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カトリックの教えによると、教会と国家との関係はいかにあるべきか

2007年06月09日 | カトリックとは
アヴェ・マリア!

兄弟姉妹の皆様、
 ルフェーブル大司教様の『DUBIA 信教の自由に関する私の疑い』のつづきを紹介します。

■ 教会と国家との関係

 共通善の奉仕と教会の奉仕とのため、宗教に関する国家の役割に関する教会の教えを見たあとで、今からこの二つの社会、つまり霊的社会である教会とこの世の社会である国家との関係体系はどのようなものを教会が正常のものであると考えているかを考察しなければなりません。

 さて教会と国家との関係についてカトリックの教えが、不可変のカトリック原理と共に存在します。不可変のカトリック原理についてはその適応と区別しなければなりません。何故なら、適応については、完全に或いはほとんどの国民がカトリックの国、カトリックと共に他の宗教も優勢な国、異教の国、無神論の国など、諸々の国々の具体的な宗教的状況によってそれぞれ別の適応がなされなければならないからです。

-霊的かつ超自然的善を司る教会、ならびに現世的共通善を司る国家は、互いから全く区別される二つの完全な社会です。両者は共に、自らに属する領域においては専一的な権限を有します(権力の区別)が、国家の教会に対する間接的な従属関係、およびかかる関係の含意する一切の事柄は保たれます。
(レオ十三世 回勅『インモルターレ・デイ』PIN 136 / 『リベルタス・プレスタンティッシムム』 PIN 200 / 『サピエンツィエ・クリスティアーネ』 PIN 283 参照)

-これらの二つの社会の区別は、両者の分離と同義ではありません。往々にして、両者は同一の臣民(キリスト信徒かつ市民)を持ち、同一の事柄(教育、婚姻など)を取り扱うからです。従って、教会と国家との一致、すなわち両者の「相互的和合」および「活動における賛同」は甚だ望ましいものです。

「しかしより重要なことは、その他のところで何度も繰り返して思い出させるようにしたことであるが、市民権力と聖なる権力とは同じ目的をもたず、また両者とも同じ道筋を歩くわけではないけれども、その役割を果たす際には時にして互いに接するようにしなければならない、ということである。実に、両権力は、たとえ違った観点からであるとしても、同じ市民たちにその権力を行使することは一度ならずある。この競合において葛藤があることは、愚かなことであり、天主の勧めの無限の智慧に広く反している。従って、必ずや争いと闘争の原因を消滅させ、実際上の和合を確立させる手段・過程がなければならない。この和合を、霊魂と肉体との間に存在する一致と比較したのは正しい理由がある。そしてこの和合は、両者の最高の善のためである。何故なら、肉体において霊魂と分離するのは特に災いであるからである。何故ならそれは肉体から命を奪うからである。」
(レオ十三世、回勅『リベルタス・プレスタンティッシムム』Actus II, p. 193. / PIN 200)

「従って、教会と国家というこの二つの勢力の間に、人間において霊魂と身体との間に存するものにも似た、秩序付けられた関係があるのでなければなりません。」
(レオ十三世、回勅『インモルターレ・デイ』Actus II, p.27 / PIN 137)

「自然法について、あなたたちの憲法が、アイルランドの全市民に秩序と平穏との守られる限りにおいて保証し、確証するところの、これら根本的人権は、秩序の転覆を謀る無神論者の勢力、ならびに全体の一致を破る派閥および暴力の精神に対する最も十全かつ確実な保証を、ただ教会と国家という二つの権威間の相互の信頼にのみ見いだすことができます。この両者は、自らに固有な領域においては自立を保つとしても、共通善のために互いに結ばれており、信仰ならびにカトリック教義の原則という基盤に立脚した信頼関係を育むよう召されています。」
(ピオ十二世、アイルランド首相への訓話、1957年10月4日 Documents 1957, p. 566. / 1271)

-「教会と国家との一致」は、カトリック教が国家の宗教として見なされるということを意味しています。教会はかかる体制を正常な状態と見なします。(しかるに、教会と国家との一致は、限定された状況において、賢明な寛容が、他の宗教に施されるということを妨げるものではありません。)

