガースが21年ぶりの優勝を遂げたあの年。
ランディ・バースの代理人身御供にさらされてから、関西では数々の出来事が起こっていた。

関西空港の開港、
阪神大震災、
バブルの発生と、崩壊、
大阪球場の取り壊し、
南海ホークスと近鉄バファローズの消滅、
阪神タイガースの18年ぶりの優勝、
などなど。

個々の人々にとっても大きな出来事がそれこそ沢山起こっていたことだろう。

その間、カーネル・サンダースは道頓堀のヘドロに埋まり、掘り出される時を待っていたのだ。

現在の最大の関心は、日本ケンタッキーフライドチキン社がこの人形をどう扱うかだ。
道頓堀といえば「くいだおれ」の人形や「かに道楽」の蟹の看板、「グリコ」のランナー看板などが有名だが、それに列することになるのか。
はたまた阪神タイガースの3つめのマスコット(トラッキー、ラッキー、カーネル、となるか)として甲子園に登場するのか。
注目されるところだ。

とにかく、主要大手紙全てが扱ったほどのニュース。
北朝鮮関連ニュースよりトップであったことが日本のノホホ~ン平和ぶりを裏付けているのだ。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




阪神電車は「タイガース」という超人気のプロ野球球団を所有しているわりに、地味~な電鉄会社で、関西大手私鉄の中では営業距離が最も短い。
電車の車両も阪神間という人口密集地帯を走っている割に、六両編成とか四両編成なんて短い電車が走っているので、益々しょぼくなる。
ちなみに特急の梅田~三宮間の所要時間はJRの各駅停車のそれとほぼ同じだ。

その阪神電車に新線が誕生する。

「阪神なんば線」

尼崎駅から西九条まで走っていた西大阪線が延長され「なんば線」に生まれ変わる。
電車はそのまま近鉄奈良線に乗り入れ、奈良まで直通いけるようになるのだ。

あの不細工なキャラクター「遷都君」も乗り換え無しであの愛らしく陽気なキャラクターぼくらの「トラッキー」(甲子園在住)に会いに行くことができるというわけだ。

ところで、このなんば線の開通に見られるように関西圏でもここ最近、多くの鉄道路線が開通してきている。

JR東西線。
地下鉄今里線。
地下鉄東大阪線の生駒以東。
JR東大阪線。
京阪中之島線。
そして阪神なんば線。

こういう新線だらけで思い出すのが東京へ出かけていつも困る電車の乗り換え。

最近はもうすっかり慣れてしまったが、初めの頃は自販機でキップを買うのにかなり悩んだ。
乗り換えに際して、どのボタンを押せばいいのかわからないのだ。

都営
メトロ
JR
京急
京成
その他知らない名前の中小私鉄。
で、無数の乗り換え候補駅。

正直、ストレンジャーにとってわかるはずがない。

で、そのときの感想が、

「東京はよそ者に冷たい」

という同じ都会人である関西人が持つ東京へのステレオタイプ的な嫌悪感を無理やり理屈付けされたのであった。

気がついてみると、大阪も対して変わらなくなってきたようだ。

どう行ったらどの線に乗れて、どのキップを買うと、下車するときに改札機が「ピンポン♪」と鳴らずに済むのか。

ややこしさは時に人情を損なったりする。

つまり関西は関西人以外のよそ者に冷たい街になってしまうのかもわからない危険性が潜んでいる。

阪神なんば線。
安直に喜べない私はへそ曲がりか。

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )




何年かに一度の割合で、アカデミー賞授与式を見逃してしまうことがある。
今年がそうなのであった。

考えてみれば、私が始めてアカデミー賞の授与式をテレビで鑑賞したのは1977年度アカデミー賞授与式で、確か「ゴールデン洋画劇場」の時間帯に8チャンネルで放送されたように記憶している。

生れて初めて観たアメリカのエンタテイメントなショーの世界に酔いしれたのはもちろんのことながら、この年は未だに日本では公開されていなかった「スターウォーズ」が主題曲賞や衣装デザイン賞など七部門を制覇する、それはそれは派手やかなショーなのであった。
今も、ストームトゥルーパーが舞台上段から大挙して現れたことを記憶している。

以来、アカデミー賞は放送されるごとに出来るだけ観るようにしてきたのだった。

ところが衛星放送が開始されるとアカデミー賞の放送ががらりと変わってしまった。

なんと有料の放送局「WOWOW」が独占放送するようになったのだ。
それに合わせてかどうか知らないが、NHK-BSでダイジェストが放送されるようになってきたのだ。

このNHKでの放送は不定期で注意して新聞のテレビ欄をチェックしておかないと見逃してしまうという代物だった。
いや。
今もの見逃してしまう代物なのだ。

最近プライベートがめちゃくちゃ忙しく、今回もNHKの放送予定をチェックするのを忘れていた。

今日、その事実に気付いたのであったが、ときすでに遅し。
アカデミー賞授与式は7日夜に放送されてしまっていたのであった。

今年は観られなかったことが、特に悔しい。

久々に日本人が受賞。
しかも、アニメではなく実写映画で。

監督のスピーチを是非とも観てみたかったのであった。

次は「トニー賞」を見逃さないように注意しなければいけない。

コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )




