MITIS 水野通訳翻訳研究所ブログ

Mizuno Institute for Interpreting and Translation Studies

お知らせ

来月からこのサイトをMITIS(水野通訳翻訳研究所)ブログに変更します。研究所の活動内容は、研究会開催、公開講演会等の開催、出版活動(年報やOccasional Papers等)を予定しています。研究所のウェブサイトは別になります。詳しくは徐々にお知らせしていきます。

『同時通訳の理論:認知的制約と訳出方略』(朝日出版社)。詳しくはこちらをごらん下さい。

『日本の翻訳論』(法政大学出版局)。詳しくはこちらをごらん下さい。

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"standard pieties"とは

2009年06月30日 | 雑想

Jeremy MundayのIntroducing Translation Studies(初版)にこんな文章が引用されていた。
A true interdiscipline is...not easily understood, funded or managed in a world already divided along diciplinary lines, despite the standard pieties...
最後の"standard pieties"が分からない。ググってみてもわずか131件しかヒットしない、ということはあまり使われないコロケーションである可能性が大きい。宗教関係の引用を除外すると、以下のように使われるようだ。
Despite the standard pieties that patriotism usually evokes, one of the most familiar comments about patriotism is Samuel Johnson's remark that "patriotism is the last refuge of a scoundrel.
There's an ideological mass reaching the critical point here, ready to force its way through the standard pieties.
他にいくつか用例を見て、「おためごかし」程度の意味で使われているのだろう見当をつけた。
その後いろいろ辞書を見てみたが、英和辞典では『ジーニアス英和』が圧勝だった。"standard pieties"はないが、"pieties"で「慣習追従的な[偽善的な]姿勢[言葉、行為]」とある。すべての辞書を見たわけではないが、他の辞書にはこの語義は見あたらない。なぜ『ジーニアス』だけが可能だったのだろうか。


28日(日)は翻訳研究分科会です

2009年06月24日 | 催し
このへんで、28日(日)の翻訳研究分科会のお知らせを最終プッシュ。詳しくはこちらをごらん下さい。まあダメ押ししなくても最近は参加者が多くて困るぐらいなんですが。今回は東京工業大学の野原佳代子会員が「大学教育における翻訳研究-理論と実践のバランスを考える」というテーマでお話しします。この問題は案外重要だと思います。翻訳者にはならなくても、卒業後に企業や官庁などの組織に入って翻訳をするケースが出てきます。そのとき慌てないで済むような基本的なスキルをどう教えるかとか、学問として翻訳の理論を学びたいという希望と実践的翻訳技術習得という希望とをどうバランスさせるのか。実技なき理論研究は可能かもしれないが、理論なき実技演習が果たして可能かどうか。そんな話も出るんじゃないでしょうか。

「マカロン」か「マクロン」か

2009年06月20日 | 雑想

 

森鴎外の有名な翻訳論、「飜訳について」の中に次のようなくだりがある。
「ノラの食べる菓子を予はマクロンと書いた。それを飴玉と書けと教えて貰つた。これなんぞはあつとばかりに驚かざること得ない。Almondを入れたMacronは大きいブリキの缶に入れたのが沢山舶来していて、青木堂からいつでも買はれる。」
鴎外が言いたいのは、何でも日本化すればいいものでもなかろうということなのだが、今回はその問題とは関係がない。カラスヤサトシの新刊『カラスヤサトシのおしゃれ歌留多』(講談社)を見ていたら「カラフルマカロン」というのが出てきたので思い出したのだった。果たして鴎外の「マクロン」と「マカロン」は同じものなのだろうか*。同じものだとしたら、ずいぶん昔から日本に入っているわりにはあまりポピュラーにならなかったことになる。(今、おしゃれなお菓子としてはやっているらしいが、初めて食べたという人もいるからだ。)それはともかく、「マカロン」は英語ではmacaroon、フランス語ではmacaron、鴎外が原本にしたドイツ語ではMakaroneなのである。イプセンのオリジナル(ノルウェー語)ではmakronで、これが一番「マクロン」に近いが、鴎外の綴りmacronはこれとも違う。(macronは普通は長音記号を指す。)「鴎外翻訳全集」に注があるのかもしれないが、平積みになっているので取り出す気がおきない。知っている人いたら教えて下さい。

