tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

腰が痛い(2)

2007-07-16 18:11:31 | bad news

腰が痛い。突然思い当たる節もなく、腰が痛み始めることがある。今回の腰痛は、ひょっとしたら3日前の階段での事故に起因するのかもしれない。階段を降りていた私は、足を滑らせそうになって、踏みとどまった。普通の人なら、そのまま、足を滑らせて階段を落下し、踊り場に頭を打ち付けて脳挫傷を起こしたり、足を捻ってスネを複雑骨折したり、あるいは、ステップの角にお尻を打ちつけて、青あざを作ったりしていただろう。私の場合はたぐい稀なる運動神経のお陰で、階段で足を滑らせてもなんとか無理な体勢のまま、階段にふみとどまることができた。おまけにこの時は、書類の束を抱えていたのだが、この書類を一枚も散乱させることはなかった。さすがに仕事の鬼と言われているだけのことはあると思うのだが、まわりのだれもが口に出して言わない。ずいぶん謙虚な人たちだ。
なにしろ、今回の腰痛の原因として、この3日前の階段での事故しか思いつかない。この時に、腰をひねってしまったのだろうか?自分の机で痛む腰を伸ばしていると、向かいの席の同僚が<どうした?>と聞いて来る。階段での事故が原因かもしれないと告げると<おおかた、階段の上の女性の足を覗いてて足を滑らせたんでしょう>などと失礼なことを言う。私が覗いてたのは君の足なんだけど。
しかし、賢い私は、この事実を口が裂けても絶対に言わない。なぜなら、うっかり口に出そうものなら、彼女が手にしている30cmのプラスチックの定規で、しかもその角で頭を殴打されることが目に見えているからだ。たぶん、マウスはパソコンにつながっていることを学習したので、前みたいにマウスをむやみに投げつけてくることはしないと思うのだが。しかし、用心するに越した事はない。

(明日に続く)


腰が痛い

2007-07-15 18:22:42 | bad news

昨日、私のブログを読んでコーヒーを噴出してしまった方、モニター大丈夫でした?心から、お見舞い申し上げます。
こうしてみると、ネコの短絡的な行動はごく身近にいる誰かに似ているのだけど、日々の平和を守るため、その誰かはここには書かないでおこう。
大型で非常に強い台風4号は各地に大きな被害をもたらして、今日の午後、本州東の海上に抜けていった。関東は朝のうちから強い雨が時より降っていたが午後には天気は回復に向かった。明日は、台風一過の夏が戻ってくるかもしれない。

テニスの国体を目指して、練習に明け暮れていた時期があった。そのころは、雨の日が嬉しかった。今日はテニスの練習をしなくてもいいと。テニスは同じフォームで同じポイントで打つと、同じ場所にボールを返せる。この球筋は体で覚えるほかないのだが、練習を1日休んだだけでボールを捉える感触が狂い、修正に時間がかかる。この感覚の狂いが恐くて練習を休めないのだが、毎週末の練習で疲労が溜ってくるとコートに向かう足取りが重くなる。<雨が降らないかなあ>ひと頃は、雨がひどく待ちどおしかった時期があった。
もともと、体の硬い方なので、当時は必ずどこかを故障していた。故障している箇所をかばってフォームが崩れると、それがまた新たな故障を招いた。まさに故障のダブルスパイラルだった。故障の中で、最後にやったのが、腰骨の疲労骨折。ネットを挟んで低く決められたボレーに対応しようと、低い姿勢で足を伸ばした瞬間に腰に電流が走った。ぎっくり腰だろうとタカをくくっていたが、その夜、上半身がちぎれるかと言うほどの痛みに変わり、週末の2日間を寝たきりで過ごした。月曜日の朝にはなんとか立ち上げれるところまで回復。寝ている間にくしゃみをすると、それこそ激痛が全身を襲い、ただのケガではないと本能的に感じていた。
月曜日に会社を早退して医者に行ってレントゲンで見てもらうと、疲労骨折とのこと。当分はテニス禁止。コルセットを巻いて安静にとのことだった。入院の必要はないらしい。もらった外用薬が市販されているようなシップ薬。骨折と聞いて気が遠くなるほどのショックを感じていたのだが、もらった膏薬はあまりにも普通で頼りないものだった。
こうして、ぼくの腰痛との付き合いがはじまった。
(明日へ続く)


