準決勝を経て3位決定戦、そして決勝戦へと。2018年6月14日に開幕した世界最高のスポーツイベント、サッカーWカップ・ロシア大会は、7月15日の決勝戦をもって閉幕した。日本がアジアで唯一、決勝トーナメントに出場を果たし、日本国内もサッカー熱に覆われた1カ月間だった。
中国時間で7月10日の深夜から11日の早朝にかけて行われた準決勝。イングランドVSクロアチアは、1―2でクロアチアが勝利をした。クロアチアの頑張りは感動的だった。チームの心臓でもあるモドリッチは、ミスで奪われたボールを鬼の形相で追った。決勝点は少しのチャンスをものにしてゴール。「我々のような小さな国にとって、この勝利がどれだけ重要か」と言った選手たちの言葉には、どの国の代表よりも、「国の人々に捧げた1勝」への想いがこめられていたような気がした。
ベルギーVSフランスは、0―1でフランスが勝利した。猛烈に追いすがるベルギーに対して、フランスの「神童」とも呼ばれたエムバペは、相手に渡すべきボールを渡さず時間稼ぎのためにボールをもって逃げる様子は見苦しく、「神童に対して一転、嫌いになる人続出!」という記事が翌日の日本のニュースでも報道されていた。私もこのシーンを見ていたが、「卑怯で見苦しく品性がない行為」だった。
14日の3位決定戦、イングランドVSベルギーは、0―2でベルギーの勝利。「赤い悪魔」と呼ばれたベルギーは本当に強いチームだった。
15日の決勝戦は、フランスVSクロアチア。フランスの司令塔の選手は、往年のフランス人男優「アランドロン」を彷彿させる青い瞳の選手だった。クロアチアの司令塔の選手は、「東欧人(南スラブ民族)」特有の目と鼻をもった選手だった。
2―4というスコア―でフランスが勝利し優勝をした。表彰式にフランスのマクロン大統領とともに登場したクロアチアの大統領は美人の女性であった。大会MVPにはクロアチアの司令塔・モドリッチ、若手に与えられる賞はフランスの神童が選ばれた。フランスの強さとは何だろう、クロアチアの強さとは何だろう‥と考えてみた。
―「フランスの強さの秘密、そしてクロアチアの強さの秘密とは‥‥何だろう?」
①「フランス」という国のサッカー代表―この決勝戦を見ていて、先発メンバー11人のうち、5人はアフリカ系にルーツをもつ移民の家系の選手だった。数年前より「移民問題」に揺れるヨーロッパだが、ヨーロッパの中でも最も移民受け入れ政策を積極的に行っていた国の一つがこのフランスだった。「民族の融合と自由」を掲げるフランスは、サッカーの長年の歴史的伝統とともに、アフリカ系選手の身体能力の高さをもつ「歴史・技術・組織力・身体能力・老練な戦略」を併せ持つフランス代表を作り上げた。そして優勝へと至ったように思われる。この優勝は、ある意味、「フランスの移民政策」の成果と言えないこともない。
②「クロアチア」という国のサッカー代表
クロアチアはイタリアと地中海のアドリア海を東にはさんだ、東南ヨーロッパの小国だ。人口は440万人で面積は北海道の2/3ほど。かってはユーゴスラビアという南スラブ民族の国があったが、1992年から1955年にかけての「ボスニア・ヘルツゴビナ紛争―ユーゴスラビア紛争」という民族間の相争う争いのために、現在は6つの国々(クロアチア、ボスニア・ヘルツゴビナ・ユーゴスラビア、アルバニア、マケドニア、スロベニア)に分離独立をしている国々の一つだ。
ユーゴスラビア時代の1990年、イタリア大会(Wカップ)では、オシム監督が代表監督となり、ストイコビッチなどの選手が活躍し、準々決勝まで進んだ。次回の1994年大会では優勝も目されるほどのチームだった。しかし、この大会直後から国内の民族間紛争が激化し始め、1992年欧州選手権ではFIFAから締め出され、国際舞台から消えてしまった。その後、それぞれ独立をはたした国々は、クロアチアの他にセルビア、スロベニア、ボスニア・ヘルツゴビナがW杯に出場している。ユーゴスラビアは、かっては「東欧のブラジル」と呼ばれるほどのサッカーの伝統的強国でもあった。
冬のオリンピックのフィギア―で有名な旧東ドイツのカタリーナ・ビット。彼女は1994年のサラエボ冬季オリンピックと1988年のカルガリー冬季オリンピックで優勝。1994年のリレハンメル冬季オリンピックの時は、いまだユーゴスラビア紛争が戦火の真っただ中だった。彼女がこの大会のフリー演技で「花はどこにいった」の曲に合わせて、自分がかって優勝したこともあるユーゴスラビアの都市「サラエボ」に思いをはせ、演技を行ったことがまだ記憶に残っている。
「東欧のブラジル」とかっては呼ばれていたサッカーの伝統に加え、「祖国への篤い想い」がどの国の代表よりも強くもっていたクロアチア。これがこの大会で強さとして現れたのではないかと私は思った。
クロアチアには有名な世界遺産が2つある。一つは歴史的要塞都市の「ドゥブロヴニク」だ。アドリア海沿岸の城塞都市で、「アドリア海の真珠」とも呼ばれている。スタジオ・ジブリの映画作品『魔女の宅急便』や『紅の豚』などの作品のモデルともなったと言われる街。オレンジ色の瓦屋根の街だ。もう一つは、「プリトヴイツエ湖群国立公園」。連続する小さな湖から滝が流れ落ちる光景は、中国の有名な世界遺産とよく似ている。
7月10日、中国のアパート近くの便利店で雑誌『VISTA看天下』を買った。中国足球(中国サッカー)の特集号だった。記事を読むと日本のサッカーについても書かれていた。日本の小さな子供がサッカーをする写真も掲載されていた。果たして今後、中国はどんなサッカー文化を造っていくのだろうか‥‥。