彦四郎の中国生活

中国滞在記

湖西(西近江路)―北陸路―越前海岸を行く❷―故郷・河野村の海岸(越前海岸)や川

2018-07-24 06:45:49 | 滞在記

  7月20日(金)、午後6時頃に、国道8号線の「道の駅・河野」に到着した。ここからは敦賀湾が一望できる。夕日があと1時間くらいで落ちてくるだろうか。(写真左より、①敦賀市方面を見る②敦賀半島方面を見る③夕日の方面は鳥取・島根、そして韓国や北朝鮮がある④越前岬方面を見る―この方角にロシアのウラジオストクがある)

 故郷の河野村(現:福井県南越前町河野地区)に初めてコンビニエンスストアーができていた。ファミリーマートだが、このファミマはとても建物が大きかった。普通のファミマの3倍くらいある。駐車場もただっ広い。中に入ってみると、野菜や肉などのスーパー的な商品も置かれていた。スーパー兼コンビニという感じだった。

 21日(土)の早朝5時半ころ港に行ってみた。河野地区には3つの漁港がある。糠漁港と甲楽城漁港と河野漁港だ。私が生まれ育ったのは「糠漁港」がある漁村の集落。戸数は230軒くらい。今朝の「定置網」の水揚げが始まっていた。漁港に干されていた梅干しがきれいだった。

 河野小学校と河野中学校が同じ敷地に建てられている。日本海を真正面に見ることができる高台にある学校。二宮金次郎像や北前船のレリーフ。「頑張れ!河野パイレーツ―第23回高野山旗全国学童軟式野球大会 7/27〜7/31」と書かれた横断幕が学校の入口に掲げられていた。選手の名前や背番号が書かれた幟(のぼり)も並べられていた。これは、新しくできたコンビニにも ずらっと立てられていた。この大会は小学生の甲子園みたいなものなのだろうか?

  午前9時すぎに実家の家を出て、一路京都方面に向かうことに。新しくできたコンビニの近くに、「北前船の館群」がある。北海道や東北、北陸、関西を結ぶ海運「北前船」。明治期が終わるころまで、日本海海運の主役であった。ここ河野地区には、「北前船船主」の館が立ち並ぶ。右近家・中村家・刀禰家などの館群だ。右近家は「東京海上火災保険」の創業者の家。背後の山には洋館も建つ。

 この洋館の背後の山にはかって「河野城」があった。典型的な戦国時代の小さな山城のつくりだが、戦国末期の時代に織田信長が越前一向一揆勢力を亡ぼすために「越前国」に侵攻した際の防衛拠点の一つとして築かれた。信長軍の武将・羽柴秀吉軍がこの浜に上陸し、この城を攻撃・陥落させた。そして、越前一向一揆軍の主力が立て籠もる今庄地区を武生を経由して背後から攻撃した。この一連の戦いで、一向一揆軍は4〜6万人が殺されたとされる。この河野城には「城の曲輪」が見て取れる。

 ここ河野海水浴場はとても景色がよい。小さいが河野川が海水浴場内に流れ込んでいるので、海水に浸かった体を川に入ってきれいにできる。シャワーが必要ない海水浴場だ。暑い暑い日本列島だが、この海もたくさんの人がこれから訪れる。

 中国のお土産をもって、この河野川の上流で「渓流釣り」を営業している、中学時代からの親友に会いに行った。「また来るわ」と言って「渓流荘」を後にした。渓流には「合歓木(ねむのき)の花」が咲いていた。