「敬愛すべき兄弟らよ、・・・あなたたちは1851年に私とイエズス・キリストにおける、いとも大切な妹、スペイン女王マリア・イサベラとの間で結ばれた協定のことをご存じです。同協定は、この王国において国家の法として批准され、荘厳に発布されました。あなたたちはまた、同協定においてカトリック教の保護のために定められた多くの事柄の他に、他の一切の宗教をさいおいて、スペイン国民の唯一の宗教であり続けるこの至聖なる宗教が、以前のごとく、天主の法と教会の法とに即して浴すべき全ての権利と特権とを伴いつつ、スペイン王国の全領土において保持されるということが万事に先んじて定められたこと、また全ての公立・私立学校における教育がカトリックの教理に完全に一致すべきことが定められたこともご存じです。」
(ピオ十一世、1855年7月26日付けの訓話 Receuil p.350)

 次の命題は、ピオ九世が排斥した命題です。
「我々の生きる時代においては、カトリック教が一切の宗教をさしおいて国家の唯一の宗教であると見なされることは、もはや有益ではない。」
(ピオ九世、『シラブス』第77排斥命題)

「使徒継承のローマ・カトリック教は、国家の宗教である。諸権力はこれを保護し、またこれが社会秩序の枢要的要素として尊重さるるよう取り計らわねばならない。カトリック教会が、官公のものたらず、また将来も決してそうならざること、またこれがその自立を保つべきことは、当然のこととして了解されている。」
「公教育は、カトリック教に準拠して組織され、指導されることとする。」
(上の2つの引用は、カトリック教が圧倒的多数を占めるコロンビア国憲法 第三8条および第41条より。「カトリック教会が、官公のものたらず、また将来も決してそうならざること」という漠然の表現は、説明を要します。1887年に締結され、翌1888年に批准された政教条約では、自らの合法的な指導者によって代表されるところの教会が、法人格として認められる、ということが意味されています。)

「実際、あなたたちの国(=アメリカ合衆国)では、国家の良好な憲法のためにいかなる法の束縛によっても縛られず、慣習法によって侵害行為から守られている教会は・・・何らの障害無しに存続し、行動する自由を確かな形で獲得したのでした。上記のことは全て正確な事実です。しかしながら、ここで一つの誤りに陥らないように注意しなければなりません。すなわち、教会にとっての最良の状態がアメリカにおいてそれが与っているところの状態である、或いはまた教会と国家との利害を分離・分断することが常に許され、かつ有益である、とする誤りです。・・・教会はもしもそれが法律上の優遇と公権の保護とを得るならば、はるかに多くの実りを生み出すでしょう。」
(レオ十三世、回勅『ロンジクァ・アチェアーニ』 Actus IV, p. 163-165)

「歴史家はたとえ教会と国家とが抗争の時期・時代を経たことがあったとしても、コンスタンチノ代邸から近現代に至るまで、往々にして非常に長期にわたる平穏な時代があったことを忘れてはなりません。かかる時期において教会と国家とは完全な相互理解のもとに、同一の人々の訓育に共同で携わったのでした。教会が自らがこの種の協働が正常な事態であり、また真の宗教における人民の一致統合、および教会と国家との行動における一致賛同が理想であると見なすことを隠しません。」
(ピオ十二世、第二回国際史学学会における訓話、1955年9月7日 Documents 1955, p. 293-294)

 ピオ十二世がこの後、次のように話を続けているのは事実です。

「しかし教会はまた、いくらか前から情勢がこれとは逆の方向、すなわち同一の国家共同体における信仰表明ならびに人生観の多様さという方向に流れていることも承知しています。かかる状態においては、カトリック信徒は、大小の差はあれ少数派をなすことになります。アメリカ合衆国において教会がまったく異種の環境においてめざましい発展を遂げ得るという事実の一例が見受けられる―――この種の例は他にもありますが―――ことは歴史上、興味深く、また驚異的でもあると言えましょう。」
(同上)

