tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

政治の混乱と円の評価

2011年06月02日 21時52分13秒 | 経済
 今回の政治の混乱には、被災地の皆様方、特に原発の被害にあっておられる方々、そして心ある国民の多くは、日本の政治家の言動に、ほとほと愛想を尽かしているのではないでしょうか。

 民主主義ですから、政治家、国会議員、いわゆる選良は、われわれが選んだ人たちです。ですから、その人たちが何をするかは、その人たちを選挙したわれわれの責任ということになるのかもしれません。

 そういわれればその通りですが、それを解った上で、あえて言えば、「個人的には存じ上げなかったものですから・・・・・」とか、「そんな人だと思わなかったので」という事になるのでしょうか。更にいえば、『われわれは立候補した人からしか選べないので・・・・・』という事です。どういう人が立候補するかは、何処でどう決まるのでしょうか。

 「出たい人より、出したい人を」という標語が昔ありました。日本人には立候補というシステムが、うまく活用できないような社会的な習慣があるのかもしれません。まさか国政選挙を互選というわけにも行かないでしょうが。

 前々々回ですか、コロンビア大学のジェラルド・カーチス氏の「国民がしっかりしているから日本の政治家は楽をしている」という趣旨の言葉を引用しましたが、テレビのインタビューなどで被災地の方々の言葉をお聞きしても、「私も本当に怒っている」と言われながらも、半分諦めているといった感じを受けるのは私だけでしょうか。
 
 その分大変なのは、直接やるべきことをやらなければならない地方自治体の首長さん方です。地域の人々と直接「人と人、顔と顔のつながり」を持つ首長の方々は本当に立派にやっておられます。 地域の、そして日本の再建は、誰がやるのでしょうか。次第に見えてくるようです。

 それにつけても感じるのは、「こんな大変な時期に、こんな政治の状況でも」、日本の経済社会の客観的評価といえる『円の価値』は微動だにしないという事実です。 『不信任案提出の日も円高』という現実の意味するところは何なのでしょうか。

 もしこれが日本でなかったら、「いよいよこの国も当分ダメかな」ということで、通貨価値は暴落しているのではないでしょうか。
 しかし、円は絶対的な信用 を維持しています。つまり日本の経済力、社会の安定については、世界的に絶対の信用があって、政治のガタガタはほとんど関係がない、ということなのです。

 国会を舞台にテレビカメラの標的になる選良の方々にはこの事実はどう見えているのでしょうか。国際的は、それほど皆さんへ評価は軽いようです。