<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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一回り以上の年上の従兄弟がまだ独身だった頃、そのお兄ちゃんの家の押し入れの中は少年マガジンで溢れていた。

「これ、勉強になるんや」

と、いくつかの漫画を引き合いに出し、自分のコレクションが正当なものであることを小学生の私に滔々と説いてくれたのだった。
そのコレクションが本当に正当なものであるのかどうかは、今となってはわからない。
というのも、そのお兄ちゃんが結婚する時にその膨大な数の漫画雑誌は伯母の手によって処分されてしまったからであった。

少年マガジンと少年サンデーが創刊50年を迎えた。読売新聞記事

私はどちらかいうと少年ジャンプで子供時代を過ごしたのでマガジンやサンデーにはあまり馴染みがない。
「あしたのジョー」より「トイレット博士」の方がお気に入りだったのだ。
やがて中学生になるとジャンプよりもチャンピオンが愛読誌となった。
さすがに「マタンキ」は卒業して「アッチョンブリケ」
「ブラックジャック」の世界に引き込まれたのだった。

子供同士の話題といえば漫画雑誌からの引用が少なくない時代で、初めての通信販売も漫画雑誌の裏表紙なんかに掲載されていた「切手で買える」猿の惑星の猿のマスクであったり、シーモンキーであったり、マルベル堂のブロマイドであったりしたのだ。

その漫画雑誌も最近は発行部数が伸び悩み、少年キングのように休刊してしまうものも現れだした。

子供たちの趣向の多様化によるものだそうだが、私には評論家先生のように割り切ることができずにいる。
漫画の質の低下が一番の原因ではないかと思えるのだ。
新人作家の不足。
よしんば新人が登場しても「一発屋」に終わってしまい、ひとつのシリーズを描き終わると次の作品はオオコケということも少なくない。

どうも最近の漫画雑誌を眺める限り、従兄弟のお兄ちゃんのようにお仕入れいっぱいにコレクションする価値のあるものがどれだけあるのか。
少年漫画雑誌50年。
ちょっと原点を振り返ってもらいたい区切りのイベントに思えたのであった。

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