陪審員制度が始まるので、この手の裁判傍聴体験記といってもいいようなジャンルの書籍が続々と出てくるのだろう。

書店でこういう裁判制度に少しでも関わる書籍を発見すると、どちらかというとまったく読みたいという気分が起こらず、ましてそれを手に取り、買い求めてしまうなんてこともあり得なかったのだ。
その背景には、私は日本での陪審員制度は必要ないと考えているからでもあり、今回の陪審員制度の復活は若い頃は学生運動で好き勝手、長じてからはバブルのお祭りでこれまた好き放題、そういう団塊の世代の最後の陰謀と信じているからでもある。

なのによって、裁判なんぞというものには見向きもしたくなったのだ。

ところが今回、会社の部下から、
「この本、おもしろいっすよ」
と勧められたことをきっかけに裁判関係の本書「裁判長!.....」を読むことになった。

本書は著者が実地に裁判所に出向き、さまざまな裁判を傍聴した体験記だ。

本書を読んで一番最初に感じたのは、
「こんな面白い劇場を見逃していたなんて。しかもタダやし。」
ということだった。

日本のような民主国家では一部の特例はのぞき、裁判は一般大衆に開放されているものだったのだ。
裁判の公開は民主主義の原則の一つでもあるわけで、公開することにより、おかしげな判決(中国でよくだされるようなヤツ)がくだされることを防止する役目もになっている。
アメリカでは確かテレビで放送されているぐらいのものなのだ。

裁判はもちろん脚色のないドラマだった。

殺人事件に登場する犯人は本当に人を殺した人間だし、児童虐待を働いた大人の女もやはり虐待する人間だ。
弁護士や検事も本物であるわけで、裁判所の中でおこなれている公判は、リアリティ溢れるドラマに他ならないのだ。

本書の著者の切り下げには、少しばかり物足りなさを感じることがなくはないが、裁判所を劇場代わりにうるその考えは、なかなかなものだと思わざるを得なかった。

仕事で時々役所周りをすることがあるが、これからは少しは裁判所も訪れてみようと思ったのであった。

~「裁判長!ここは懲役4年でどうですか?」北尾ヒロ著 文春文庫~

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




空港からヤンゴン市内へ続く道は、片側三車線の美しく整備された道であった。

さっきまでの雨で路面が濡れている。
反対車線を走っている対向車のヘッドライトの灯が路面に反射してキラキラしている。
とってもキレイだ。

ミャンマーは国際通貨基金にも認定された東南アジアの最貧国だと聞いていた。
だからミャンマーの人たちには失礼だと思いつつ、空港から市内へ通じる道が、こんなにも美しいとは、私にはまったくもって予想外なのであった。

タイを初めて訪れた時も「タイは発展途上国」だからということで、勝手に貧乏そうな砂利道や凸凹道を想像していたが、空港を出たら高速道路は通っているし、高層ビルは建っているし、なんじゃこれは、と思ったものだ。
ミャンマーの美しい空港から市内への幹線道路は、タイでの驚きほどではないにしろ、かなり驚かされるものがあったのだった。

「キレイでしょ。空港から市内への道は政府の偉い人たちがよく利用するから、キレイなんですよ。」

とガイドのTさん。
かなり謙遜した物言いだが、ヤンゴンに到着したばかりの私は、この道しか知らないので、

「そうですか。奇麗ですよ。」

と素直に答えたのだった。
もっとも路面はとてもよく整備されているようだが、街灯が殆どない。暗い道なのだ。

「日本人、みなさん暗いっておっしゃるんです。」

道路の周辺はジャングルか湿地帯で、人家もオフィスもないのかも知れない。
などと思っていたら、暗がりの中を多くの人が道路を横断したり、バス停らしき場所で、たむろしているのが、やみ夜のシルエットになって浮かび上がってきた。

それも二三人、ポツリポツリではなく、かなりの数の人たちだ。

暗がりの道路を人影の群れがドドドドド、と横切る。
アメリカならとっくの昔にズドンとやられていそうな真っ暗がりのバス停で若い女性たちがバスを待っている。
道路はアメリカ式の右側通行。
しかし乗っている自動車は右ハンドルの日本の中古車。
少々違和感がなくもない。

