tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

改めて「あぶく銭」論議、日本人本来の金銭感覚

2013年05月06日 23時37分39秒 | 経済
改めて「あぶく銭」論議、日本人本来の金銭感覚
 このブログでは、何回か「日本人は本来『額に汗したカネ』と『あぶく銭 』を識別する能力を持っていた」と書いて来ました。
 
 さらに積極的に『悪銭身につかず』と言って、「あぶく銭」を得ても結果はろくなことはないと教えています。落語「芝浜」などはそれを題材にした人情噺です。
 おカネに対する人間の「弱さ」を教え、戒めているのは、かつては万国共通かも知れません。

 これに対して今のマネー経済は、非合法は別として、得たカネは同じカネ、という立場になるのでしょうか。
 最近はアベノミクスによる円安で株が上がり、短期間に巨額のカネを稼いだ人たちが本を書いたり雑誌に出たり成果を誇るのが多く見られます。

 決して悪いことではないので、自慢できますし、またその金が諺どおり「身につかないで」どんどん使われれば、消費が増えて景気が良くなる効果もあるので大変結構なことだともいえるでしょう。

 しかも、この種の「あぶく銭」は、サラリーマン感覚でいえば、額に汗したカネとは桁が違うのです。残業やアルバイトで、余計に稼いでもせいぜい何万円ですが、株やFXなら100万円単位も可能です。消費拡大効果も絶大で、ニュースでも、デパートや専門店で高級品が売れているといったレポートがよく見られます。

 では、額に汗した金とあぶく銭はどこが違うのでしょうか。あぶく銭はなぜ蔑まれるのでしょうか。今の経済用語を使えば、こんなことになるのでしょう。
 額に汗したカネは経済成長(GDP増加)への貢献の分け前です。 一方、あぶく銭は、カネの移転による「移転所得/振替所得」で、儲けなかった人から儲けた人へ購買力が移転しただけで経済成長の成果ではありません。
 
 株や金融取引でいくら儲けても経済成長には関係ないので、社会全体としては豊かになりません。その意味では「あぶく銭=キャピタルゲイン」と理解していいでしょう。
 ところで、キャピタルゲインだけでは経済は成り立ちません 。「インカムゲイン=額に汗したカネ」がGDPを増やし社会に豊かさをもたらすのです。

 両者の識別は、経済活動の健全な認識です。渋沢栄一は道徳経済合一論の「論語と算盤」を書き、私利追求が「神の見えざる手」で国富に貢献すると書いたアダムスミスも「道徳情操論」を書いて、人間の心や判断がカネで狂ってしまわないように、と願っています。
 
 このブログでは、経済活動は「社会をより豊かにに、より快適にするための活動」と考えていますが、その視点では、額に汗した金は経済成長に貢献した報酬、あぶく銭は、ゼロサムの中で誰かのカネを自分の懐への移転に成功しただけですから、割り切って言えば、本来の経済活動ではないということになります。