 しかし、この補足は、教会が「個別な状況」に伴った例外に比して、「正常」かつ「理想」の状態として見なすところに、何らの変化も及ぼしません。現実の状態 が本来あるべき状態 から、ますますかけ離れていこうとも、この本来あるべき状態というものはそのまま変わらず残り続けます。ピオ十二世教皇は単に、かつてキリストが権利上、また事実上統治していた国々の漸進的かつ全般的な世俗化という事実を指摘し、その上で逆説的ながら、キリストがまだ一度も、カトリックの定石的テーゼに即して統治したことのない国の幾つかにおいて、教会が著しく発展を遂げていることに触れています。これらの国々におけるカトリック教会の相対的な成功は―――当の「成功」は20年経った今ではおよそ儚いものに思われますが、それは殊にカトリックへの会衆の劇的な停止が認められる第二バチカン公会議後においてそうです―――カトリックのテーゼを弱めるものではおよそありません。これは旧カトリック教国が、「反教会」勢力、とりわけフリーメーソンと共産主義インターナショナル(コミンテルン)が、共に協力した不断の攻撃のために、宗教上での失墜に陥ってしまったことがカトリックのテーゼを弱めるものではないということと同様です。(『ルフェーブル大司教と検邪聖省』 Itinéraire 誌 第二33号 1979年5月 p. 54-55 参照)

カトリック国家において誤った宗教に対して施される寛容(黙認)についてはレオ十三世の回勅『リベルタス・プレスタンティッシムム』 PIN 220-221、ピオ十二世の回勅『チ・リエーシェ』 PIN 3040-3041 などを参照して下さい。これらの回勅については後に解説します。


-反対に教会は、教会と国家との分離ならびにカトリック教国におけるこれの実践を、常に変わらず排斥・弾劾してきました。事実、

―――教会と国家との分離は、キリストの、しみも汚れもない花嫁である真の宗教を、他の諸々の偽りの宗教と同じ平等な立場におきます。
―――当の分離は、教会を不当にも国家における全ての団体組織に共通の権利しか認めず、こうして決定的に教会の公的権利を侵害することになります。
―――この分離はまた、国家の側における宗教無差別主義―――これはおよそ無神論と等しいものです―――の公の表明に他なりません。しかるに、これはキリストを公に認めるという国家の義務に反した立場を取ることであり、特にカトリック教国における場合では国民の実情に反した立場を取ることになります。
―――最後に、教会と国家との分離は、家庭ならびに個人を宗教無差別主義および無神論へと確実に導きます。(ピオ九世、『シラブス』第79排斥命題参照)

「国家は、全ての宗教のうちで唯一の真の宗教がどれであるか探求し、その一つを他に優って選び、それを特に優遇するべきではなく、公的規律が損害を受けないならば、全ての宗教に法的平等を与えなければならない。・・・国家が現在、これらの原理の上に依っているがために、教会がどれほど不当にも低い地位を受けているかを見るのは容易である。実に、実践がそのような教えに従っているところでは、カトリックの宗教は国家において、全く関係のない諸団体と同等であるかあるいは劣等な立場に置かされている。その時国家はカトリック教会法典をまったく無視する。全ての国々を教えるようにと命令と使命を受けたカトリック教会は、公的な教導をすることを全く禁止されている。市民権力と混合の事柄については、国家元首が恣意的な命令を発し、これらの点において教会の聖なる法律を軽侮する傲慢を見せつけている。かくしてキリスト教信者たちの婚姻に関する裁治権から出て、婚姻の絆・その一性・その恒常性にういて立法し、聖職者の所有物に手を付け、教会に所有権を否定する。つまり、そのような国家は、カトリック教会を完全な社会が有する聖櫃も権利もあたかもないかのように、国家内に存在するその他の似通った単なる団体であるかのように取り扱う。また、カトリック教会が元来権利として持っているもの、正統な行動の権能なども、統治者の譲歩と行為によって従属させられている。」
(レオ十三世、回勅『インモルターレ・デイ』 PIN 143-144)


「あらゆる信教に与えられるこのような自由は・・・人間社会とその創始者である天主との間に、この上なく遺憾で厭うべき分離を生じさせます。この自由は最終的に、国家の宗教無差別主義、ないしはこれと同義である国家の無神論という悲しむべき結果へと至らせます。」
(レオ十三世、回勅『エ・ジュント』 PIN 235)

