Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

中絶に関する国民投票についての公開書簡: 「ノー!」に投票する義務

2007年06月21日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

 兄弟姉妹の皆様、
 来月の参議院議員選挙に関連して、次の記事をもお読み下さい。

2月11日の中絶に関する国民投票についてポルトガルの人々への公開書簡
「ノー!」に投票するカトリック教徒の義務


 この記事のポルトガルという言葉を日本と置き換えて読んでみて下さい。


 日本の人々へ:日本の参議院議員選挙が早々と近づいているので、われわれは最大の緊急性をもってこの公開書簡をあなたたちに宛てて出します。なぜなら日本の人々は十字路に立っているからです。そして数日のうちに彼らの方向の選択は単に母胎における無数の無辜の生命の運命ばかりでなく、またわれわれの国家それ自体の運命をも決定するだろうからです・・・。

 中絶はいかなる国も「合法化する」あるいは支持することができない犯罪であるし、同性同士の「結婚」・男色もいかなる国も「合法化する」あるいは支持することができない犯罪であるからです。

 教会が常に教えてきたように、不道徳な法は全然法ではないのです。聖アウグスティヌス、聖トマス・アクィナスそしてすべての教皇たち、聖人たちそして教父たちは、カトリック教徒は単に不道徳な法を支持することを控えなければならないだけではなく、積極的にそれに反対し、たとえそれが法として施行されたとしてもそれに従うことを拒否しなければならない、と一致して宣言しています。

 あらゆる男女 - カトリックもそうでない人も - は中絶に反対しなければならない

 そして教会が中絶や同性愛を断罪していることはただカトリック教徒だけを拘束するだけである、あるいは近く行われる投票は「政治的」あるいは「社会的」問題であって、「宗教的」問題ではないと誰にも言わせないようにしましょう。政治は道徳によって支配され、そして道徳は自然法に由来します。

 中絶や同性愛は自然法の重大な違反です。自然法はあらゆる男と女の心に書かれており、そしてそれは何が善であり、何が悪であるかをわれわれに告げます。すべての人はその宗教あるいは国籍が何であろうともです。

 女性に同情をという誤った訴えによって左右されてはいけない!

 日本の人々よ、母胎内での殺人の主張者たちが困っている女性に対するあなたたちの同情を食い物にすることを許してはいけません。いかなる女性も彼女自身の子どもの破壊によって助けられ得たということは決してありません。中絶は女性たちに彼らの生涯の残りの間ずっととりつく恐るべき錯誤です。レズビアンを認めることも「同情」ではありません。

 秋田の聖母よ、日本のために祈り給え。
 秋田の聖母よ、日本の青少年のために、祈り給え。
 秋田の聖母よ、日本の女性たちのために、祈り給え。

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■ 自由についての一般的考察 「自由」の3つの意味
■ 法とは何か? 法は自由にとって敵なのか?
■ 良心とは何か。行為の実効的規範とは客観的真実のみ。
■ 良心および強制に関する一般的考察:良心を侵すことになるか。法律上の強制についてどう考えるべきか
■ 基本的諸権利とは何か。その限界は?誤謬または道徳的悪に対する権利は存在するか
■ 誤謬または悪に対する消極的権利は存在するか?また、寛容に対する権利は?

思い誤るな。淫行する者も、偶像崇拝者も、姦通する者も、男娼も、男色する者も、天主の国を嗣がない。

2007年06月21日 | 本・新聞・ウェッブ・サイトを読んで
アヴェ・マリア!

