MITIS 水野通訳翻訳研究所ブログ

Mizuno Institute for Interpreting and Translation Studies

直訳本について

2010年02月12日 | 雑想

 

さて本木貞夫訳述『ニューナショナル第五読本直訳』(文盛堂)は明治24年初版で、これは明治31年の改訂第3版である。370頁ほどある。明治時代の英語の参考書というか「虎の巻」なのだが、初期は「独案内」といって、英文に訓をふり、それに番号を付けて、番号通りに読めば英文の読み下しができるようになっているものだった。それとは別に「直訳本」というのが発行されており、これは最初から読み下し体が基本である。同一の原本に対して複数の「直訳本」があり、著者(訳者)によって読み下しの仕方が違っている。いずれも原文は付いていない。言ってみれば、同一の原著に対して複数の翻訳があるようなものだ。大きな違いは直訳本には語句と文法の説明があることだろう。直訳の読み下し文だけのものが多いが、この元木の本は直訳の読み下し文の後に、よりこなれた「意訳」をつけている。

(直)曾てジェノアの共和政治が貴族と人民の党派の間に分裂されしときに 賤しき門地の人し高尚なる心の人で且優りたる才能の人なるユーバートが 彼自身に人民党の首領であるべく高めた所で 著しき時の間民主政体(デモクラチック、フォーム、オヴ、ガヴァメント)を維持せし

(意)昔ジェノア共和国政治が貴族平民の両党の間に分裂したるとき 門地卑賤なれども心志高遠にその才能他に勝れたるユーバートと云へる人 自ら平民党の首領と為て久しく民主政体を維持したり

原文は以下の通り(New National Fifth Reader)

Once, when the Republic of Genoa was divided between the factions of the nobles and the people, Uberto, a man of low origin, but of an elevated mind and of superior talents, having raised himself to be the head of the popular party, maintained for a considerable time a democratic form of government.

元木のこの本は、訳読の指導書として優れていると思う。彼の意訳は、安井稔の言う読解指導のための「補助線」に該当する。また、複数の直訳本を比較すれば、訳述者たちが何を直訳と考えていたかがわかるだろう。これだけでも研究の入り口になる。(独案内や直訳本の研究はあるにはあるのだが、こんなものがあったとか、こんなやり方をしているというだけの内容で、あまり面白いものではない。資料があればだれでもできる。そうではない別の視角が必要だ。)森岡健二は「蘭学以来、…発達してきた外国語の解読法が、ここに至って原文を離れた読み下し文となって、日本の文章としての独立性を主張し始めた」と述べている(『講座国語史第6巻文体史・言語生活史』(大修館書店))。ただ森岡の場合、欧文脈の形成に果たした直訳本の役割を過大視するのが問題なのだが。

虎の巻で思い出したのだが、われわれの高校時代にも英語の虎の巻はあった。「参考書」と言っていたが、正式には何というものだったのか。今なら「教科書ガイド」であろうか。これもまた直訳本であり、内容はかなりひどく、実際にはあまり役に立たないものだったような記憶がある。

 


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