MITIS 水野通訳翻訳研究所ブログ

Mizuno Institute for Interpreting and Translation Studies

お知らせ

来月からこのサイトをMITIS(水野通訳翻訳研究所)ブログに変更します。研究所の活動内容は、研究会開催、公開講演会等の開催、出版活動(年報やOccasional Papers等)を予定しています。研究所のウェブサイトは別になります。詳しくは徐々にお知らせしていきます。

『同時通訳の理論:認知的制約と訳出方略』(朝日出版社)。詳しくはこちらをごらん下さい。

『日本の翻訳論』(法政大学出版局)。詳しくはこちらをごらん下さい。

Facebookはこちらです。

良いお年を

2010年12月31日 | 雑想

さて、今年も終りです。出したかった『日本の翻訳論』も出せたし、まあいい年だったと思います。ただ10月以降猛烈に忙しかったのが反省点です。これはいろいろな原稿とか講演とか会議を後先考えずに引き受けたせい。来年は教育と研究に専念することにしよう。まず、いま抱えている翻訳研究のテーマにひと区切りつけて、通訳研究も徐々に進めないといけない。それから、来年から生活のリズムがちょっと変わるかもしれませんので、ブログの内容も若干変わる可能性があります。(情報だけは変わらずお伝えしますが。)

では皆様、よいお年を。(Nさん、年賀のご挨拶ありがとうございました。一日早いですけど。)


『老記者の思ひ出』『朝比奈知泉文集』

2010年12月30日 | 

roukisha

伝記的なことを調べるため朝比奈知泉『老記者の思ひ出』(1938)と『朝比奈知泉文集』(1927)を購入。どちらも今でも簡単に手に入る本だ。まだ拾い読みだが、藤田鳴鶴の書生になる経緯や学業のことなどがかなり詳しく書かれている。『文集』の方には森田思軒との出会いが次のように記録されている。
「其頃(報知新聞には)森田思軒という人が編輯主任として善く人の書いたものを屑籠に投込む名人でした。折しも独逸皇帝維廉一世の歹且落ありて余は其の伝記を綴る役に当たり、当時の官報に獨帝ギーヨーム一世崩御云々と電報を載せありしかは書生の博洽を衒ふの機会此時なりと思ひ、欧州では國によりて同じ名の呼び方を異にすることを書き出し、英でウイリヤムというふを獨ではウイルヘルム、仏ではギーヨーム、伊ではギルレルモと呼ぶ杯と筆を起こしたものです。開して獨帝伝記の第一章に綴り、之を編輯主任の手元に差出しました。思軒其最初の二三行を一読して書生の衒気を嫌厭し直に側の没書籠に投入れた。その時位腹の立つたことはなかつた。」
こういうのを読むと、知泉と思軒はかなり歳が離れている感じを受けるが、実際はわずかひとつ違いなのである。


『思軒全集』

2010年12月28日 | 

shiken
『思軒全集 巻壱』(堺屋石割書店)を入手した。明治40年の刊行である。所蔵している図書館も多いようで、特に買うこともないのだが、やはり実物を手に取ってみると色々なことが分かって楽しい。この第一巻は主要な翻訳作品を収録し、他に源高湛(こと森鴎外)による思軒伝、徳富蘇峰と幸田露伴の短文を収めている。翻訳のうち「十五少年」「無名氏」「列國変局志」は版権の都合で収録せずとある。よく知られているように、『思軒全集』はこの一巻だけで、二巻以降は出版されなかった。柳田泉によると「書肆の営業不振」のためらしい。全集がどういう構成だったかというと、画像にあるとおり、「小品及漫筆」「嘉坡通信上」「嘉坡通信下」「書簡集」の全5巻を予定していたようだ。「嘉坡通信」というのは郵便報知新聞に連載された翻訳小説シリーズのことである。これに関しては原丈和「嘉坡通信 報知叢談論」という論考がある。