*と言っているうちに「ノラのマカロン」というのがあるのを見つけた。
ここの11月9日のエントリーに写真がある。同じもののようです。


"on the part of..."について

2009年06月18日 | Weblog
Effective leadership comes from doing more than the technical work of routine management; it involves adaptive work on the part of the leader, and a willingness to confront and disturb people, promote their resourcefulness, ...のような、"on the part of..."を使った文章をよく目にすると思う。しかし、語法辞典や辞書ではまともな説明を見たことがない。たぶんいちばん詳しい『ジーニアス英和大辞典』でも現象的な説明にとどまっている。いったいこれは何なのだと長いこと思っていたのだが、毛利可信(1972)『意味論から見た英文法』(大修館書店)でようやく発見した。「on the part of~はその前に出る動作をあらわす名詞の意味上の主語を~の所に示すひとつの技術である。これはone'sという意味上の主語が文脈上awkwardとなる場合に便利である」という説明だ。確かに冒頭の例文では、セミコロンの後は結束性を考えるとitで受けるしかないし、the leader's adaptive workとするとleaderの出現がやや唐突に感じる。ただ、それなら主格関係を表す[of]でもいいだろうし、文の形によっては[for}...[to]...というS+V関係を示すやり方でもいいのではないかと思う。まあ主格関係を示すレパートリーのひとつということなのだろう。

講演会を振り返って

2009年06月14日 | 通訳研究

昨日の通訳の仕事は何とか無事に終わったが、なかなか面白い、しかしちょっと考えさせられることがあった。Q&Aのセッションで3つほど質問が出たのだが、うち一つはやはりecologyという言葉についてで、これはまあ予想通り。自然とか環境保護を連想する度合いが大きいということだろう。しかしそれはecologyの本来の意味を考えれば解決することだ。もうひとつの質問は、講演の主旨あるいはバックグラウンドが精神分析なのかというものであった。クラムシュ先生はそうではないとは言っていたが、これはある程度首肯できる質問だと思う。講演全体が実際には「語る主体」の多元的形成を指摘するものだったからだ。ここでは発話に先立って発話主体を想定するオースチンと、アルチュセールの「呼びかけ」interpellation概念(イデオロギーは主体として諸個人に呼びかけて諸主体を形成し、諸主体を隷属させる)に対する批判を通じて、イデオロギーから離脱する行為遂行性performativityを模索するバトラーの議論などが下敷きになっている。これは無意識の意識化と言えなくもない。最後の質問は、「語る主体は意味するところを述べ、述べるところを意味しているのか」というポストモダン的発話主体の例として詳しく説明された会話分析を、コミュニケーションの齟齬や挫折があっても、それを何とか克服し乗り越える物語としてとらえたようである。この受け止め方もある意味で大変面白いと思う。これがポストモダン的主体の話であると言われていても、どうしても自分の認識枠組みに取り込んで理解してしまうのだろう。たしかにそのような受け止め方も可能だが、それは講演の主旨ではなかった。

3つの質問がはらむ問題のいずれも、通訳者の媒介による異文化コミュニケーションの問題とは言い難い。むしろそれは理解comprehensionについて面白い問題を提起しているように思える。これは別に話の中身が高尚過ぎたとか、聴衆側の用意が足りないということではない。いずれにしても通訳者としてできたことは、事前の打ち合わせでinterpellationとかinterpellative powerなどの言葉には説明が必要だろうと示唆することぐらいなのであった。最後にクラムシュ先生がたぶん最も言いたかったことを別の講演から引用しておこう。
“Transcultural competence is not the bland coexistence of multiple cultures under the happy banners of diversity. It is the much more risky circulation of values across historical and ideological timescales; the negotiation of non-negotiable identities and beliefs.”


RICS+クラムシュ教授講演会

2009年06月12日 | 催し

明日第6回RICS(立教異文化コミュニケーション学会)と、その基調講演を兼ねて行われるクレア・クラムシュ教授(UCLAバークレー校)の公開講演会。(この公開講演会は無料、事前登録不要です。)で、この講演会の同時通訳(これでほんとに終わりにしたい)をやります。演題は「エコロジーの視点から見た異文化コミュニケーション」というもの。この場合のエコロジーは自然・環境保護とは無関係で、人間と人間・社会、人間と(社会文化的)環境間の複雑な相互作用ほどの意味だ。内容の面白さは請け合いますが、下敷きになっている理論はよく考えるとすごく難しいのかもしれない(アルチュセール、デリダ、ブルデュー?)。学会の方はポスターセッションで見たいものがいくつかあるのだが、所用があるので間に合うだろうか。


