前回は、EUと日本の縄文時代は共通点がある、それは多様性の平和共存だ、という事を指摘してきました。
そして提起した問題は、多様性の平和共存が可能になる社会の枠組みというのは何でしょうかという事でした。それがはっきりすれば、人類社会、国際関係は今よりずっと良いものになるという視点です。
ヨーロッパは王国が乱立していた時代は、戦争が当たり前だったようです。我々が知っている範囲でも、ナポレオンは戦争をしました。そして最後の戦争は、ドイツのヒットラーと、イタリアのムッソリーニという、形は民主主義の中から生まれた独裁者と日本の軍部の独裁も絡んだものでした。
今のヨーロッパは民主主義が行き渡り、独裁者は生まれてこない状態がEUを可能にしているのでしょう。
翻って日本の縄文時代はどうだったのでしょうか。これはよく解りません。しかし考古学者の研究によれば、戦争はなく(殺戮の跡がない)征服、被征服もなく奴隷制もないと見られている背後にはそれなりの社会体制があったはずだと思われます。
古代日本の研究からは呪術、巫女の役割といったものの尊重もあるようですが、その背後にあったのはそれぞれの集落の意思決定がメンバーの総意を反映するようなシステムだったことの様です
日本にはずっと最近まで「衆に諮り」とか「一揆に諮り」といった言葉が使われいました、
聖徳太子の17条の憲法でも、第一条は「和をもって貴しとなす」で最後の17条には「夫れ事は独りにて断(さだ)むべからず、必ず衆と共に論ずべし」」と書いてあります。
恐らく集落の人が集まってその総意に従って物事を決める風習が一般的だったのではないかと想像されます。
つまりは、原始的な直接民主主義のような風習が、戦争などは考えず多様性の共存を可能にしていたのではないでしょうか。
この社会は、弥生時代には外来の文物とともに王制、そして戦争という文化も入って結果は魏志倭人伝の「倭国大乱」に至るのでしょう。
こう見てきますと、戦争は、王、皇帝という政治体制と共にあるように思われます。
王、皇帝という存在は、必然的に「イエスマン」に囲まれた独裁者を作り上げることに繋がり、その独裁者の個人的な征服意欲や、被害者意識がその国の行動を決める可能性を高め、戦争という最悪の社会現象を引き起こすのではないでしょうか。
そう考えれば、民主主義が健全な形で働く社会は、恐らく多様性が平和共存する社会を創っていくという事になるような気がします。
人類は、本来、そうした社会を望んでいると思うのですが、それが上手くいかないで、戦争が起きてしまうのが残念ながら今の現実という事なのでしょう。