彦四郎の中国生活

中国滞在記

世界の棚田―中国・日本・フィリピン・インドネシア・ベトナム―世界十大最美中国福建省联合梯田を見る

2020-08-29 15:02:20 | 滞在記

 日本のマチュピチュとも称される三重県の丸山千枚田をはじめ、「稲穂の国・日本」には棚田が全国各地にたくさんある。世界的には東アジアや東南アジアなどの国々にも棚田は多い。中国やフィリピン、ベトナムやタイなどの国々の棚田である。

 それらの国々の棚田にはあまりない棚田光景が日本にはある。一つは海に迫る棚田である。日本は周囲を海に囲まれている島国なので、北九州地方の玄界灘の海や能登の輪島の日本海に沈む夕日と棚田の光景は幻想的に美しい。もう一つは、北アルプスの雪山と麓に広がる白馬村の棚田の光景など。積雪量が世界でも最も多い日本ならではの光景だ。

 日本の棚田で美しいと言われるベスト10には、①星峠(新潟県十日町市)、②白米千枚田(石川県輪島市)、③姨捨(長野県千曲市)、④丸山千枚田(三重県津市)、⑤大山千枚田(千葉県鴨川市)、⑥土谷(どや)(長崎県松浦市)、⑦金山(岩手県一関市)、⑧蕨野(わらびの)(佐賀県唐津市)、⑨椹平(くぬぎだいら)(山形県朝日町)、⑩蘭島(あらぎじま)(和歌山県有田川市)などがあげられる。

 日本の棚田で最も棚田の枚数が多いのは「姨捨(おばすて)棚田」。長野県千曲市の千曲川西岸にある。真田家の上田城のある上田市の近くである。棚田数は約1800枚。なだらかな山腹斜面400m~550mの傾斜地に棚田がつくられている。棚田の総面積は25ha。丸山千枚田7haの3倍以上もある。水が張られた棚田に月が映る光景が美しく、「月の名所」としても古くから知られ、歌川広重の浮世絵にも描かれた。

 アジアには「世界遺産」に認定された棚田群が三箇所ある。まず一つ目は、1995年に世界遺産登録されたフィリピンの「コルディレラ」(スペイン語で山脈の意味)棚田群。「バナウェイ」棚田群とも呼ばれるライス・テラシス。フィリピン最大の島・ルソン島北部の山岳高地帯にある。先住民族のイフガオ族がつくった棚田群で、すべての棚田を平にのばすと地球半周分となる。棚田総面積はなんと2万ha。

 フィリピン有数の避暑地である高原都市・バギオは、3月~5月の最も暑い季節には大統領府などの政府機関が移動する地としても知られている。バナウェイ棚田群はこの町からほど近い。山の頂上までつくられている棚田は「天国への階段」とも称される。キリスト教徒の多いフィリピンならではの呼称。

 二つ目は世界最大の棚田群である中国の「紅河(こうが)ハニ棚田群」。この中に何箇所かの棚田群がある。総面積は約25万haと超広大だ。この棚田群の一つである「元陽(げんよう)棚田」は12万haもあり、棚田の枚数は数万枚。中国雲南省の省都・昆明から南へ330kmのところにあり、ベトナムとの国境が近い。2013年に世界遺産に認定された。標高が1400m~1800mの山々の傾斜地にあり、最も傾斜の大きい地区の棚田は75度。

 他民族に追われ奥深いこの地に逃れたハニ族などの少数民族がここにたどり着き、紀元前から気の遠くなるような労力で山肌を耕し築いていった棚田群だ。本格的に棚田がつくられはじめた700年代から1300年以上の歴史をもつ。

 麓から5000段にも達する地区の棚田もあり、「雲の梯子(はしご)」ともその光景が称されたりもする。また、色とりどりの棚田の光景は「大地のパレット」とも呼ばれる。

 水稲耕作は水の確保と収穫時の水はけを両立しないといけないため、歴史的に最初の水稲栽培は棚田方式から発生したと考えられている。これは縄文時代末期から弥生時代初期にかけて、大陸から稲作栽培が伝えられた日本の場合も同じように考えられている。

 三つ目はインドネシアのバリ島にある「シャティルウイ」棚田。(※上記写真の左3枚)  バナナの樹木が生茂る森が印象的な棚田群だ。棚田群の村々のバリ島の文化とともに2012年に世界遺産に認定された。

 世界遺産には認定されていないが、ベトナムの「サパ」棚田群(※上記写真の右3枚)。渓谷の川から山頂までの斜面につくられた傾斜のきつい棚田のようすは、ペルーの世界遺産・マチュピチュの段々畑(農業区)を彷彿させる光景だ。