日露戦争前の「通訳」の地位

2009年06月09日 | 雑想

第二次大戦での通訳については回想録も多く、ある程度わかっていたが、日清、日露戦争ではどうだったのだろうか。
田岡嶺雲・宮崎来城(1900/M33)『侠文章』(大学館)の中に、「海外出兵につきその筋と通訳官」という一節がある。ここで日清戦争中と後の通訳者の地位が分かる。
 「回顧すれば今に六年、明治二十七八年に日清の干戈を交ゆるや、通訳官は実に戦時に於ける一大必要のものとして聘せられたるが、サテ愈よ出発の暁には如何といふに、之れが待遇は無惨にも陸軍下士、乃ち一等軍曹か二等軍曹には過ぎざりき、憐れ(・・・)下士待遇という名目の下に、牛馬も同然に取扱はれ、船でも汽車でも下等の切符はまだしも、昨日までは外国の縉紳はおろか名将大臣と東洋の経綸を策したる身を以て、所謂る一本筋の少尉どもまで、オイコラ通弁などと如何にも卑下に看做さるるに到り(・・・)一時軍医の欠乏を補はん為めに雇はれた僻村のヤブ医先生でさへ士官待遇という名目の下に勲六等を拝受したるも、ひとり通訳官のみは如何に功労のありたるにもせよ、下士待遇の悲しさ、勲七等に過ぎたるものは一人もなかりき」
それで、雲行きが怪しくなってきたので、再び通訳官を募集したのだが、馬鹿馬鹿しくて応募する人がいない。とんでもないのが採用されたりする。
 「△氏は曾て台湾総督府の通訳として苗栗支庁に勤務せしが、支那語と来ては、一、二、三、四、五、六、七、八、九、十(イー、アル、サン、スー・・・)でも解せぬ位なり、」
という状況だったらしい。
 4年後の『戦地職業案内』(1904)の「通訳」の項を見ると、「露語通訳は昨今に至りて志願者稍や増加したるも元来払底の方なり。俸給は百円内外より四十円内外までの所なるべく、戦地に於て増給の見込あるは勿論なり」「功労に依りては、年金付の六等七等勲章を授けらるるもあり、一時金を授けらるるもあるべし。志士の奮って志願すべき所なりとす。」
履歴書の提出先は大本営、軍司令部、師団司令部などになっている。すこぶる人気のない職業だったことがよく分かる。この文書はどちらも国会図書館の近代デジタルライブラリで見ることができる。


『翻訳学入門』打ち上げ

2009年06月07日 | Weblog

昨日は池袋の某フランス料理店で『翻訳学入門』の監・訳者一同に担当編集者のSさんをお招きして打ち上げ。皆様、大変おつかれさまでした。

Palumbo, G. (2009) Key Terms in Translation Studies (Continuum)
Translation Studiesの用語集。類書にはShuttleworth and CowieのDictionary of Translation Studies (St. Jerome)がある。規模はほぼ同じだが、Key Termsの方は40頁ほどKey Thinkers in Translation Studiesという人名の部がある分、用語の方が少なくなっており、記述も短い。しかしKey TermsにはDictionaryにはないインデックスがついているし、何より新しいという利点がある。(Amazonの書影では表紙が赤丸になっているが、実際はこのように緑です。)


新刊紹介

2009年06月04日 | 

最近はあまり本を買わないようにしているのだが、先日たまたま目にしたのが、
ミカエル・ウスティノフ(服部裕一郎訳)『翻訳-その歴史・理論・展望』(白水社・文庫クセジュ)。昨年11月に出た140頁ほどの小著なのでおのずと限界はある。またいわゆる「翻訳論」の延長線上にある本で、翻訳研究の入門書とは言い難く、原著が2003年発行のわりには内容が古い。ただ、フランス語へのバイアスがある分だけ知らないことも出てきて参考になるところがある。構成は「言語の多様性、翻訳の普遍性」、「翻訳の歴史」、「翻訳の理論」、「翻訳の作用」、「翻訳と通訳」、「翻訳の記号」の全6章。訳者は若い人だがよくやっていると思う。

FORUM Vol.7 No.1 (2009)はIdeology and Cross-Cultural Encounters - Research and Methodology in Translation and Interpretingという特集である(2008年に行われたシンポジウムのSelected Papers)。ネット上には目次もないので、いつものように紹介しておく。
In at the Deep End. Objectivity, Overinterpretation and Ideology Patterns in Translation (Ovidi Carbonelli i Cortes)
La construction semiotique de l'alterite dans les peritextes de la traduction de Julian Robera de <L'histoire de la conquete de l'Espagne> d'ibn al Qutiyya de Cordoue (Anna Gil-Bardaji)
Listening to Strangers: Migrant narrative as the case of cultural translation (Piotr Kuhiwczak)
Corpus-based Translation Studies and Ideology: Different methodologies in use (Gudadalupe Ruiz Yepes)
Does Translation Hinder Integration? (Christina Schaffner)
Euronews in Translation: Constructing a European perspective for/of the world (Roberto a Valdeon)
Translation as an Ethical Action (M. Carmen Africa Vidal Claramonte)
An Approximation to the Ideological Basis of Metaphors Used for Cancer in the English and Spanish Press (Julia T. Williams Camus)
De Berman a Venuti: Approaches postcoloniales sur la traduction (Yun, Seong-Woo and Lee, Hyang)