「教会とこの私に投げ掛けられた陵辱は、かくも重大苛烈なものだったので、私はもはやこれを暗黙に付しておくことができなくなりました。・・・敬愛すべき兄弟らよ、あなたたちはここで私の言うところが、非道を極めカトリック教の廃滅のために企んだかの法律、国家を教会から分離すべくフランスで発布されたばかりのかの法律であることを察されることでしょう。私が最近フランスの司教、聖職者ならびに国民一般に宛てて著した回勅(『ヴェエメンテル』)は、如何にこの法律が忌むべきものであり、天主と教会との権利に反したものであるかを示しています。・・・私はあなたたちの威厳ある会合において、この法律に関する私の判決を荘厳に下します。この法は、いと仁慈にして極みなく偉大なる天主の御稜威を傷つけ、また天主の定められた教会の綱領に反し、また私の、ならびに他の合法的な牧者の権威に敵対であり、教会の財を剥奪し、万民法に悖り、使徒座およびこの私、教皇に敵対し、フランスの司教、聖職者、カトリック信徒にとって極めて有害なものとして、私は当の法律を、地上におけるキリストの位置を占める私の思考の権能によって、排斥し、弾劾します。私はこの法律が教会の永劫不変の諸権利に対して決していかなる価値も有し得ないと言明し宣言します。」
(聖ピオ十世、1906年2月21日訓話、Actus II p. 155-159 / PIN 390-405)

結論
 諸国民の棄教というこの現代世界において一般的となりつつある事態があろうとも、そのことはこの点に関するカトリック教理の恒久不変の価値を抹消しません。すなわち、この教えに従えば、教会と国家の調和的一致こそ正常な状態であり、これはイエズス・キリストが現世的国家において統治しなければならないとするカトリックの教義から必然的に帰結することです。従って次のように問うことができます。

1- 教会と国家との分離を正常な状態とする第二バチカン公会議の宣言は、教導権の所為、真の教義的教えであるのか。

2- 教皇大使を通じて聖座が推し進めた政策は、果たしてカトリック的政策と見なしうるものか。事実、聖座は諸々のカトリック諸国の政府に圧力をかけ、憲法からカトリック教会を国民の宗教ないしは国家の宗教として認める条項を撤廃するように促した。

3- 歴史の流れの方向は、キリストがもはや統治せず、また教会が主を王座から追うことを余儀なくさせていると考えなければならないのか。


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教皇グレゴリオ16世 自由主義と宗教無差別主義について『ミラリ・ヴォス』1832年8月15日
教皇福者ピオ9世 現代社会の誤謬表『シラブス』 1864年12月8日
教皇福者ピオ9世 現代の誤謬の排斥『クヮンタ・クラ』 1864年12月8日
教皇レオ13世 自由について『リベルタス・プレスタンティッシムム』1888年6月20日
教皇聖ピオ10世 近代主義の誤りについて『パッシェンディ』1907年9月8日
教皇聖ピオ10世 司祭叙階金祝にあたって、カトリック聖職者への教皇ピオ十世聖下の勧告『ヘレント・アニモ』1908年8月4日
教皇聖ピオ10世 シヨン運動に関する書簡『私の使徒的責務』1910年8月25日
教皇聖ピオ10世 近代主義に反対する誓い『サクロールム・アンティスティトゥム』1910年9月1日
教皇ピオ11世 真実の宗教の一致について『モルタリウム・アニモス』1928年1月6日
教皇ピオ11世 王たるキリストについて『クワス・プリマス』1925年12月11日

今日の道徳的危機に直面するカトリック教会の立場: 現代の道徳の危機はどこに由来するのか?

2007年06月09日 | ルフェーブル大司教の言葉
アヴェ・マリア!

兄弟姉妹の皆様、
 ルフェーブル大司教様の言葉(1969年)を紹介します。

====引用開始====


 私は、今日の道徳的危機に直面するカトリック教会の立場ということについて話すように頼まれました。皆さんも私と同じくご存じのように、現今の道徳的危機は私の歴史に深く根を張っていると思います。私たちは、キリスト教世界を通して最初の道徳的危機が公のこと(何故なら、個人的道徳的危機は私たちが皆体験することだからです)になった時にまで遡らなければなりません。つまり、天主の権威の代わりに個人的良心をすげ替えて、道徳の根底を崩壊してしまった時のことです。それはプロテスタント主義の誕生の時であり、これが天主の権威・教会の権威の代わりに、人間の自由意志が(最高権威として)立てられた時です

