tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

国連を育てることの重要性

2016年06月01日 11時00分15秒 | 国際関係
国連を育てることの重要性
 我が家のゲンジ蛍はその後5匹羽化して12匹になりました。市井の片隅で、こうしたことに楽しみを感じていられるのは本当に有難いことですが、マスコミでは、こうした平穏と裏腹に、連日、我々庶民に不安を感じさせるような報道が続きます。

 蛍の光は我々の心に安らぎを感じさせますが、原子の火はどうでしょうか。G7外相の広島訪問、オバマさんの広島訪問と物事は一歩でも半歩でも前進しているような面もあります。

 人類の願いと言われる核廃絶、原爆のない世界、理想は高く掲げられるべきでしょう。しかし、同時に理想へ向かう現実的なアプローチ、具体的なプロセスもどこかで論じられなければならないのではないでしょうか。

 マスコミの一部では、広島訪問はいいけれど、主要国は原爆の高性能化を進めているではないかとか、核弾頭の削減はあまり進んでいないなどの批判的な発言も聞かれます。
 本当に原爆のない世界というのは実現するのでしょうか。人類にとってそれは可能なのでしょうか。

 原爆製造技術は世界に広く拡散しています。国だけでなく、テロ組織のようなものが、原爆を保有する可能性すら無きにしも有らずです。
 場合によっては、人類が、平和のために核兵器の抑止力に頼らなければならないようなケースさえ出てきかねません。
 刀狩りや、銃砲刀剣不法所持といった問題でも、国家機関はそれを取り締まるだけの能力を持っていなければならないのです。

 同じことを原爆について考えれば、原爆の各国管理では限界があることは明らかです。歴史の将来のどの時点なるかわかりませんが、原爆狩りをやって、原爆は「国の上部組織」である国連が管理し、人類の安寧を維持することになるのでしょうか。

「国連が?」とまさに現状では夢物語でしょう。しかし、人類は国際紛争を合理的に処理するために、国際連盟、そして国際連合を作ってきたのではないでしょうか。
 
 人類は、自らの知恵を発揮しようと、こうした組織を構想して、現実に設立に至っているのですが、その理念をもって国連を生かすことについては、今の常任理事国でさえ、残念ながら出来ていません。

 人類全体のためよりも、自国の利益、自らの政権の維持といった極めて卑近なことを重視し、国際司法裁判所や、その他の国連機関をないがしろにするというのが今の安全保障理事会の常任理事国を含む多くの国の態度に見られます。

 日本は、戦後一貫して「国連中心主義」を標榜してきたはずです。
 これからの世の中、世界人類の平穏のために、ますます国連の役割が必要になってくるはずです。
 誰かが言い出さなければならないとすれば、まず日本が「国連を育てよう」、「国連は人類の知恵の結晶ではないか」と常に世界に呼びかけ続けるべきではないでしょうか。

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