 来月は参院選がありますね。
 参院選比例代表には、レズビアン候補も出馬するそうです。
 民主党の尾辻かな子前大阪府議(32)で、日本で初めて同性愛者を公言した候補です。

“レズビアン候補”尾辻かな子氏が涙の会見

レズビアン参院立候補予定者が挙式

尾辻さん、同性挙式…民主・小沢代表から祝電も

「不正の人は天主の国を嗣げないことを、あなたたちは知らないのか。思い誤るな。淫行する者も、偶像崇拝者も、姦通する者も、男娼も、男色する者も、泥棒も、食欲な人も、酒飲みも、讒言する人も、略奪する人も、天主の国を嗣がない。」(聖パウロ:コリント前書6章)

 カトリック信者の兄弟姉妹の皆様は、是非良識をもって投票してください。

 兄弟姉妹の皆様、カトリック信者が投票に行ってまともな政党に投票しないと、比例代表でこのレズビアンが当選して、同性愛者が当たり前の社会になってしまう虞があります。

 天主の定めた自然法に反するレズビアンの民主党参議院議員候補者の尾辻かな子ですが、民主党に属しています。だから民主党には私たちは投票することができません。

 カトリック信徒の方々が何も行動を起こさないと、あれよあれよという間に、カトリック信者がまともな生活を送ることさえもできなくなってしまいます。フェミニズム、性教育、その他、天主の定めた自然法に反する悪しき政策が、組織票のある労組などの支援を受けるサヨク政党やそのほかの宗教団体などの主張と思いの通り、政策に反映されるようになり、真理というよりも数の支配がまかり通るようになってしまいます。

 カトリックも行動を起こさなければならない、ということです。いくら私たちの愛する子供たちが聖伝のミサにあずかっても、学校でコンドームの装着の実習の授業を受けて、ポルノ映画を見せられたのでは、どうして貞潔の徳を保つ良きカトリック信者になるでしょうか?

 繰り返して申し上げますが、カトリック信者の兄弟姉妹の皆様は、良識をもって投票してください。よろしくお願いします。

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第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 人間人格の尊厳?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 存在論的尊厳、行動の自由?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 主観的権利、それとも客観的権利?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 拘束を伴わない探求?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 対話、それとも説教?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 真理の宗教? それとも偽りの宗教?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 誤った諸宗教の有する権利?

第二バチカン公会議についての疑問および問題点:誤った諸宗教の有する権利?

2007年06月21日 | カトリックとは
アヴェ・マリア!

■ 誤った諸宗教の有する権利?

『信教の自由に関する宣言』 4
「なお宗教団体は、自分の信仰を言論および出版物をもって公に教え、また宣布することを妨げられない権利を持っている。」

【疑問点 12】
「信仰」という言葉は、カトリック信仰のみを指しているのか。それとも諸々の偽りの宗教が説く誤った信念をも同様に指しているのか。もしそうなら、第二バチカン公会議は、全ての誤った宗教に伝道の自由を認めているのか。もしそうであるとすれば、第二バチカン公会議は、かかる伝道活動が善であり、なおかつカトリック信者の信仰、カトリック教会がもつ全ての民を教え導く使命、ならびにカトリック諸国の宗教的一致を害するものではない、と主張しているのか。

【疑問点 13】
 第二バチカン公会議が諸々の誤った宗教に対して認めている伝道活動を行う権利は、教皇ピオ十二世の教えと両立し得るか。
「真理ならびに道徳法にもとる事柄は、客観的に見て、存在、宣布、活動を為すいかなる権利をも有しない。」(回勅『チ・リエーシェ』Documents 1953 p.616 / PIN 3041)
あるいはまた、回勅『リベルタス・プレスタンティッシムス』(Actus II p.197 / PIN 207)における教皇レオ十三世の教えと相容れるか。


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【推薦図書】
聖骸布の男 あなたはイエス・キリスト、ですか?
脳内汚染からの脱出

第二バチカン公会議についての疑問および問題点:真理の宗教? それとも偽りの宗教?

2007年06月21日 | カトリックとは
アヴェ・マリア!

■ 真理の宗教? それとも偽りの宗教?