お見舞い申し上げます

2007-07-14 18:29:14 | bad news

このたびの台風4号により被害を受けられた皆さまに、心よりお見舞い申し上げます。 一日も早く復旧されますようお祈り申し上げます。

tetujinはテレビをほとんど見ないので、ついさっき、台風情報をネットで確かめて、各地に被害が出ていることを知りました。能天気にブログに小説なんぞを書いている場合ではなく、本日のブログの更新予定を取り止めて、お見舞いを申し上げます。なお、台風が日本を通り過ぎるまで、ブログの更新は控えさせていただきます。

また、今夜、不安で夜を迎える関西の方々、お気持ちを推察いたします。被害がないことを心からお祈り申し上げます。

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dot the i/ドット・ジ・アイ

2007-07-13 23:43:10 | cinema

バチュラパーティーとは、結婚前(通常1週間くらい前)に男同士で「結婚前の独身最後の夜遊び」を楽しむパーティのことを言う。アメリカでは、男の団体でストリップ鑑賞へ行くのがお決まりのコースだ。女性は「バチェロレットパーティー」と呼ばれ、パーティー会場になっている個人宅へ男性ストリッパーの宅配をして羽目を外すというのが一般的らしい。
このパーティは、英国でもフランスでも同様にあり、女性側のパーティは、そのやかましさからヘン・ナイト (hen night;雌鳥ナイト)と呼ばれる。特に結婚式の多い6月前後になると、金曜日の夜は決まって"女性が女装している"とでも言いたくなるようなすごい格好をして楽しむ。街行く人は、そんな服装のグループを見て、<結婚間近なんだ>と振り向く。
さて、そのヘン・ナイトでキスする羽目になった婚約中の女性が、偶然選んだそのキスの相手に恋をする。男も一目ぼれをしてしまう。そこから、ドラマは始まる。映画は2重構造になっていて、三角関係が思いもよらぬ展開を見せて驚くことになる。

この映画の中でカルメン(ナタリア・ヴェルベケ)が「A kiss is to dot the 'i'  in the word love(キスは愛という文字を完成させる最後の点(ドット)」というセリフがある。それに対してキット(ガエル・ガルシア・ベルナル)は「Loveにはiがない」と返す。
もともと、「Kissは'愛'という文字を完成させる最後の点である」と言うセリフは、フランスの作家「エドモン・ロスタン(Edmond Rostand)」によって1897年に発表された戯曲「シラノ・ド・ベルジェラック(Cyrano de Bergerac)」の中のセリフで、 "A kiss is a rosy dot over the 'i' of loving"から来ている。スペイン生まれの情熱的なカルメンに、英語でこのセリフを言わせているのがミソ。しかも、 "A kiss is to dot the '
i' in the word love. "と間違えて言わせているのがなんともおしゃれだ。
確かに、英語の”LOVE”にも同じ単語であるスペイン語、あるいは、ポルトガル語の”AMOR”にもそのスペルには'i'はない。ところが、ドイツ語の”LIEVE"、そして、日本語の”愛(AI)"には'i'があるからややこしい。・・・・・・と思うのはぼくだけか。
実は、この映画のタイトルが意味する「dot the i」は別にある。これは慣用句“dot the 'i's and cross the 't's”からの引用で、細かいところまで注意を払う、細部にまで十分気を配る、詳細に記す、明確に説明すること。つまり、'i' と't' は似ているから混同することのないように正確に'i'に点を打ち、't'には横線を引かなければならない。
タイトルであるこの言葉が、映画の重要なキーワードで、観客は細部にまで気を配った脚本に引き込まれていく。もう、大どんでん返しがたまらない快感に・・・・・・。
さて、ネタバレタイム。
”life is not a movie”って言葉が出てくる。これは、ザ・プロデューサー (Swimming with sharks, 1995/米)でケビン・スペーシーが言った言葉だ。
”This is the only way you can hope to survive because life is not a movie. Everyone lies, good guys lose, and love does not conquer all. So Let's do this Thing! Let's finish it."
"I'm sorry."
"Do it! C'mon do it Now!"
三角関係は、映画「卒業(1967)」のように教会で花嫁を奪い去ろうとするが、タッチの差で間に合わず・・・・・・。 
監督、脚本はこの作品が劇場長編デビュー作となるマシュー・パークヒル。短編映画では各国の映画祭で数々の受賞を果たしているというパークヒル監督だが、その才能は映画だけに留まらず、詩人、小説家としても認められ、大学教授までやっていたらしい。なかなかのおしゃれな映画だ。


