彦四郎の中国生活

中国滞在記

「澳門(マカオ)返還20周年」―"イー・アール・サンー・スー"軍事訓練が終る―担当科目の前期末試験

2019-12-30 19:29:29 | 滞在記

 年の瀬も押し詰まってきた12月23日、24日と、担当している3回生の「日本概況(論)」と4回生の「日本文学作品選読」の学期末考査を行った。24日(火)、「日本文学作品選読」の試験のある日、大学構内の針葉樹林の林は赤く紅葉していた。冬の季節に入って3週間目にしてようやく ここだけ秋らしい紅葉の光景が。

 大学構内の大型電光映像パネルには、「澳門(マカオ) 返還20周年」を祝う映像が流れていた。1999年12月20日、この日に澳門は宗主国ポルトガルより中国に返還された。(香港は1997年にイギリスより返還) 12月20日には習近平主席も出席して、澳門で盛大な20周年式典が挙行され、中国全土でその様子が繰り返し繰り返し、テレビやインターネットで報道されていた。

 今年の6月から7カ月以上大規模な集会やデモが続き、中国政府がその対応に苦慮している香港と異なり、澳門は「一国二制度」のもと、中国中央政府との関係は良好に推移してきた。「中国政府にとっての優等生」だ。どれだけ澳門に暮らす人が、65歳以上の人の医療費無料化など、福祉的にも恵まれているかなどをテレビでは大きく報道していた。

 大学構内の映像パネルには、「蓮成一家 成長於相同的土壌」「蓮成一家 建設美好繁華」「蓮成一家 心中信念一様」「同心同徳 同向同行」「希望教育他们能句多愛国愛澳」「我们 "一国両制度"的初心」の文字がテレップされる。澳門と香港は湾を隔てて隣り合っていて、1年前に湾の海上に ものすごく長大な橋が建設され両地区はつながった。しかし、今回の香港の人々の集会・デモによる自由と民主主義を求める動きによる影響は澳門では大きくはみられない。宗主国だったイギリスとポルトガルの、返還時の「民主主義や自由を制度として残す」ことへの両国の熱心さの違いがあったとも言われている。また、澳門は世界的な「カジノ産業」地域であり、住民の30%以上がこの産業関係に従事しているとも言われている。

 まあいずれにしても、この澳門返還20周年を大々的に中国国内や香港で宣伝することによって、「中国政府の統治下の一国二制度により、澳門の人々はその制度に満足し 恵まれた生活をしているのに、香港の人々の抗議行動などは なぜそんなことをするのか理解ができないことだ」という大規模な中国政府の宣伝でもある。

 2日間にわたって、午前10時30分開始の「日本概論」や「日本文学作品選読」(それぞれ100分間の試験時間)の試験を行い、採点を午後に研究室で3日間にわたって行った。研究室から2週間目に入った1回生たちの「軍事訓練」の掛け声が、大きく聞こえてきていた。日暮れの5時頃まで毎日続く。

 最初の頃に比べると、学生たちの動きもきびきびした凛々しいものに変化していくていた。2週間目に入り武闘訓練も始まっていた。

 行進も動きがそろい始め、手の動きも足の動きもきれいにそろい始めている。「イー・アール・サンー・スー(1・2・3・4)、イーアルサンスー」の掛け声も大きくそろって声を出している。この軍事訓練は2週間を経て、27日(金)の夕方にようやく終了した。

 25日の夕方、日がとっぷりと暮れて、記述問題が70%を占める2教科の採点をようやくほぼ終えて、大学正門に6時頃に行くと、色とりどりイルミネーションが木々に飾られていて、とても美しい。そういえば、この日はクリスマスの日か。

  大学のホテル「福建閩院酒店」や針葉樹林の林もライトアップされている。この日、「日本沖縄県立芸術大学教授 森達野氏" 宋・元時代の陶器"」の講演がおこなわれたという看板が小さく立てられていた。

 私が前期に担当していた2回生の「総合日語(文法・会話)」の会話試験は、今日12月30日、3時間半あまりをかけて、一人一人との会話試験を行った。この9月からの4カ月間で、ほとんど会話が難しかった学生達もかなり会話ができるようになっていることを実感した期末試験だった。

 

 

 

 

 

 

 

 


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