『東洋の翻訳論III』

2010年12月20日 | 

東洋の翻訳論3

アジアの翻訳の伝統ということであれば、まさにそのテーマにふさわしい本を頂いた。モンゴル在住の北村彰秀さんの『東洋の翻訳論III』である。かなり前にご恵投頂いたのだが、多忙にかまけてお礼も紹介も遅くなってしまった。この本は以前に紹介した『東洋の翻訳論 『続 東洋の翻訳論』に続く第3巻という位置づけである。冒頭の「はじめに」の中で、全3巻の構想と各巻の内容について述べられているので引用する。

「東洋の翻訳論全3巻は、東洋(主に中国、チベット、モンゴル)における翻訳の歴史に目を向け、そこでの翻訳方法、翻訳に対するアプローチ、翻訳論に注目し、検討しようという意図のものである。このような研究は東洋に対する理解を深めるためにも、また、翻訳というものありかたを探るためにも意義あるものと信ずる。
(中略)
 「東洋の翻訳論」(すなわち第1巻)では基本典の翻訳論に注目し、これがナイダの翻訳論に近いものであることに言及した。また、この翻訳論は、前半と後半の二つにわけることができ、前半は広い意味での言語学からのアプローチ、後半は狭い意味での言語学からのアプローチであることを述べた。また、Mergedとは賢者という意味ではなく、むしろ知識人、学者という意味であることを述べた。
 「続 東洋の翻訳論」においては、仏典漢訳の翻訳論を概観し、五失本三不易と基本典の翻訳論の類似について言及した。また、基本典の翻訳論の前半が、彦(げんそう)の翻訳論をもとにして書かれたものであることを示した。
 この第3巻においては、まず、今まで出した第1巻、第2巻の誤りを正し、議論をさらに深めたい。特に、第2巻で触れた彦の翻訳論の、基本典に影響を与えた経路について、もう少し見てみたい。第二に、基本典の翻訳論と辞書部分の関連について、論じてみたい。次に、満州語社会について見てみたい。東洋の翻訳論を扱う以上、大量の翻訳が組織的に行われた清朝(特に初期)の状況を検討しないわけにはいかないであろう。」

本の性質上(評者の非力ゆえ)、内容にわたるコメントはできないが、全3巻を通じて明らかになったような、幅広い視点から東洋の翻訳論を研究することには大きな意義があると思う。また長年にわたってこのテーマの研究を続けておられる北村さんに敬意を表したい。入手方法について明らかになればまた紹介します。


「国際会議:アジアの翻訳の伝統」終わる

2010年12月19日 | 催し

駅前の像 その足許
 
香港でのATTC4はわりと面白かった。と言っても自分の発表の準備があって半分ぐらいしか聞けなかったのだが。内容は前回のエントリーからプログラムを見て頂きたい。「アジアの翻訳の伝統」にふさわしかったと思う。Proceedingが出るのかどうかは聞いていない。2日目の天候が大荒れで、雪でも降ってきそうな寒さと強風。3日目は好天となった。会場近くの大学駅という駅前に写真のような像が建っていて、足許にはご覧のようなものがあり、ちょうど卒業式シーズンで、角帽にガウンの卒業生たちが像の前で記念写真を撮っていた。(あと2枚はorganizerの方々と会場となった香港中文大学。)やはり特別行政区なのだなと思ったのであった。往路は夜だったが帰路は昼間で天候も良く、台湾上空を縦断するときに台湾の峨々たる山脈がよく見えた。これで海外旅行は打ち止めである。


明日、JTF翻訳祭です

2010年12月12日 | 催し

実に久しぶりの更新です。とりあえずこれだけはお知らせしておかないと。

20周年記念JTF翻訳祭
テーマ:翻訳で切り拓く日本の未来 ~需要開拓と新技術~
日時:2010年12月13日(月)10:00~20:00(開場9:30~)
場所:「アルカディア市ヶ谷(私学会館)」

ここで基調講演をさせてもらうことになっています。参加者が600人を超える大きな催しです。
書籍の展示もあり、『日本の翻訳論』も展示販売されます。

プログラム詳細はこちらです。