 この世界に更に劇的にかつ悲劇的に道徳の危機が現れた二番目の機会は、私たちの主イエズス・キリストの聖名において、天主の聖名において、市民社会で私たちを統治し指導していた人々が、理性という神の名前において私たちを統治する人々にすげ替えられた(フランス革命の)時です。

 個人においても、市民社会においても、法の基礎および道徳的義務の基礎は天主です。それが個人の良心、人間に取って代えられたのです。これは、社会の終わりでした。

 私たちが今立っているところが、そこです。確かに反動はありました。天主に服従しない人々に私たちが降伏した時以来、私たちはこれらの人々の奴隷となりました。天主がその結果をご存じです! ・・・

 天主に反対するこの反乱、教会に反抗するこの反逆に直面したカトリック教会の態度はどのようだったでしょうか? 教皇様たち、司教様たち、大多数の聖職者達、ほとんどの信徒の人々はこの反乱に反対しました。 革命の後、多くの修道会が再び生まれました。天主から由来するとする権威の復興もありました。ある国々では、キリスト教的な王国が再建されました。しかし、十九世紀のあいだ、妥協をすることができると考えたカトリック信者ら、革命の原理を理解することができる、プロテスタント主義の原理を許容する幾らかのカトリックらが存在したことは認めなければなりません。これがカトリック・リベラリズム(自由主義)の歴史でした。おそらく彼らは善意でそれを考えていたのでしょう。しかし、カトリック教会は常に教会の原理を守り、このリベラリズムを排斥しました。これらのカトリック・リベラル派は、シヨン運動、近代主義、そして新近代主義を生み出したのです。彼らこそが、私たちの主イエズス・キリストを社会の基礎とし、私たちの道徳の基盤としようとする、教皇様や多くの司教様たちの努力、聖職者と忠実な信徒たちの努力を無駄にしたのです。

(ルフェーブル大司教 1969年の講演より)

====引用終了====


A Bishop Speaks, by Mgsr. Marcel Lefebvre. pp. 65-66




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■ 自由についての一般的考察 「自由」の3つの意味
■ 法とは何か? 法は自由にとって敵なのか?
■ 良心とは何か。行為の実効的規範とは客観的真実のみ。
■ 良心および強制に関する一般的考察:良心を侵すことになるか。法律上の強制についてどう考えるべきか
■ 基本的諸権利とは何か。その限界は?誤謬または道徳的悪に対する権利は存在するか
■ 誤謬または悪に対する消極的権利は存在するか?また、寛容に対する権利は?
■ 本来の意味での「信教の自由」:人間人格の尊厳は、真理を考慮に入れない自由には存しない。
■ 19世紀の教皇たちはこぞって、いわゆる「良心と諸信教の自由」を排斥した
■ 諸教皇は、何故「良心ならびに信教の自由」を排斥したのか、理由は?
■ 信教の自由とその新たな「根拠」:およびそれへの反駁
■ 真理探求の自由は宗教的自由の根拠となり得るか
■ 宗教無差別主義について確認しておくべき点
■ 信教の自由は人間人格の基本的権利なのか、歴代の教皇様は何と言っているか?
■ 聖書の歴史に見られる、宗教的事柄においての強制
■ 「宗教的事柄における一切の拘束からの免除」としての宗教的自由の是非
■ 「宗教的事柄における一切の拘束からの免除」としての宗教的自由の是非 (つづき)
■ 世俗の共通善、カトリック宗教とその他の諸宗教
■ 真の宗教に対して国家が取るべき奉仕の役割



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教宗額我略十六世 <<論自由主義>> (Mirari Vos) 通諭 懲斥自由主義謬論 1832年8月15日
教皇グレゴリオ16世 自由主義と宗教無差別主義について『ミラリ・ヴォス』1832年8月15日

教宗良十三世頒布《自由》(Libertas) 通諭 1888年6月20日
教皇レオ13世 自由について『リベルタス・プレスタンティッシムム』1888年6月20日

教宗庇護十一世通諭“Quas Primas”基督君王 1925年12月11日
教皇ピオ11世 王たるキリストについて『クワス・プリマス』1925年12月11日


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