1- 『信教の自由に関する宣言』 3
「実際、宗教の実践は、その性質上、第一に、人間が自分を神に関係づける任意で自由な内的行為にある。このような行為は、単なる人間的権力によって命じられたり、妨げられたりしてはならない。」

【疑問点 8】 「宗教の実践」という表現を通して第二バチカン公会議は、カトリック宗教の諸々の行為の外に、他の諸宗教の行為をも暗に指しているのか。もしそうであれば、第二バチカン公会議は、諸々の誤った宗教の「内的行為」によって「人間は自らを天主に関係づける」と教えているのか。もしそうなら、かかる主張は諸教皇による宗教無差別主義の排斥から免れ得るのか。


2-『信教の自由に関する宣言』 4
「さらに、宗教団体が、社会に秩序を立て、人間の全行動に活力を与えるために、その教義の特殊な力を自由に発揮することを妨げられないことも、信教の自由に属している。」

【疑問点 9】 これらの「宗教団体」の内に、カトリック教会の他にプロテスタント諸宗派、イスラム教の各派、仏教、統一協会をはじめとする種々のセクト 、フリーメーソン等々をも数えるべきなのか。もしそうなら、第二バチカン公会議は、これらの誤った宗教が説く教えの「顕著な効力」を認めているのか。つまり、人々の霊魂から恩寵を奪い(プロテスタント)、聖戦と不道徳とをいたる所に蒔き広げる(イスラム教)諸々の民を怠惰と無活動に陥らせ(仏教)、道を誤る者らを真の教会から遠ざける(種々のセクト)「特殊な力」を。


3-『信教の自由に関する宣言』 4
「したがって、このような団体は、正当な治安の要求が傷つけられない限り、・・・ 最高の神を公に礼拝する ・・・自由を享有する権利を持っている。」

【疑問点 10】 「最高の神を公に礼拝する」ことは、カトリック教の他に、プロテスタント教、ユダヤ教、イスラム教、さらには仏教、アニミズム、フリーメーソン等々の礼拝をも指すのか。もし、そうであるとすれば、第二バチカン公会議は、これらの礼拝がおよそ「真の天主に対する不適当な礼拝」もしくは「偽りの天主に対する礼拝」ではない、と主張するのか。言葉を換えて言えば、公会議は天主が偽りの信教、礼拝によって正当に崇敬され得ると教えているのか。


4-『信教の自由に関する宣言』 6
「人間の不可侵の権利を保護し、増進することは、本質的にすべての公権の義務である。したがって、公権は、正しい法律と他の適切な手段によって、効果的にすべての市民の信教の自由を保護し、宗教生活を助長するために有利な条件を作る必要がある。それは市民が真に信教の権利を行使し、その義務を果たし、また社会自体も、神とその意志とに対する人間の忠実さによってもたらされる正義と平和の恩恵を享受することができるようにするためである。」

【疑問点 11】
「宗教生活」ならびに「(宗教上の)義務」という言葉は、カトリック教の活動の他に、諸々の誤った宗教の活動をも同様に意味しているのか。もしそうなら、第二バチカン公会議は、(たとえ善意からであれ)自らの信奉する宗教が教える誤謬に固執する、誤った宗教の信者が「天主とその意志とに対して忠実」であると主張しているのか。


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聖ピオ十世会韓国のホームページ
トレント公会議(第19回公会議)決議文
第一バチカン公会議 (第20回公会議)決議文(抜粋)
聖ピオ五世教皇 大勅令『クォー・プリームム』(Quo Primum)
新しい「ミサ司式」の批判的研究 (オッタヴィアーニ枢機卿とバッチ枢機卿)Breve Exame Critico del Novus Ordo Missae
グレゴリオ聖歌に親しむ会

第二バチカン公会議についての疑問および問題点:対話、それとも説教?

2007年06月21日 | カトリックとは
アヴェ・マリア!

■ 対話、それとも説教?