ゆりかごを揺らす手

2007-07-12 19:57:54 | cinema

昨今は泣かせる映画や恐がらせる映画が大流行だが、この映画は最後に泣き笑いを誘う。サスペンス・スリラーにもかかわらず、恐がらせるだけのストーリーよりも高度な技だ。だから、たぶんこの映画を観る人やその心の状態などで、観たあとの印象が異なってくると思う。いくつかの伏線が引かれており、結末に向かって一つの線になっていく。エンドロールで赤ちゃんを守り最後に抱かせてもらえるシーン。エマが、「Come on, Solomon」と下の部屋へ誘うシーンは恐い映画にもかかわらず泣けた。
人を陥れることが非常に容易で、最小限のたくらみが最大の効果を上げていく。その過程が怖ろしかった。誰にでも簡単に出来る小細工が、幸福そのものの家庭を破壊していくのだ。あのような復讐にペートンを駆り立てたのは、自分から幸福を奪った憎しみだけでなく、満たされることのない母性愛が屈折してしまったことによる。彼女の復讐は計画的かつ陰湿だが、赤ん坊に母乳を与えているシーンや最後まで子供二人を攻撃することはないペートンなどを見ると、やりきれない思いが強い。良妻賢母になったであろう彼女を復讐の鬼に変えてしまった不条理な現実に暗澹たる気持ちにさせられてしまうのだ。

ゆりかごを揺らす手は世界を支配する。
アメリカの詩人、William Ross Wallace の詩のタイトルだ。映画の中で、この一節を口にするのは、マーリーン役のジュリアン・ムーアだが、あっさり殺されてしまう……。 実際の詩は、「すばらしき母性」を讃える言葉がえんえんと続いていく。

The Hand That Rocks The Cradle  Is The Hand That Rules The World

Blessings on the hand of women! Angels guard its strength and grace,
In the palace, cottage, hovel, Oh, no matter where the place;
Would that never storms assailed it, Rainbows ever gently curled;
For the hand that rocks the cradle Is the hand that rules the world.
Infancy's the tender fountain, Power may with beauty flow,
Mother's first to guide the streamlets, From them souls unresting grow--
Grow on for the good or evil, Sunshine streamed or evil hurled;
For the hand that rocks the cradle Is the hand that rules the world. 
Woman, how divine your mission Here upon our natal sod!
Keep, oh, keep the young heart open Always to the breath of God!
All true trophies of the ages Are from mother-love impearled;
For the hand that rocks the cradle Is the hand that rules the world.
Blessings on the hand of women! Fathers, sons, and daughters cry,
And the sacred song is mingled With the worship in the sky--
Mingles where no tempest darkens, Rainbows evermore are hurled;
For the hand that rocks the cradle Is the hand that rules the world. 

きれいな女性を見てボーっとしている夫の顔を見て、妻が、What's with you? という場面を思い出した。
「どうしたの?」にもいろんな言い方があるんだなあ。