<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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「阪急電車」を読んでからすっかり有川浩の作品が気に入ってしまった。

阪急今津線の宝塚~西宮北口間を舞台にした「阪急電車」はテンポよく、登場人物が生き生きとしていて、しかも小さなエピソードをいくつも絡めたその手法は、まるで魔法のように私の心を虜にしてくれたのだった。

「ラブコメ今昔」が出版された時も、是非読みたい、という気持ちがドドドっと出たのだったが、「ラブコメ」と言う言葉にオッサンである私はいささか気後れがして買うことを躊躇してしまっていたのだった。

あれから数ヶ月。
私は何か軽い読み物で、それでいてワクワク楽しめるものはないだろうかと、自宅の近所にあるTSUTAYAの書籍売り場をウロウロしていた。
で、ここで見つけたのが本書「ラブコメ今昔」なのであった。
今回は躊躇せずに買い求めることができた。
ちょうどこの本の帯に記されているように「オタクだって、オッサンだって、自衛官だって ベタ甘ラブで何が悪い!」と開き直っていたのであった。

それにしても自衛隊とラブコメ。
この取り合わせが何とも面白い。

かつて私が小学生中学生だった昭和40~50年代。自衛隊は子供心にもあまり尊敬している対象ではなかった。
というよりも、
「俺、自衛官になりたいねん」
などと言おうものならクラスの注目の的、ある意味、話のネタになっていたことは間違いない。
つまりラブコメの対象に自衛隊なんぞなり得るべくもなかったのだ。

かといって、自衛隊すなわち何やら格好悪い存在、でもなかった。
私のような昭和一桁生まれを父母に持つ世代には、自衛隊=憲法九条の敵対者、とはならず、どちらかというと尊敬すべき大日本帝国陸海軍の変わり果てたお姿、というイメージがすり込まれていた。
何といっても、今の日本があるのは、
「兵隊さんのおかげです」
と戦争も知らないのに教え込まれ、
「兵隊」
さんと
「隊員」
さんはどう違うのか、理解できないまま中途半端な自衛隊を少しばかり蔑んだ目で眺めていたのだったろう。

この私が持っていたような1億国民の標準的な自衛隊へのモノの見方が変わったのが、湾岸戦争の後処理に出かけた掃海艇の活躍と、それにつづくカンボジアでのPKO活動であったのは間違いない。

自衛隊は国際的な献身を捧げることの出来る国家組織。

という今考えれば当たり前のイメージがわきはじめたのだった。
そのイメージを後押ししたのが、文春のカメラマン宮嶋茂樹とそのゴーストライター勝谷誠彦であったことも、これまた間違いない。

そして1997年の阪神淡路大震災が自衛隊のイメージをすっかり逞しいものに変えたのだと私は思っている。
ゴジラに踏み荒らされたような神戸の街。
数万人の被災者。
その被災者の救出と援護にあったたのが、地震で破壊された自分の官舎を家族に任せ出動した伊丹駐屯地の陸上自衛隊の皆さんや全国各地から駆けつけてくれた自衛隊員はじめ警察、消防の人々なのであった。

今や自衛隊が平和のために活動している地域はイラク、ソマリア、インドネシアなどなどなど。
外務省もビックリの多岐に渡っている。

かなり遠回りしたが、そういう自衛隊の皆さんが恋に落ちたり、べたべたしたりすることも、当然あるだろう。
毎日毎日訓練に明け暮れてばかりいるイメージがどうしても旧軍のイメージの影響で、でき上がってしまうが、事実はこんなものかもわからない、というのが有川浩の「ラブコメ今昔」なのであった。

それにしても、この人のキャラクターの描き方は毎回魅力的だ。
一人一人にドラマが感ぜられるところがたまらない。

自衛隊についてもうわべだけを描いているのではなく、きっちり取材して書いているところが、これまた不自然さがなくてとてもいい。

アメリカのテレビドラマ「犯罪捜査官ネイビーファイル」とはちとちがうが、(本書は殺人事件モノではない)軍隊生活を普通に描けているのが「ラブコメ」と一緒になって、かなり楽しめるのであった。

~「ラブコメ今昔」有川浩著 角川書店刊~

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