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新潮社刊「中国臓器市場」を読んでいて、その途中から感じたのは、
「早くiPS細胞技術が完成され臓器移植の問題がこの世から無くなればいいのに」
というものだった。

最近の新聞報道を読むと、そういう時代がやってくるのもそう遠くはないと思われる。

だが、目下のところ、現実には病気に苦しみ臓器移植以外に命の助かる術のない人々は少なくない。
しかもそういう人たちが、実際に臓器移植の手術を受けられるのは宝くじに当選するようなものだというのだ。
そのわけは日本国内に臓器を提供できるドナーが極めて少ないからなのだそうだ。
その影響だでもないが、そういう国内で臓器移植を受けることの出来ない人々が、金次第でドナーを手配できる中国に最後ののぞみを託して臓器移植ツアーに出かけるのだという。

「中国臓器市場」はそういった中国における数々の問題と、その背後にある日本国内の臓器移植に関する深刻な医療状況という2つの問題を提起している。
とりわけ中国における拝金主義と貧困、そして死刑囚の臓器利用という中国独自とも言える倫理観の違いが衝撃的だ。

本書では中国での臓器移植を生業としている数人の日本人コーディネーターが登場するが、ある時は正義に見える彼らも、ある時には日本時である読者からすると倫理的には疑問点を持っている人に映ってしまうのだ。
それは彼らもまた、金次第で移植を行なうという中国の医師や役人と繋がっているため、たとえその「悪」を実行しなければ人命を助ける「善」にならないと分かっていても、私たちの基本的な倫理観と符合せず、どうしても抵抗感を感じてしまうからだろうか。
死刑囚の臓器を使った移植などは、まるでナチスが行なった人体実験のようなニオイさえ嗅ぎ取ってしまうのだ。

このいたたまれない現状に、終止符を打って欲しいという気持ちからか、読み進んでいるうちに頭をよぎってくるのはiPS細胞の実用化だ。
ある解説によるとiPS細胞はすでに特定の部位になった部分の細胞のDNAをビデオテープを巻き戻すように過去へ遡り、どんな細胞にも再生させることが出来るようになる技術なのだという。
日本の京都大学で開発されたこの技術は、今世界中で研究され医療技術という点では競争の最も著しい分野になっているのだという。

死刑囚の臓器が金で売買されることのない時代。
生体肝移植を名目に生きている人の臓器さえ売買の対象になってしまう不気味な時代。
そして金持ちは助かり、貧者は死を受け入れなければならないという、不公平。
これらを克服することを強く望んでしまう。

本書はそんなノンフィクションなのであった。

~「中国臓器市場 死体を見たら金と思え」城山英巳著 新潮社刊~



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