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■これは橋本福夫訳・J.D.サリンガー『危険な年齢』の表紙。著者名、タイトルからはわかりにくいが、サリンジャーのThe Catcher in the Ryeの初の邦訳なのだ。原著は朝鮮戦争のさなか、1951年の発行だが、橋本訳は早くもその翌年に出ている。その13年後の1964年に野崎孝訳『ライ麦畑でつかまえて』が出て、名訳としての評価を得て広く読まれた。そして約40年後の2003年に村上春樹訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』が出版される。橋本訳からは半世紀以上経過しているわけだ。
村上訳についてはAmazonの読者書評でも圧倒的な支持があるようだが、これが果たして翻訳評価につながるかどうかは疑問符をつけたいところがある。支持している読者はただ「村上春樹」を読んでいるだけなんじゃないか、と思うからだ。(それに、なぜ今新訳なのか?という疑問は村上春樹のあちこちでの説明にもかかわらず、残る。)受容する側はそれでいいのだが、それでは翻訳の評価にはならない。翻訳研究の手法で多面的に比較分析する必要があると思う。切り口は、訳語、罵倒語、個人語ideolect、modal particle、ノームなど、いろいろ考えられる。先行研究は、すでにスエーデン語訳やポルトガル語訳などについていくつかある。しかし半世紀にわたって3つの翻訳があるのはおそらく日本語だけだろう。(もちろん古典の翻訳は事情が異なる。)ほんの2ページほどチェックしてみた。見にくいかもしれないが、左が橋本訳、真ん中が野崎訳、右が村上訳だ。
鳥打帽子 ハンチング ハンティング帽
耳垂れ 耳あて 耳あて
手袋をくすねた 手袋をかっぱらった 手袋をかっぱらった
押入れ 押入れ クローゼット
おりやそんな物はいらん おれは用はねえや そんなもの俺はいらないんだからさ
一撃くれてやるべき 一発くらわす がつんと一発くらわして
きもつたま 度胸 ガッツ
ぬすつと ぬすっと こそ泥
× この汚らしいゲジゲジ野郎め この薄汚ねえこそ泥野郎が!
決着させよう かたをつけようじゃねえか 話をはっきりさせようぜ
愉快なことじゃないよ イカさないもんさ 愉快なことじゃないんだよ
一向むとんちゃく あんまり気にしないんだな そんなに気にしない
カンカンに怒らせた 怒らしたもんさ 逆上させた
かもしれん かもしれない かもしれない
やつてのけるべきだ ぜひそれをやるべきだよ そうするべきなんだ
グデングデンに酔っぱらった めちゃくちゃに酔っぱらった ひどい酔っぱらい
ライ麦畑でつかまえて・・・の翻訳が野崎さんよりも前に訳した方が居たなんて、驚きました。
今、村上春樹氏と野崎氏の両方を交互に読んでいますが、私の若い頃には白水Uブックスの野崎さんのライ麦畑で感化された方なので、村上春樹氏の訳は、ちょっと小綺麗過ぎて変に気持ち悪いホールデンなんですね。これが現代風なのでしょうか?
例えば、今は使ってはいけない言葉、めくら、つんぼ・・・などは、当時は使っていて、歴史の先生の奥さんの事をつんぼ・・・と言ったりしていました。
そういう部分の手直しは必要かもしれませんが、ちょっと、主人公の少年の魅力があまり感じられません。
村上氏の評判が悪いのは私の世代の人が多いんですけれどネ。1960年代~1970年代初期生まれ。
と、長々と失礼しました。
まだ詳しく検討はしていませんが、おっしゃるとおり村上訳は小綺麗すぎる感じですね。文体の特徴がきわめて重要な小説ですから、翻訳者にとってはそれをどう訳すかが大きな問題になります。スエーデン語への翻訳者は、若者の集まるカフェなどに日参して若者言葉のフィールドワークをやったと言います。(野崎訳は植草甚一のコラムの文体を参考にしたという説があります。)村上訳はやはり村上語のような気がします。
1.表題関連から。そうなんですよ。一般にムラカミ訳が高く評価されているようなんですが、私が感じたのは、「あー日本の社会がサリンジャーにおいついちゃったなぁ」という感覚でした。当時では衝撃的な言葉遣いとメンタリティが今じゃ普通です。ムラカミのしゃべりくちにもはまりすぎてて新鮮味がない、というのが実感でした。あの時代にあれだけの訳を作った野崎の一連の翻訳はかなり気に入ってます。みずの先生のスタンス表明、楽しみにしています。(それからキャッチャー・イン・ザ・ライってタイトル、ありですかね??)
2.スペリオールの先週号にでた、サイバラの「うつくしいのはら」すごくいいと思いました。お読みになれました?
3.Sweetserなんて来てるんですね。いかがでした?
ではまた!
村上訳をあまり評価できない人は結構いるようですね。このテーマは9月の大会(総会)で「翻訳研究分科会」が承認されてから、どうするか考えますが、さしあたり院生の一人が'and all'とか、'if you want to know the truth'などのHolden語の邦訳比較をやる予定です。(今回はswear wordsはなしです。)
スペリオール、知っていたんですが見逃すところでした。早速コンビニに走りました。これは鴨とのアジア体験がなければ書けなかったでしょうね。
Sweetserさんは結構フレンドリーなおばちゃんでした。講演自体は一般向けだったのでわかりやすいテーマをわかりやすく話してくれましたが、本当はがちがちの論文を書く大物なんですね。1本だけ読んだ、というか読もうとしたのですが難しくて歯が立ちませんでした。
私は、村上訳の存在価値は高い、と考えています。理由のひとつとして、村上訳で使われている表現には、野崎訳と比較して普遍性に優れているという点があります。野崎訳には太陽族的な表現が多用されており、これからの時代の読者には馴染まないものが多いのではないか、と思われます。
いずれにせよ、翻訳業界に身をおく者として、非常に興味があるテーマなので、まだ構想の段階ですが、表現の時代性に焦点を当て比較分析をすすめたいと考えています。