「このあたりはヤンゴン大学です。」

墨で塗りつぶしたような暗がりなので、まったく分からないが、今、ヤンゴン大学のキャンパス沿いを走っているらしい。
日本でも夜の大学といえば、そんなに明るくないが、ここまで真っ暗やみではない。

私の家の近くには大阪府立大学の超地味なキャンパスが広がっているが、校舎の廊下には照明がつき、夜間でもジョギングをしている人たちがいる。
ここヤンゴンではこの暗やみの中、学生や教授たちはどうやって研究や勉学に勤しんでいるのであろう。
このヤンゴン大学は創設百年を超える伝統あるミャンマーの国立大学だ。
日本で言えば知的犯罪者卒業率ナンバーワンの東京大学のようなものだ。
しかし百年前のミャンマーは英領インドではないのか。

「とすると.....。」
「そうです。植民地の時代に作られました。」

英国植民地時代に創建された大学だったのだ。

ガイドのTさんもヤンゴン大学ではないが、ヤンゴン市内の大学を卒業したそうで、専攻は英文学。
日本語は就職のことなどを考えて卒業してから勉強したという。

「でも日本語の勉強に凝り過ぎて、英語が喋れなくなってしまって。」

と笑いながら話すTさんであった。

大きな交差点にさしかかり、左側の窓から遠くを眺めると、遥か向こうにライトアップされたミャンマー一の名刹シュエダゴォンパゴダの巨大な仏塔が黄金色に輝いていた。

つづく

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




大変な時代になったものだ。
次々に雑誌が休刊し、私が楽しみに読む本が無くなってしまうのではないか、と寂しくなる。

文藝春秋社の月刊誌「諸君!」が6月号で休刊になってしまうことが昨日報道された。

毎号、とまではいかなくても、私は冒頭の「紳士と淑女」のコラムが大好きで、なんだか心配事を抱えている時でも、このコラムを読むと妙に元気が出てくるので不思議だった。

「諸君!」は総じて保守的な雑誌ではあった。
そのためにかなりの切り口できっと社会党や共産党を支持政党にしている人たちや、週間金曜日や朝日新聞を愛読紙、愛読誌にされている人たちからはきらわれる存在だったのかも知れない。

こういう元気なオピニオン誌が休刊する。
かなりいたたまれない気がするのも確かだ。

インターネットが普及して正直、雑誌で意見を戦わせる時代はもしかすると終わっているのかも分からない。
諸君ほど正論をビシッと主張している雑誌はそうざらにはなかっただけに残念だ。

諸君と同じ方向性の雑誌はまだある。
例えば産経新聞社の「正論」や小学館の「SAPIO」がそれだ。
しかしどちらも「諸君!」と比べると論旨の切れ味にいささか甘さがあり、SAPIOは時として「なんじゃこりゃ」本的な論議をしている時もなくはない。

ともかく、日本の政治の現状を見ていると、「諸君!」が休刊してしまうのも無理はないと思ってしまう。

なんだか、悲しい。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




雑誌Brutusの3月1日号にあのBar"Avanti"が取り上げられていた。

正直、かなり驚いた。

毎週土曜日の午後5時からFM東京系(私の地域の場合FM大阪)で放送されている「Saturday waiting bar Avanti」は二十年近く続いているラジオ番組だ。
東京の仙台坂にあるイタリアンレストランのウェイティングバーが舞台で、そこに集う様々なお客さんのトークが売り物だ。
洒落ていて、粋で、それでいて聞いていてタメになる話し満載のラジオ番組なのだ。

このアバンティ。
過去に一度もその実像が紹介されたことはなかった。

日曜日の夕方。
仙台坂。
常連しか知らないような地味なレストラン。

私はてっきり「架空のレストランなのではないか」と信じ込んでいたのであった。
つまり番組のために作られた実在しないバーなのではないかと。

実際のところ雑誌にこうして紹介されてもなお、「架空のレストラン」だと思っている。

アバンティはNHK-FMの長寿番組、日曜喫茶室の民放版といった趣のある番組だ。
日曜喫茶室がちょっと気取った「郊外にある高級住宅地のとあるカフェ」みたいな感じがするのに対して、アバンティは「都心の小粋なレストラン」、といった感じが漂っているのだ。
どちらもFM局の番組でありながら、音楽よりもトークを楽しむのが、また大きな特徴でもある。

NHKのほうは以前、スタジオの中に喫茶店を再現して収録していることが紹介されていて、その凝りように感心したことがある。
アバンティもてっきりFM東京のスタジオ内にバーを再現して収録していると思っていた。
ちょうど伝説の深夜番組「たかじんnoばあ」のような感じでだ。

今回Burtusには立派なバーが紹介されていて、バーテンダーのスタンが堂々と写っていた。

Avantiは実在するのか?
疑問がさらに大きくなったのは言うまでもない。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )



   次ページ »