彦四郎の中国生活

中国滞在記

紀伊山地・熊野を巡る❹―朝霧が立ち込める丸山の棚田②―"日本のマチュピチュ?!丸山千枚田"なぜ?

2020-08-26 13:46:08 | 滞在記

 朝霧にすっぽりと包まれ続ける赤木城跡を後にして、丸山千枚田に向かう。15分ほどで到着。棚田の多くも朝霧に包まれていた。時刻は午前6時半頃。

 棚田のところどころに案山子(かかし)が立てられている。フラダンス姿の女性の案山子。

 新型コロナ・疫病退散を願うアマビエの案山子も。蓮畑に花がまだ咲き残っていた。大岩近くの案山子。スイカの帽子をかぶった男性の案山子も。ゆっくりと丸山千枚田を見て廻る。

 最も低い場所にある棚田の稲。棚田を見あげる。最も高い場所の棚田まで高低差は何メートルあり、棚田の段数は何段くらいあるのだろうか。山の斜面に点在する丸山集落の家にも石垣が美しく積まれている。30分ほど棚田にいて、午前7時頃にこの棚田を離れた。

 夕日が落ちるようすの丸山千枚田の景色がパンフレットに。幻想的なくらいに美しい景色なのかと思う。稲刈りが始まるとつくられる、刈り取った稲を干す枷場(はさば)。

 春・夏・秋・冬とそれぞれに美しい棚田群。NHKBSプレミアムの番組「こころ旅」の取材班がここに来たようだ。自転車での旅人・火野正平さんが「山深いね、住んで 田んぼつくって、すごいな人間て‥‥」とのコメント。

 旅館の部屋にあったパンフレットに、「日本のマチュピチェ?!丸山千枚田」という記事がファイルされていた。ここ丸山千枚田は日本のマチュピチェともよばれることもあるようだ。なぜだろう? そのことが、霧に包まれた早朝の棚田をゆっくりと訪れて、少し分かってきたようにも思えた。

 丸山千枚田は現在1340枚の棚田があるようだが、昭和24年(1949年)には2300枚の棚田があったようだ。その当時の白黒写真を見ると、より壮大な棚田であることがわかる。

 紀伊山地・熊野への小さな旅から京都の自宅に戻ってペルーにある世界遺産「マチュピチェ」のことを調べたら、「なぜ、ここ丸山千枚田が日本のマチュピチュと呼ばれたりもするのか」ということが分かってきた。マチュピチェは、住宅や神殿や広場がある「居住地区」と、さまざまな野菜や穀物を育てる山の斜面の「段々畑地区」の二つのエリアがある。3mごとの高低差がある段々畑は40段に及び、最も低い場所の畑から最も高い畑までの高低差は約120m。

 一方の丸山千枚田の棚田の段々は約100段もある。一段一段の高低差は約1mで、最も低い場所と最も高い場所の棚田との高低差は約100m。日本で最大規模の棚田である丸山千枚田の棚田の段々の様子が、マチュピチュの「段々畑地区」に似てもいるからかと思われる。そして、日本にはもう一箇所「日本のマチュピチュ」と呼ばれるところがある。「天空の城、竹田城跡」である。この石垣城址はマチュピチェの「居住地区」をイメージできるからだろう。

 そして、ここ丸山千枚田も竹田城も、マチュピチェも霧や雲海に包まれるという共通点もあるからだろうか。