彦四郎の中国生活

中国滞在記

湖西―北陸路―越前海岸を行く❷人道の歴史と「敦賀港」:杉原千畝の「命のビザ」とユダヤ難民

2018-07-25 07:10:58 | 滞在記

 国道8号線を越前海岸沿いに敦賀に向かうと、海に突き出た「金ケ崎」のこんもりとした崎が見えてきた。敦賀新港に着くとそこは「日本海フェリー(敦賀―北海道)の埠頭や大きなセメント工場などがある。さらに金ケ崎の下に造られた「金ケ崎トンネル」をくぐると、「敦賀本港」に至る。中世の鎌倉時代末期から戦国時代の末期まで、この敦賀港から見える「金ケ崎城」、そして山続きの「手筒山城」は戦乱の歴史をもった山城でもあった。

 ここ敦賀は、京都府の舞鶴と並び、「日本海防衛」の基地でもある。海上保安庁所属の「えちぜん」や「ほたか」などの巡視船の艦艇が何隻も停泊していた。

 日本三大松原である「気比の松原」が港のすぐ近くまでせまる「敦賀港」と敦賀の街、敦賀半島の立石岬ちかくにある「水島」は、「日本海のハワイ」とも言われる紺碧の海が広がり、敦賀半島には美しい海岸線が広がっている。この半島にはカモシカも生息している。敦賀港の一角には赤レンガの建物群が残っていて、今は喫茶店やレストランとして利用されているようだった。旧・敦賀駅港の駅舎の建物があり、そこは「敦賀港駅鉄道資料館」として、敦賀港の歴史が詳しく説明されていた。(無料)

  1902年から1941年にかけて、敦賀はヨーロッパとの交通の拠点の港だった。この当時、客船を利用してヨーロッパのパリやロンドンやベルリンに行くと1カ月あまりを要した。夏目漱石も森鴎外などの明治期の人達は1カ月以上をかけてヨーロッパに到着していた。しかし、東京―敦賀―ウラジオストク(ロシア)―モスクワ(ロシア)―ヨーロッパ各地の航路・鉄道を利用すると2週間あまりだった。与謝野晶子などもこの2週間路線を利用している。

 東京―敦賀港駅間は、特急列車(直行便)も運用されていた。1910年には駐日ロシア領事館が敦賀に置かれた。この東京とヨーロッパを結ぶ「欧亜国際連絡列車」が運行され、名実ともに「東洋の波止場」として敦賀は繁栄していた。「夢はヨーロッパへ」「日本海中心時代来る」の時代でもあった。1920年から22年には、「ロシア革命」などの影響のためシベリアで孤児となった多くの孤児たち(763人)が日本赤十字の援助のもと、ここ敦賀に上陸をした。

  「人道の港―敦賀ムゼウム」という建物があった。ムゼウムとはポーランド語で「資料館・博物館」という意味だ。「命のバトン―杉原千畝の"命のビザ"を繋いだ人々」「手に入れた自由と平和」「覚悟の決断」「苦慮、煩悶の揚句、私はついに人道・博愛第一という結論を得た」などの言葉が写真などとともに展示されていた。杉原千畝の「命のビザ」を手に、ナチスの迫害を逃れたユダヤ人難民約6000人が、1940年から41年に敦賀港に上陸したのも、この港だった。

◆①ナチスドイツの侵攻により当時のドイツに併合されたポーランドなどの国々では、そこにいたユダヤ系の人々は捕えられ強制収容所に送られ多くが殺害されていた。ナチスの魔の手を逃れるために、ユダヤの人々は小国リトアニアなどに逃れた。しかし、そこにもナチスの手は伸びてきた。当時のロシアのスターリンなども、ユダヤ系の人々に対してはナチスと同じような扱いをし、多くはシベリア送りの強制労働に駆り出していた。このため、このリトアニアに逃れていたユダヤの人々は、シベリア横断鉄道に乗り、東アジアのウラジオストクまで行き日本に渡り、日本からアメリカなどの国に亡命をする方法しか残されていなかった。

◆②1940年7月18日、ユダヤ人難民たちはリトアニアの日本領事館に日本通過ビザを求めて押し寄せた。しかし、日本に電報で問い合わせた杉原に、当時の日本外務省はビザ発給を許可しなかった。杉原は何日も悩み苦しんだ末に、日本の外務省の方針に背いてビザ発給を決断した。ソビエト政府にも、通行の許可を約束させた。ビザを手に入れたユダヤ人難民は、シベリア鉄道の道中でも所持品の強奪や強制連行という憂き目にあった人も多くあった。そうした過酷な運命に翻弄されながらも、約6000人ものユダヤ人難民が日本の敦賀にたどり着くことができた。まさに「命のビザ」であった。そして、日本からアメリカなどに亡命して行った。

◆③1945年、日本は敗戦。杉原は当時の外務省の方針に背いたことから、外交官の職や外務省を「罷免」されることととなる。2年間もの間、ヨーロッパやロシアなどの「収容所」に家族とともに隔離され、ようやく日本に帰国した。その後、得意のロシア語などを使って貿易関連の仕事などに従事し、1886年に亡くなった。(イスラエル政府から「諸国民の中の正義の人賞」が贈られた。また、日本政府も杉原に対しての「名誉回復」措置を発表している。)

  この「敦賀ムゼウム」はJTBが運営をしており、年末年始以外は年中無給、無料である。『杉原千畝物語』を買って読んだ。杉原の妻と長男の共著だが、とても優れた「児童向け」の著書だった。この日、どこかの小学生たちの団体が見学に来ていた。