『信教の自由に関する宣言』 3
「真理は人格の尊厳とその社会性とに固有の方法、すなわち、教導あるいは教育、交流および対話による自由な探求によって、求めなければならない。このような方法によって、真理探求の面で互いに協力するため、自らが発見したか、あるいは発見したと思うことを他の者に説明する。」

【問題点 3】 第二バチカン公会議は、これらの手段を列挙することを通して、真理の発見にあたって、「自由な探求」が教えを説く者の言葉に耳を傾けることよりも、人間の本性に適合した方法であると教えているのか。すなわち、教会による教え、両親から子供への信仰の伝達、一言で言えばカトリック教育よりも人間の本性に適った方法であると教えているのか。

【問題点 4】 交流ならびに対話、とりわけ「真理探究の面で互いに協力する」という表現を通して第二バチカン公会議は、たとえばイスラム教徒と対話するカトリックの宣教者が、当の交流を通して真理、すなわち宗教に関わる真理の探求において助力を受けると教えているのか。あるいはまた、当の宣教者は、かかる真理に到達するために、彼の話し相手と等しい道のりを経なければならない、と教えているのか。

【疑問点 7】 自由な探求並びに対話に関する第二バチカン公会議の教えは、宣教的使徒職を目しているのか。もしそうなら、当の教えは聖パウロの次の教えと相容れるのか。「それなら、彼らは、まだ信じなかったものを、どうして呼び求められよう、そしてまだ聞かなかったものを、どうして信じられよう、宣教する者がなければ、どうして聞けよう、遣わされなかったら、どうして宣教できよう。」(ローマ人への手紙 10章 14-15節)使徒たちが派遣されたのは、対話するためだったのか。それとも宣教するためだったのか。(マルコ 16章 15-16節参照)非カトリック者、あるいは異教徒を前にして、「対話しましょう。あなた方の宗教には救いに至らせる諸々の価値が見出されますから」と言うのは、「これ以外の名においては救いは与えられません」(使徒行録4章12節)というよりもより真実、かつより効果的なのか。


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ルフェーブル大司教著
『DUBIA 信教の自由に関する私の疑い』

第一章
■ 自由についての一般的考察 「自由」の3つの意味
■ 法とは何か? 法は自由にとって敵なのか?
■ 良心とは何か。行為の実効的規範とは客観的真実のみ。
■ 良心および強制に関する一般的考察:良心を侵すことになるか。法律上の強制についてどう考えるべきか
■ 基本的諸権利とは何か。その限界は?誤謬または道徳的悪に対する権利は存在するか
■ 誤謬または悪に対する消極的権利は存在するか?また、寛容に対する権利は?

第二章
■ 本来の意味での「信教の自由」:人間人格の尊厳は、真理を考慮に入れない自由には存しない。
■ 19世紀の教皇たちはこぞって、いわゆる「良心と諸信教の自由」を排斥した
■ 諸教皇は、何故「良心ならびに信教の自由」を排斥したのか、理由は?
■ 信教の自由とその新たな「根拠」:およびそれへの反駁
■ 真理探求の自由は宗教的自由の根拠となり得るか
■ 宗教無差別主義について確認しておくべき点
■ 信教の自由は人間人格の基本的権利なのか、歴代の教皇様は何と言っているか?
■ 聖書の歴史に見られる、宗教的事柄においての強制
■ 「宗教的事柄における一切の拘束からの免除」としての宗教的自由の是非
■ 「宗教的事柄における一切の拘束からの免除」としての宗教的自由の是非 (つづき)
■ 世俗の共通善、カトリック宗教とその他の諸宗教
■ 真の宗教に対して国家が取るべき奉仕の役割
■ 教会と国家との関係
■ 宗教的寛容
■ 宗教的寛容についての結論

第二バチカン公会議についての疑問および問題点:拘束を伴わない探求?

2007年06月21日 | カトリックとは
アヴェ・マリア!

■ 拘束を伴わない探求?