 中国南部には大規模な棚田群が多く存在する。雲南省の他に、貴州省も棚田群が多い。また、広西チワン族自治区の桂林に近い「龍勝」(「龍背」)棚田群も、1000m~3000mの山の傾斜地につくられた棚田群。桂林観光とともに一度行ってみたい棚田群だ。桂林の北西90kmのところに位置する。

 森林と山々が多い中国福建省にも棚田群がある。福建省で最も大規模であり美しいとされる棚田群に2015年の4月に行った。大学の学生の故郷・福建省三明市尤渓(ヨーシー)にある「联合梯田」(リエンホーテーティエン)学生の実家から車で1時間ほどのところにあった。中国語では棚田のことを梯田と言う。联合とは日本語では連合のこと。

 そこに到着して、棚田群の大きな看板説明には「全球十大最美梯田」(世界で最も美しい十大棚田)の一つの場所のようだ。この日は、「屏東中学初二 8班」と赤い横断幕をもった中学2年生たちが棚田見学にバスで来ていた。

 ちょうど季節は棚田に水を張り始めた時期だった。日本の棚田や水田と比べると、田の畔(あぜ)のつくりが細く、畦そのものが雑なつくりの印象だった。棚田を車で廻っていると、車の横を村人が3人乗りでバイクに乗って走ってきた。40代くらいの男性と70代くらいのおばあさんと10代の娘さんの3人。おばあさんが落ちないように間に挟む。棚田の村の子供を写真に撮る。弟と姉のようだ。笑顔がとても可愛らしい。

 季節ごとのここの棚田群の写真を見る。霧や雲海に包まれた棚田の光景。棚田の周りの山々には竹の森がたくさん見られた。 

 苗が植えられた棚田の光景やパレットのような棚田の光景などなど、たしかに美しい棚田だった。

 私の故郷の福井県南越前町に隣接する越前町に、「日本の棚田100選」に選ばれている棚田がある。梨子ケ平(なしこがだいら)の棚田だ。私の家から車で30分ほどの越前海岸の断崖の山々につくられた棚田。棚田の下には呼鳥門(こちょうもん)と呼ばれる断崖が海水の浸食で大きく開けられた門のようなところや、近くに越前岬灯台がある。

 今はこの棚田の多くは稲作が行われてはいなくて、一面の水仙畑となっている。12月中旬頃から2月上旬ころまでの季節に このあたり一帯は越前水仙が咲き誇る。日本三大水仙郷の一つだが、ここの水仙郷が全国で最も規模が広い。(他の2箇所は淡路島と静岡県伊豆)

 私の家(実家)も米をつくっていた。私は昭和27年(1952年)生まれだが、私が小学3年生の頃に田んぼを購入した。家から歩いて1時間ほどかかる山間地の小さな谷川に沿ってその水田はあった。棚田のような山の傾斜地の水田もあったが、枚数は全部で6〜7枚。谷川に沿ってつくられたこのような水田を谷地田(やちだ)という。(上記写真の左下あたり) 米は25俵あまりが収穫されたが、その半分以上は家で消費した。

 父や祖父の仕事は4月~10月上旬までは漁業、秋祭りを終えての10月中旬から3月下旬までは酒造りの杜氏(酒倉の責任者)。まあ、半農半漁と出稼ぎ(神戸御影の剣菱酒造)の家だった。よく、1時間あまり歩いて自分の家の田んぼの手伝いに行ったことを覚えている。小学5年の頃に我が家は車を初めて購入した。農業にも漁業にも使える軽トラだ。父はこの車で神戸の剣菱酒造まで行くこともあった。田んぼに行くのが楽になった。特に収穫時期の9月下旬は、田んぼに行く途中や田んぼの周囲でアケビを採って食べるのがとても楽しみだった。

 車が通れる道からさらに10分ほどの山道を登り下りして行くと谷川沿いの田んぼに着く。5年生のころのある日、その道すがら、真黒な蛇に遭遇した。なんとその黒い蛇が4〜5mも跳んだ。カラスヘビと呼ばれるヘビだった。恐怖に襲われた経験の一つだった。最近、そのカラスヘビのことを調べてみたら、これはシマヘビの黒色体というものらしいことがわかった。たまにシマヘビがほぼ全身、黒く変色することがあるらしい。

 今はこの我が家の谷地田は米は作られていない耕作放棄地となり、鹿やイノシシがたくさん生息している山間地となっている。昨年、久しぶりにここに行ってみた。亡き祖父母や父や弟の顔が浮かぶ。