『信教の自由に関する宣言』 2
「しかし、人間は、心理的に自由であるとともに、外的強制を免れなければ、自らの本性にかなった方法で、この [宗教に関わる真理を探究し、これに恭順するという] 義務を果たすことはできない。」

【疑問点 5】 上述のくだりにおいて、第二バチカン公会議は、「いかなる類のものであれ、真理」の探求、恭順、実践において、あらゆる拘束から免除されることは人間の自然本性に適ったことであると教えているのか。すなわち、実際に今執行される暴力からだけでなく、物理的ないしは物質的、あるいは霊的な法的罰の脅威からことごとく免除されることが人間本性に適合した、自然なことであると教えているのか。もしそうなら、当の教えは理性ならびにレオ十三世が真の自由を確保するために課される法による拘束の恩恵について述べている教えに合致しているのか。
「人間の自由の状態がこのようなものだとすると、人間は自らの自由意志をもって行動するにあたって、しかるべく善を為し、悪を避けるために光と力添えとが当然、不可欠となります。そして、それなしには私たちの意志の自由は、私たちを破滅へと導くものとなるでしょう。 まず第1に、「法」 ――― すなわち、何を為すべきであり、何が為されるべきでないかを教える確固とした規範 ――― がなければなりません。・・・法とは人間の行為の指針であり、報いをもって人を善へと向かわせ、罰によって悪から遠ざからせるものだからです。」
(回勅『リベルタス・プレスタンティシムス』Actus II p.179-180/ PIN 179-180)
 さらに「人間社会の真の自由は・・・法の命令によって全ての人が永遠法の規定により容易にしたがうことができるということにあるのです。」
回勅『リベルタス・プレスタンティシムス』Actus II p.183/ PIN 185)

【疑問点 6】 第二バチカン公会議は、カトリックでない人々が宗教上の真理を見出し、かつこれに、しかるべき仕方で恭順するために、強制的に同意を得るべく行使される拘束だけでなく、宗教上の誤謬を正当に抑圧[抑制]かつ制限するために行使される拘束、これを被る者らに熟考を促し、彼らがいまだ知らずにいる真理を学ぶよう駆り立てる、という望ましい結果を生む拘束からも免除されなければならない、と教えているのか。もしそうなら、第二バチカン公会議は、まさにこの点に関する聖アウグスティノのきわめて明確な教えを否認するのか。また、この教理を実践に移したキリスト教諸侯を弾劾するのか。

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教皇グレゴリオ十六世 自由主義と宗教無差別主義について『ミラリ・ヴォス』1832年8月15日
教皇福者ピオ九世 現代社会の誤謬表『シラブス』 1864年12月8日
教皇福者ピオ九世 現代の誤謬の排斥『クヮンタ・クラ』 1864年12月8日
教皇レオ十三世 自由について『リベルタス・プレスタンティッシムム』1888年6月20日
教皇聖ピオ十世 近代主義の誤りについて『パッシェンディ』1907年9月8日
教皇聖ピオ十世 司祭叙階金祝にあたって、カトリック聖職者への教皇ピオ十世聖下の勧告『ヘレント・アニモ』1908年8月4日
教皇聖ピオ十世 シヨン運動に関する書簡『私の使徒的責務』1910年8月25日
教皇聖ピオ十世 近代主義に反対する誓い『サクロールム・アンティスティトゥム』1910年9月1日
教皇ピオ十一世 真実の宗教の一致について『モルタリウム・アニモス』1928年1月6日
教皇ピオ十一世 王たるキリストについて『クワス・プリマス』1925年12月11日
教皇ピオ十二世 福者ピオ十世の列福式に於けるピオ十二世の説教 1950年6月3日
教皇ピオ十二世 進化論及びその他の誤謬について『フマニ・ジネリス』1950年8月12日
教皇ピオ十二世 支那の国民に対し『アド・シナールム・ジェンテム』1954年10月7日
教皇ピオ十二世 日本国民に対するメッセージ 1952年4月13日

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】